山崎流

2016年

5月

03日

勉強って、おもしろい

ご無沙汰しています。

火曜日担当の山﨑です。

 

先日、瀬谷校では新しい体験生の説明会がありました。

その生徒にこんな質問をしてみました。

 

「勉強は好き?」

 

すると、その体験に来た生徒は

 

「好き」

 

とすこしはにかみながら言っていました。

 

なかなかこういった回答は得られません。

だから僕はなんだか嬉しくなりました。

 

 

「好きこそ物の上手なれ」

というように、

好きになれば自然にやりたくなってしまうから、

気づいたら上手になってしまう。

 

 

そんなようにバリバリ勉強することを楽しめる。

野球部の生徒が一生懸命野球に打ち込むように、

勉強に一生懸命打ち込む。

そんな生徒が育つ聡明舎瀬谷校でありたいのです。

 

 

とにかく目の前の成績をなんとかしたいから、でもいい。

行きたい高校があるから頑張る、でもいい。

勉強が苦手な自分が嫌だから、でもいい。

勉強ができるようになって、「すごい」って思われたい、でもいい。

 

 

どんな理由でも、勉強に一生懸命な姿は素敵です。

 

 

そしてそこに

「単純に英語が好きだから。」

「数学が好きだから」

「国語が好きだから」

「理科が好きだから」

「社会がすきだから」

 

 

そんな単純に勉強そのものが好きだと言う理由だってあってもいい。

 

 

勉強ってそんな苦痛で、

つまらないものじゃない。

 

 

できるようになる喜び。

新しいことをしる喜びが、

考える楽しみ。

そんな素敵なものがたくさん詰まったものなんです。

 

 

…というのを、

そう生徒の感じさせるのが大人の役目なので、

まずは自分がその魅力を伝えられるように頑張ろうと思います。

 

 

 

 

山﨑

 

 

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2016年

1月

26日

現実を受け止められるか

高校入試まであと2週間をきりました。

まだもうちょっと先だな…なんて思っていたのに、もうこんなです。

 

聡明舎の中3の受験生も自分の現実と向き合わなければならない時が来ました。

(もちろん、もっと早めに向き合えればいいのですが…人間、そうもいきません。)

本当にこのままでいいのか?

第一志望の高校はここでいいのか?

毎週模擬試験をやっても点数が伸びない。

何か新しい何かを始めるべきか?

 

自分の現実を見れば見るほど、

悩むし、どうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

でも、知っておいて欲しいことが2つある。

 

その1つ目は、

「今の現実は、自分自身が作り出している」ということ。

 

今志望校への点数が足りない。

このままだと合格・不合格ギリギリのライン。

でもどうしてもあの高校に行きたい!

そして言うわけです。

「お父さん、お母さん、◯◯高校受けさせて!」

「うちは私立が無理だからだめ!あきらめなさい。」

「そんな…ひどい。こんなに頑張ってるのに、なんで!?」

 

受験期のあるある話です。

 

確かに、このやりとりだけを見れば、

「頑張っているんだから、挑戦させてあげればいいのに…」

と思う人もいるかもしれません。

 

ただ、問題は「受験生本人がこれまでどれくらいの努力を重ねられたか」

というところにあります。

 

1年生のころから「◯◯高校にいく!」と目標を立てて、

部活と勉強を両立させて家ではずっとコツコツと勉強してきた。

そして、3年生からは勉強量を増やし、目標の高校に向けてずっと頑張ってきた。

そんな状況であれば、たしかに

「お母さん、お父さん、ひどい!」

なんてことも思ってしまうかもしれません。

 

一方で、もし

「志望校は去年の12月に決めました。

 頑張るようになったのはそこからです。

 でも今は必死になってやっています!」

 

でも、

これまできっとお家の人は言ってくれたはずです。

 

「あんた、やらなくていいの?」

 

それを「やらない」という選択をして来たのは紛れもなく、今ここにいる自分。

そのときにやっていれば、今の現実はなかったかもしれません。

行きたい高校に安全な状態で受験ができたかもしれません。

 

結局良くも、悪くも、

「今の自分を作ったのは、

 すべて自分のこれまでの選択の積み重ねによるもの」です。

 

そして、2つめは「それを自分が受け入れる」ということです。

 

先ほどの話で、

もしこの受験生が

「どうして自分の挑戦を認めてくれないの!?

 ひどい、最低!」

なんて思ってしまえば、

これは「お母さん、お父さんは私にとってひどい決断をした」

という一つの出来事で終わってしまいます。

 

 

しかし、

「今のこの現状は、

 これまでやるべきときにやってこなかった自分がよくないんだな」

と思うことができれば、

次の高校生活は、きっと1年生から頑張れるでしょう。

 

 

今の現実をしっかり自分で受け止める。

それが成長の大切な一歩です。

 

受験は人を成長させてくれるといいますが、

結局のところ、成長できるのは自分の現実を自分で受け止めて、

次につなげることができる人だけ。

 

残すところ2週間をきった今、

たくさんの生徒が自分と向き合い、

大きく成長してほしいと思っています。

 

受験生よ、ともに成長しよう!

 

 

 

山﨑

 

 

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2016年

1月

12日

分かりません、教えてください。

中学3年生の入試まであと1ヶ月です。

 

先日入試対策がはじまって第1回目の模擬試験がありました。

結果を見て、

これまでの自分がやってきたことに自信を持った生徒、

頑張ってない、ということはないのになかなか結果がでなかった生徒、

中3生はみんないろんなことを感じたのではないかと思います。

 

ただ、

今回の模試を経て印象にとても強く残っていることは、

 

「『分かりません。教えてください。』が言える子は伸びる」

 

ということ。

 

 

自分で調べたりして分からなかったところをそのままにしないで、

すぐに聞きにいく。

そして教わったことをもとにもう一度自分でできるかやってみる。

 

たったそれだけのことなのですが、

これをできる生徒がよく伸びている。

それをとても強く感じています。

 

 

ただ、これ、

実は勉強だけに限らず、

何事も上達するためには欠かせない言葉だろうと思います。

 

勉強にしたって、

スポーツにしたって、

仕事にしたって、

理解できない、よく分からないことをそのままにしておいて

うまくいくことなど何もありません。

 

「こんなことも分からないのか」

「前にも言ったじゃないか」

 

そんなことを言われてしまうこともあるかもしれない。

 

もちろん、聞いた以上は「絶対忘れない。自分のものにする」

という意思は忘れてはいけません。

 

でも、それでも分からなければ、多少恥ずかしい思いをしても聞く。

 

それが何事にも通じる「上達する道」です。

 

 

 

「分かりません、教えてください。」

勇気を持って、言ってみましょう。

 

 

 

山﨑

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2015年

12月

29日

成長

怒濤のごとくの冬期講習前半が終了し、

本日から聡明舎は年末年始のお休みです。

台風の目の中にいるような感覚です。

 

聡明舎では随時体験生を募集しています。

たくさんの人に体験して欲しい。

それは、僕たちがしている授業を受けてくれたら

間違いなく「何かしら」を感じてもらえると思うからです。

傲慢ではありますが、

ひょっとしたら、それがその子の「人生」を変えるかもしれない、

とまで思っています。

 

そして同時に、それ以上に、

僕たち自身の人生を変えてくれる出会いになるかもしれないとも

思っています。

 

今回もそれぞれの校舎で体験生が来てくれました。

僕はずっと瀬谷校にいたので、

瀬谷校の体験生の生徒しか関わりはありませんでしたが、

僕にとって、それはすべて「人生を変える」出会いでした。

 

入塾前もずっとひたむきな努力をしていたことに驚いた子もいます。

 

たった4日間で、

当初の「ここでやっていけるのか…?」と心配していたことを吹き飛ばすくらい

授業中にものすごく手が動くようになった子がいます。

 

授業中本当に一生懸命取り組み、

そして宿題もそれは丁寧にやり、これまでのクラスに「新しい風」をもたらして

くれた子もいます。

 

たくさんの驚きと、そして「成長」を実感しました。

 

 

 

 

この冬期講習から瀬谷校デビューした先生がいます。

同じ文系の先生ということもあり、一緒に練習を重ねました。

 

決してガンガンいくタイプの先生ではないですが、

それはいい準備をして研修に臨むのです。

4日連続での研修。

1日目と、3日目の授業の変わり様に驚きました。

 

ただそれでも、

研修と実践は全然違う。

生徒はしっかりついていってくれるのかと心配もしていました。

 

そして迎えた初日の授業。

僕の心配は杞憂に終わりました。

 

なんとも堂々とした立ち姿。

研修では見えなかった「力強さ」を感じるのです。

そして教える内容もバッチリ。

なによりも一番驚いたのは生徒の姿勢で、

背筋をよく伸ばして、本当によく聴いているんです。

 

 

 

 

 

成長を実感する瞬間は嬉しいものです。

自信になって、「もっとやろう」と思えます。

同時に、

誰かの成長を感じるのも、本当に嬉しいものです。

それは嬉しいというよりかは、もはや「感動」です。

僕はこの冬、たくさんの成長を目の当たりにして、

そしてたくさんの「感動」をもらいました。

 

 

あと3回寝れば、新しい年がやってきます。

 

2016年、勝負の年です。

自分の大きな成長を目の当たりにしたい。

そして、自分の周りにいるたくさんの人の成長を目の当たりにしたい。

 

たくさんの「成長」に溢れる1年にできますように。

 

一歩一歩精進あるのみです。

 

最近見つけた、

素敵な言葉で今年最後のブログを終えます。

 

2015年もありがとうございました。

また来年もよろしくお願いいたします。

 

ステップ・バイ・ステップ。どんなことでも、何かを達成する場合にとるべき方法はただひとつ、

一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。これ以外に方法はない。
Step by step. I can’t see any other way of accomplishing anything.

 

(マイケル・ジョーダン)

 

 

山﨑

 

 

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2015年

12月

08日

仕事と勉強

聡明舎は塾なので「勉強」を教えます。

内容は、小学生の内容から、大学受験に必要なものまで。


子どもに教える以上、自分たちも勉強しなければなりません。

「大学受験」に必要な知識はもちろん、

小学生の授業だって、勉強せずにのぞむことはできません。

「小学生の内容なら勉強しなくたって大丈夫」

なんて思いながらやると、きっと大変なことになります。

問題を解き、

「どんな順番で説明するのか」

「どんな最後で終わるか」

「誰に指名するのか」

「どこで面白さを実感させるのか」

そんなことを先輩から学び、そして本で学び、そして自分で考え、

授業をするのです。


塾講師、学校の教師には「勉強」は欠かせません。


でも、当たり前の話ですが、

塾講師や学校の教師でなくたって、

何か「仕事」に関わる以上は「勉強」は必要なものです。


銀行員は「金融」や「経済」の勉強を、

弁護士は「法律」の勉強を、

医者は「人体」や「病気」についての勉強を。


それぞれの職で必要な知識を自分自身で学んでいかないと、

「仕事」にならないことはたくさんあるでしょう。


ただ、

『「勉強」をすればするほど、実は

「自分が役に立てる人が増える」し、

「より大きな問題を解決できる」ようになる。』


これが勉強の威力です。


例えば、先生である自分が本を読んで、

「新しい教え方」

「勉強ができるようになる方法」

を学びます。


それをそのまま使ったり、時にはちょっと変えたりして使ってみます。

すると、生徒がこれまではできなかったことができるようになるのです。

その時、なんとも良い表情をするのです。

そしてその生徒は自信を持つようになります。


これはもし自分が「勉強」していなかったら経験できないことです。

「勉強」をしたからこそ、「貢献」できたことなのです。

「勉強」を続ければ、続けるほど、

自分ができる「貢献」の幅が広がり、そして深さが深まっていきます。







「なぜ勉強するのか?」


子どもは、その答えを欲しがります。


「そんなこと考えずにやりなさい。

 きっといずれ見えるようになるから。」


と答えを言わないのも一つの手です。


でも、

「勉強をすることは、「自分が誰かの役に立てる」こととイコールなんだ。

 例えば自分の仕事では…という勉強をすると、〜な人に役に立てるんだ。

 勉強は「技術」だから、やればやるほどうまくなる。

 そして、たくさんの知識が手に入るんだ。

 勉強が下手な大人になるのか、勉強が上手い大人になるのか。

 勉強が上手になって、知識を使ってたくさんの人に役立てる人になるのか、

 勉強が下手で、知識がなく人の役に立てない人になるのか。

 どっちのほうがカッコいい大人かな?」


そんなふうに伝えることで、

スイッチが入る子どももいるかもしれません。


「勉強することって、素晴らしいんだな…!」

そんなふうに生徒に思ってもらえるよう、

大人になっても現役同様、

バリバリ勉強をやっていきたいものです。




山﨑



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2015年

11月

24日

自分が、やる。

自分がいくら、自分のことを「かっこいい」と思っても、

まわりの人から「あいつはちょっとダサい」と思われてしまえば、

自分は「ちょっとダサい人」である。

逆もまたしかり。


自分がいくら「聡明舎はすばらしいところだ」と言い張っても、

外から見た人が「聡明舎って、ちょっとね…」と思われてしまえば、

聡明舎は「ちょっとね…」な場所である。

もちろん、逆もまたしかり。

 

僕は「聡明舎は素敵な場所だ」と思ってやまないし、

どの先生もそう思っている。

だからこそ、周りの人が同じように考えてくれる場所でありたい。

 

と、生徒によく伝える。

 

そして、「そんな聡明舎を作るのは、先生ではない。君たちだ」

と生徒に言う。

そして

「一人一人が『自分が素敵な聡明舎を作る』という気持ちを持てば、

 聡明舎は必ずそんな場所になる」

と伝える。

 

こんな話をした時に、

本当に真剣に聞いてくれる生徒たちもいる。

 

 

ただ、

こうは伝えるものの、

同じように先生である自分自身が一番

「自他ともに素晴らしいと認められる聡明舎を作るのは、

 他でもない、自分だ」

と思い、そして行動しなければ、生徒には何も伝わらない。

 

「俺がやらねば誰がやる!」

その精神をいつでも忘れずにいたいと思うのです。

 

まずは、自分の担任のクラスから、

そしてそれぞれの学年を、

そして校舎を、会社を、素晴らしい場所に。

 

今聡明舎瀬谷校は(もちろん、他の校舎も)

まさにそうなりつつあります。

 

これからが楽しみです。

ワクワクします。

 

 

山崎




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2015年

11月

10日

代表選手

世界野球プレミア12がはじまりました。

初陣初勝利でしたね!

これからも楽しみです。

 

普段から野球中継をよく見ていたり、

頻繁にスポーツニュースをチェックしているわけではないです。

ただ、こうやって12球団あったチームの代表が集まって、

スターティングメンバーを作ると、

「なんて豪華なチームなんだ!」と思わずにはいられません。

一体どんな戦い方をするのか?

ただ、ただわくわくします。

 

 

野球が好きだから余計にわくわくするのかもしれませんが、

仮にもし、野球をしたことがなく、

とりわけ普段は気にして見ているわけでもなかったとしても、

僕はきっと世界野球は気にしてみていたのだろうと思います。

 

 

そうです。

何を隠そう、

「世界◯◯」につられちゃうタイプなのです(笑)

 

 

「世界◯◯」「ワールド◯◯」

(注:○◯には何かしらのスポーツ名が入ります。)

がはじまったとたん、さも昔からそのスポーツを知り、

そして愛していたかのように

「◯◯ってやっぱりいいわ〜!」と言ってしまう人たち。

そんな人たちの一人であるのが、わたくしなのです。

 

 

でも、自分を含めてそんな人たちを否定するつもりはありません!

やっぱり国際試合というのは、最後の最後まで何が起こるか分からない。

普段の試合とは違うエキサイティングな試合です。

そのわくわくは、野球であろうと、なんであろうと、同じです。

そして何より、必死になって戦っている同じ日本人を応援する。

なんとも良いことではないですか!

そう声を大にして言いたい。

 

 

どのスポーツであれ、

日本代表の選手達はよくこんなことを口にする。

『「日の丸」を背負っているので…』

まさに、自分の国、日本そのものを背負っている。

その重圧たるや…いかに。

逆に言うと、だからこそ国の名誉を背負っている選手達同士の国際試合は、

白熱して、最後の最後まで何が起こるか分からないのかもしれません。

 

 

背負うものが重ければ重いほど、

苦しいし、大変ではあるでしょう。

でも、そのぶんだけ大きな力を発揮する。

 

 

僕たちは日本人ではありますが、

日々の暮らしのなかで、

なかなか「I  am  a  Japanese.」を意識することはない。

日本人である以上、まぎれもなく「日本代表」であるはずなのに、

まったく重いものを背負っている気がしない。

 

 

まあそれは同じ日本人の中に囲まれて暮らしている以上、

なかなか背負おうと思っても背負えるものではないのかもしれない。

 

 

でも、知らず知らずの間に、いろんなものを背負っている。

そのことには気づかなくてはいけない。

さまざまな場所の代表であるということを、背負っている。

これは事実ある。

そしてそれは、忘れてはいけない事実である。

 

 

人間は1人で生きてはいけない。

逆に言うと、どこかの集団に必ず属している。

そしてその集団は1つとは限らないし、

むしろ複数であることのほうが普通だ。

 

 

そして、自分が属している集団の数だけ、

自分自身背負っている「〜代表」がある。

 

 

「家族代表」かもしれない。

「学校代表」かもしれない。

「サッカー部代表」かもしれない。

「○◯ちゃんのグループ代表」かもしれない。

「○◯株式会社代表」かもしれない。

「第一営業部営業三課代表」かもしれない。

 

 

数え切れない組織に属していて、

そして属している以上は、肩書き、地位がなんであれ

「代表」である。


 

そんな「代表意識」は間違いなく、自分の行動に影響を与える。

 

 

「〜代表なら、これはしてはいけない。」

「〜代表なら、こうしたほうがいいんじゃないのか」

「〜代表だから、こんなふうに振る舞いたい」

 

 

代表意識が、自分の「行動の指針」になっていく。

 

 

だから

そんな意識をもてる個人は強いし、

そんな意識を持てる個人が集まった集団は、当然強い。

 


 

どんな時も自分がいる背景を、

自分自身が見えるようにしたい。

 

 

僕は、代表選手だ。

 


山﨑

 


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2015年

8月

10日

応援される人に

夏期講習の忙しさにかまけてずっと更新できず、

申し訳ありません。


本日夏期講習の5日間の中3中期特訓が終わり、

夏期講習前半が終了しました。


今年の中3は聡明舎史上の中で一番大人数。

これまで朝6時30分から授業を開始して、10時過ぎくらいに終わる、

という日程でしたが、

今年は前半の開始は6時30分、

そして後半の開始は10時40分という2部制で授業をしました。


この中期特訓は聡明舎のすべての中3が集まる授業なので、

僕もお初におめにかかる生徒がたくさんいました。


僕が主に授業をしている瀬谷校の中3もとても頑張り屋で素敵なのですが

(手前味噌ですが。)

他の校舎の中3もいい。

しっかり「夏期講習ありがとうございました。」なんて言って帰っていくんですね。

素敵すぎます。

(手前味噌ですが。)

今度中3が集まるのは12月の入試対策。

そこまでにお互いが成長して会えるのが楽しみです。




中学3年生も、そして中学1・2年生も、さらには小学生も、

いつかは僕たちのもとを巣立って、社会に飛び立ちます。

社会に出たときに、うまくいって欲しい、

というか必要とされたり、感謝されるような人になって欲しいものです。


世の中にでてうまくいく秘訣ってなんなのか、

と考えると、様々な要素はいろいろあると思うのですが、

その一つに入るだろうと思うのが

「応援される力」



一人でできることには限界があります。

(完全に一人だけ、ということです。)


でも、思わず「応援したい」と思われ、

たくさんの人に応援してもらえれば、

たくさんの力が集まります。

その分だけ、ゴールに近づくのは早くなります。

一人でできることをはるかに超えます。


だから、

「応援される人」になる。

コレに向けて勉強を使って訓練します。


まずは、目の前のこと(授業、宿題、等々)を一生懸命取り組む。

一生懸命やる姿勢は、魅力的です。

思わず応援したくなってしまう魅力です。


そして、分からないこと、困ったことががあったら素直に、

「教えてください」

が言えること。

できるふうを装ったりするのは、あまりにもったいない。

自分でやることをやって分からなければ聞いてしまいましょう。

「なんとかしたい」

この気持ちは伝わります。

だから応援したくなります。



応援される人に、

そして社会をちょっとでも明るく照らす人に。

後半戦がまた楽しみです。




山崎

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2015年

6月

30日

どこへいくのか?

以前のブログで「エンジンを搭載する」という話を書きました。


エンジンを搭載して、自ら進んで行く人生か、

エンジンがなく、誰かに押しもらってやっと少しずつ進む人生か?

前者、つまり、

自分の意志をもって進んで行くほうがいいのではなでしょうかというお話でした。



ではどんどん進んで行きましょう!




…って、どこに?



この「どこに?」が大切です。



どこでもいいのならいいのです。

ただ大体の場合は、

自分で知っている、知らないに関わらず、

「目的地」がある程度決まっている。



知っている、知らないに関わらず、というのは

それを自分で知っている人もいれば

知っていても忘れてしまうこともあるということなのです。



忘れたままになってしまうと、

自分が何気なく「こっちかな?」と進んできた道の先に

「こんなはずじゃなかったのに…」という

目的地にたどりついてしまうことだってあるのです。

もったいない…。

せっかくエンジンをもって進んだというのに。



だからこそ、

まずは自分の「目的地」

つまり、

「自分は本当はどうなりたいのか?どうしたいのか?」

ということをはっきりと知っておかなくてはいけません。

そして忘れないように、

時々振り返るのです。




自分が「今まさにしたいこと」は「自分が本当に望む姿」

につながっていないことは大いにあります。

例えば、

テストで良い点をとって自信がある自分になりたい、と考えても

疲れたり、怠け心によって目の前の勉強を先送りして、

手っ取り早く快感を得られるゲームをしてしまうとか。

これはまさに、今やりたいことが将来なりたい自分につながっていません。

だからそんなときこそ、

「これは自分が望む姿だったのか?」

と自分に問いかけてみて欲しいのです。




「自分が本当にそうなりたい」

という姿に近づき続けるというのは、

案外楽ではありません。

心の強さが必要です。


だから日々訓練。


そして「そうなりたい、そうありたい」

という目的地をいつも心にとどめておくこと。



今日も一歩。また一歩。



山崎

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2015年

6月

16日

エンジンを搭載

世の中の車という車には、全てエンジンが搭載されている。

だから、アクセルを踏むだけでいくらでも進むことができる。


もしエンジンのない車があったらどうでしょう?

使い物にならないです。

重い重い鉄のカタマリを

車輪の補助を借りて、人の力で動かす。

ゆっくりとしか前には進みません。

そして押すのもとても疲れる。(ガス欠の自動車をご想像ください。)


エンジンのない車を量産する自動車会社なんてあっても

まず社会から必要とされないでしょう。




今の話を人に置きかえてみる。


車を「人」にして、

エンジンを「自発性(やる気)」としましょう。


自らやろうとしない「自発性」がない人は

いくら周りが一生懸命動かそうとしても

ゆっくりとしか成長することができません。

ただ、一度「自発性」という名のエンジンを搭載すれば、

あとは押したり、動かそうとしなくても、

いくらでもどこへでも進むことができる。



「塾」という教育機関(塾に限らないかもしれません)は

「エンジン」が搭載されていない人をどんどん生み出してしまうかもしれない

危険性を持っています。

というのも塾という場所の評価は主に目に見える「点数」や「合格」であり

分かりやすくは見えない「自発性」は評価するのが難しいからです。

言われた通りにやることを良しとして、それが「点数」や「合格」に結びつく。

生徒はそれに満足してしまい、

先生もそれに満足してしまう。



時には無理矢理にでも動かして、

自発性どころかブレーキをかけたままの車を一生懸命動かし、

ある程度のところまで動かしていってしまう。



もちろん、

そうやってある程度のところまで連れて来られた車は気づくかもしれません。

「こんな景色が見えるところがあるんだ」ということに。

そこから自らエンジンを搭載して進もうとするかもしれません。



だから大切なのは

エンジンのない車を「動か」してある地点まで到達させるておしまい、ではなく

車に「エンジンを搭載する」ことで、どんどん進んでいける車をつくる。

それをゴールに据えるということ。

それが先生の役割なのではないかと思うのです。



ちなみに「点数」や「合格」をおろそかにするということではなく、

むしろこれらはエンジンをより爆発させるための「ガソリン」になりうる

ものだと思います。(自信になります。)



口では簡単にいえることかもしれませんが、

簡単になせることではないです。

ただ、そのことを忘れずにいたいものです。



山﨑

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2015年

5月

12日

思い通りにならない経験を

勉強をすると、

思い通りになることも、思い通りにならないないことも、

両方経験することになります。

スイスイ解ける気持ちよさ、

はたまた解けなくて解説をじっくり読んでみてもよく分からないもどかしさ、

どちらも感じることになります。



思い通りになれば気持ちいいし、

思い通りになれなければ嫌になってしまう。



どうせ勉強するなら、

気持ちよく、楽しみながらできればいいし、

そうやって欲しいです。



ただ、

だからといって解ける問題ばかりをやって気持ちいい思いをして、

解けない問題がでてきたら嫌になってやめてしまえば、

いつまでたっても自分の実力はあがりません。



勉強でより「気持ちいい」を感じるためには、

解ける問題、できる問題を増やすことが必要です。

そのためには、「解けない問題」にチャレンジをしていかなければいけません。



でも、この「解けない問題」に戦う力は、

ただ勉強する力だけでなく、これから「生きていく」力にもなることは

間違いないと思うのです。



僕はまだたった二十何年間しか生きていませんが、

それでも「思い通りにならない」経験をたくさんしてきました。

それはきっと自分だけではなく、

誰しもが、周りから見れば上手くいっているように見える人でも

同じように「思い通りにならない」経験をたくさんしているはずです。



思い通りにならないことを目の前にしたときに、

選択する事は大きく分けて2つ。

その問題をクリアしようとするか、

嫌だから避けるか。



それまで思い通りにならない経験を多くして、それに「耐性」がある人は

きっと立ち向かう事はできる。

ただ、思い通りにいく経験ばかりをしていて、

思い通りにならない経験に「耐性」がない人は、

嫌になってしまう。



だから「思い通りにならない経験」をして「それに逃げずに向かい合う」

ということは、実はとても大切なことです。

「若いうちは苦労は買ってでもしろ」というのは、

きっとそういうことなのでしょう。



そして「苦労を買う」「思い通りにならない経験と向かい合う」ことは

勉強でできると思うのです。



もちろん、高校入試なんかの大きなイベントや、

年間数回しかない定期試験でもできますが、

日々の「数学の問題」や「英語の問題」

宿題で出された問題。どんな小さな問題でも、

自分を鍛えてくれる「思い通りにいかない問題」はたくさんあります。



だから、

なかなか答えが出ない問題があったら気持ちを引き締めて望みましょう。

グッとこらえて「負けるものか」といって、立ち向かいましょう。

それを続けた先には素晴らしいものがまっているはずです。



山﨑

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2015年

4月

28日

やらねばならない を やりたい に

続きは2週間後にということで、


あっというまに2週間が経ってしまいました。


今回は


「やらなくてはいけないこと」を「やりたいこと」に変える方法です。


いろいろ考えました。


自分が今一番「これだ!」と思う方法。


ポイントは2つ。



1.心身ともに元気でいる


疲れているときはどんなことをやってみても、

やらなくていはいけないことは、

やりたいことに変わってはいきません。


だからしっかり睡眠をとって、

そして食事をしっかりすること。


これが土台です。



2.5分だけやると決める


「やらなきゃなー」と思っていることは、

やりはじめると案外

「こうしてみたほうがいいかもしれない」

とか

「こうしてみよう」

というのが出てきて夢中になったりすることがあります。


やりはじめると、

気づいたら楽しくなっていたというのはよくあることです。


だから、まずは「5分間だけやる」と決めること。

タイマーではかってもいいかもしれません。


5分経ったらやめる。


もっとやりたくなってきたら、


とりあえずいけるところまでやってみる。



また、


そのことをやった先にいる人を考えながらやるのも


とても有効な手であると思います。





上に書いたのはあくまで僕が思う「いい方法」です。


人によって、何が自分の行動のモチベーションになっているかは違うと思うので、


自分なりの「have  to」を「want  to」にかえる術を用意してみましょう。




山﨑


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2015年

4月

14日

「やりたいこと」「やるべきこと」どちらが大切?

好きなことを大切に。

 

これは本当に生徒に伝えたい。

 

自分が何も意識しなくても思わずやってしまうこと。

やり続けてしまうこと。

やり続けてしまうがために、

気づいたらその道のプロになってしまう。

そして、それが人の役に立つことだってある。

つまり仕事になるということ。

 

だからこれを簡単にやめてしまってはいけない。

役に立つ、立たないではなく、

自分が心からしたいと思うこと。

これを大切にしてほしい。

 


ただ、同時に存在する、そしてきっとこの先一生なくならない

「やるべきこと、やらなくてはいけないこと」

これも大切にしてほしい。

 

最終的には

「自分がやりたいことが人の役に立ち、仕事になる」

これがいい。

 

でも、これは実は結構先にあって、

その前に幾多の「やるべきこと、やらなくてはいけないこと」

を通過しなくてはならない。

 

これから逃げてしまえば、

自分が本当に到達したいところから離れていってしまうかもしれない。

 

 

「やりたいこと」と「やるべきこと」

これはどちらが大切、どちらが大切ではない、という話ではない。

どちらも大切。

 

 


 

 

でも、道はそれだけではない。

 

こんな道が歩めるのなら、もっといい。

 

「やるべきこと、やらなくてはいけないこと」

「やりたいこと、ワクワクすること」

にして通過するという道。

 

 

これができれば、

結局は「やりたいこと」のみをし続ける人生になる。

なんとすばらしいことではありませんか!

そして気づいたら本当にやりたいことをやって人の役に立てる。

こんな道もあるわけです。


どうすれば、「やるべきこと」を「やりたいこと」に変えられるのか?

 

…続きは2週間後に!

(この2週間で考えてみます!)

 

 

山﨑



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本日のまとめ

・「やりたいこと」「やるべきこと」はどちらも大切。

・でも「やるべきこと」を「やりたいこと」に変えられたら尚よし!


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2015年

2月

03日

最高の『今』を!

1秒が60個集まると何なりますか?


1分です。


1分が60個集まると何になりますか。


1時間です。


1時間が24個集まると…


24時間。


24時間が大体30個くらい集まると、


1ヶ月。


1ヶ月が12個集まると


1年。


では、1年が、男性で平均80個くらい、

女性で87個くら集まると何になるでしょう?


…『一生』です。



ごくごく、あたり前のことですが、


逆に考えると1つ見えてくるものがあります。


『一生』は何が、男性で平均80個くらい、女性で87個くら集まったものですか?


1年です。


1年は何か12個…


(中略)


1分は何が60個集まったものですか?


『1秒』です。

人の『一生』を考えると結局『1秒』の集まりです。


つまり

『1秒』の積み重ねが

『一生』というわけです。


では『一生』をいいものにしていくためにはどうすればいいか?

そうです。

『1秒』、つまり『今まさにこの瞬間』をいいものにしていく。

それが積み重なって『一生』になるのだと思います。


時間には「過去」「現在」「未来」があると言われますが

僕たちが生きることができるのは「現在」、

つまり『今まさにこの瞬間』のみです。

もちろん「現在」を生きる際に「過去」「未来」を

考えながら生きていることもあります。

しかし、それも「現在」です。



今この瞬間に、自分ができることを懸命に。

終わってしまった過去を後悔するわけでもなく、

まだ起こってない未来を心配するのでなく、

『今まさにこの瞬間』を最高のものにしていく。



ただ、それだけです!



山崎

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2015年

1月

20日

頑張って、逃げない。

人生の中で「ここ一番」というところは、

たくさんある。

たくさんあるが、

「ここ一番」の中の「ここ一番」という場面はなかなかない。


だからこそ「ここ一番」の中の「ここ一番」という場面を大切にしたい。


だってそこでしかできない経験ある大切な場面だから。




人間は生きているなかでいろいろなことを学びますが、

その場面でしか学べないことというのがあるように思うのです。


一生懸命やってうまくいった時の経験。

嬉しいし、自身にもなります。

うまくいくにはこうすればいいんだ、ということを学べます。

これはうまくいったときにしか学べません。


逆にいくら頑張ってもうまくいかないとき。

自分では決して頑張ってないとは思わないのに、結果がでない。

周りではもっとうまくやっている人がいるように見えるのに、

自分だけ全然うまくいっていない気がする。

もどかしい。嫌になる。だから逃げたい。


こんな時は非常に辛いときです。苦しいです。

でも逃げずに、無理に立ち向かわなくてもいいから、逃げずに。


こんな時にしか学べないことがあるんです。


むしろ、これこそが本当に大きな学びになり、

「あのときの苦しい経験があったからこそ、今がある」

なんてほどのでっかい経験になる可能性だってあるんです。

いや、可能性ではありません。必ずそうなります。


だからこそ、受験は本当にたくさんのことを学べる。


今の自分のままでいけるところへ、という人はもちろんそれでもいい。

その考えを否定しよとはまったく思いません。



ただ高い山を越えようとしている人は、

きっとその道すがらで本当に苦しい思いをする。

でも忘れないでおきたい。

苦しくても、簡単に下山するという選択をしない。

苦しくても、なんとしてでもそこにとどまろう。

そして、進めそうなら一歩踏み出そう。

もっといけそうなら早足で進んでみよう。

そんな気持ちを頭の片隅に置いておいてほしい。


立ち向かう事も大切ですが、

同じくらい「逃げない」こともきっと大切。


言葉で簡単にいうほど簡単なものではないです。

でも、ともに登りましょう。高い山を。

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2015年

1月

06日

環境をつくれ!

遅れながらですが、

新年あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


年末年始が終わり、そして冬期講習も終了。

ここからは入試があり、最後の学年末試験、

それが終われば春期講習という、

気づけば今年度が終わっているというラッシュがはじまりそうです。


今年の年末年始も頑張って掃除をしました。

7月に引っ越しをして、

段ボールが残ったままになった部屋。

この段ボールを年越させるわけにはいかん!

ということで、

一念発起して徹底大掃除。

とにかく妥協せず、満足いくまでやり切るべしと決めて、

1日がかりでやった大掃除。


捨てる物はすてて(ゴミ袋6袋ほどになりました)

売る物は売る(ブックオフで売ったらいくらになるのか…?)

とにかくシンプルに。


その結果。


なんとも気持ちいい部屋になったこと、なったこと!

素敵な気持ちで新年を迎えました。




■この大掃除から学んだこと


1.環境が良いと、心も気持ち良い。

  心が曇っているときは、整理整頓から。


2.自分がこうしたいというものは、

  妥協さえしなければ

  自分でつくることができる。




環境というのは与えられるようじゃダメだ。自分でつくりだすもの。

by 本田圭佑


自分でつくりました!

by山崎恵介



会社のデスク周りが未だに整理整頓されていないのは、秘密です。


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2014年

12月

23日

工夫が世界を変える

こんにちは!


師走になり、冷えてきましたね

ここまで冷えてくるとだんだんしんどくなってくるもの。

それは

「自転車通勤」



走り出して10分後はもう全然大丈夫です。

でもそれまでが大変!




そんな中で最近見つけたのが

 

iPhoneで自転車の速度なんかが測れるアプリ。

 

 


僕の自転車は

結構スピードがでるんですね。




ただ、

「どれくらいのスピードがでているのか?」

それがいつも気になっていました。

そのアプリを購入。

そして、自転車にiPhoneを設置するためのパーツも購入。

これをつけてさらにiPhoneを設置して自転車で走りだすと

それはもう面白い!

現在の速度だけでなく、

走った距離、経路、起伏なども分かります。










はじめて1週間ほどで最高速度が時速40キロにまで来ました。

実際にはどれくらいでるものなのでしょうか…?

徐々に伸ばしていきたいところです!




ちなみにこんな使い方も面白い。








電車ってどのくらいの速度がでているのかな?

と思い測定。

アベレージは停車も含めてのスピードなので、

実際は80キロくらいでしょうか。

(ちなみにこの画像は 東急東横線「菊名駅」~「横浜駅」 を測定したもの)

最高は時速100キロ越えです!

…完全に誤ったサイクルコンピュータの使い方(笑)

 

 

 

 

 

これまで「苦痛」に近かった自転車通勤が

 

すこし「楽しみ」に変わった瞬間です。

 

勉強でも

 

目の前のことを「楽しく」できる工夫はいろいろとあります。

 

お金をかけられるのなら、

 

お気に入りのペンやノートなんかを買ってもいいかもしれません。

 

お金をかけなくても、

 

「タイムアタック」みたいに、制限を設けてゲームのようにやってもいいかもしれません。

 

「工夫一つで世界は変わる」

 

そんなことを日々試していけたらいいでのではないでしょうか。




山崎

 


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2014年

11月

25日

1日1日、そしてまた1日

今日、聖賢豪傑になろうと志を立てたならば、

明日明後日と次第に自分の聖賢豪傑らしからぬ部分を取り去っていく。

そうすれば、どんなに才能が足らず、学識の乏しい者でも、

最後には聖賢豪傑の地位に到達できるはずである。

by 橋本左内



結局大切なのは、

その日1日1日の積み重ねで、

その積み重ねがしっかりできていれば、自然と自分が理想とする姿に近づきます。

それができていなければ、近づくことはできません。

一気に近づこうと思ってやってみたら、

きっと一気に近づくかことができるかもしれません。

でもそれを続けることが出来るか…?


大事なのは「その日1日で何ができるようになったか?」

または「その日1日で何を学んだか?」

それがある1日は、仮に気分的に嫌なことがあっても「いい1日」、

それがない1日は、仮に気分的に良いことがあっても「悪い1日」。


それを着々と積み重ねていく。

ローマは1日にしてならず

という言葉の通り、

生徒たちが取り組んでいる勉強も、

自分たちが取り組んでいる仕事も、

大きな花が咲くまで水をやり続ける。


捲まず撓まずやっていくのは、

非常に根気がいることですが、

行き詰まったら「なぜ自分はこれをやっているのか?」

と初心に返ってみること。

そして突っ走りすぎていたら少し休むこと。


入試ももうすぐですが、

やはり1日1日。

うまくいかないことがあっても、焦らなくたって、

1日1日積み重ねていけば、それでOK。

一緒に積み重ねていきましょう!





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2014年

11月

11日

立ち向かえ!

今からおよそ10年前の話。

当時ボクシングのエドウィン・バレロ選手は15戦連続1ラウンドKOの記録をもつ世界記録保持者でした。

常に、わずか1ラウンド3分で相手を叩きのめしてしまう圧倒的な強さ。


その圧倒的すぎる強さから、なんと対戦相手がいなくなってしまいます。

そこで対戦相手を募集。

その条件とは、「対戦者は1ラウンド立ってさえいれば賞金100万円」という前代未聞の条件。


そんな条件の中でもなかなか手が挙がらなかったところで、

名乗り上げた一人の選手。

それが「阪東ヒーロー」選手でした。


この試合の結果はいかに!?


勝負は1ラウンドもしないうちに決しました。


なんと阪東選手は怪物を相手に真っ向から立ち向かったのです。


1ラウンドを逃げ切りさえすれば、100万円もらえるという試合なのに、

逃げるどころか、勝ちにいったのです。

1ラウンド目から全力で立ち向かい、怪物の強打をひたすら浴びながらも一歩も引くことがないのです。

試合がはじまり、1分50秒。

バレロ選手の強烈なパンチを受け、阪東選手はダウンします。

でも、ダウンするときですら、前に倒れました。

後ろではなく、「前」に倒れたのです。


この試合のあと、

阪東選手のもとには「感動した!」という手紙が全国から数千通も

届いたそうです。


参考文献:ひすいこたろう『心にズドンと響く「運命」の言葉』

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


勝負事には、「勝ち」と「負け」が存在します。

どんなことであっても、やるからには勝ちたい。

勝ちにこだわって、こだわり抜きたい。

負けてもいいや、ではなく、

勝ちたいから全力でやることは、本当に大事なことです。


でも単純に「勝てばいい」というものでもないと思うのです。


そんなにこだわらずに、全力も出さずに勝ってしまった。

そんな「勝ち」には「価値」はありません。


勝ち・負けというのは「記録」にのこりますが、

人の「記憶」に残るのは「勝ち・負け」の結果ではなく、

きっと、「その人がその勝負にどんな姿勢で向かっていったか」

だと思うのです。


負けてもいいとははじめからいってはいけません。

全力をだして、向かっていく。

でもその結果、倒れても、「前」に倒れるくらい向かっていったのなら、

それでいい。


もうすぐ定期試験がはじまります。

生徒も、そして先生も、

そんな気概をもって試験という「怪物」に向かっていけたら、

きっと「記憶」に残る試験になるでしょう。


あと1週間!

頑張りましょう!





山崎

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2014年

9月

30日

一歩踏み出してみる

私が、例えばA君に

 

「英語の単語を覚えるのなんてすぐにできるんだから、

 パッとやってしまいなさい」

 

と言った時に、それをそばで聞いていて、

 

「そうだよな、さっと終わらせてしまえばいいのに」

と思うB君もいれば、

 

「この人、何をそんな大変なことを軽々と言っているの!?」

と思うC君もいるだろう。

 

例えばある人がA君に

「話が聞きづらいから、もっと滑舌よく話ないさい」

 

というのをそばで聞いていて、

 

「たしかにそうだよな、そうしたほうがいいわ」

と思うB君も入れば、

 

「そんな無茶なことを平気で言って…」

と思う私もいるわけです。

 

 

いや、何が言いたいのかというと、

 

「人はそれぞれ、苦手なこと、得意なことは違う」

 

ということです。

あたり前のことではあります。

 

ただ、

自分の苦手なことに対して、

どう接しているか?

 

それを放っておくのか、

それとも克服しようとするのか。

ひょっとしたらそれを逆に取って上手に活かす手なんかもあるかもしれません。

 

少なくとも言えるのは、

「自分が逃げ続けたことというのは、

逃げ切ったと思っても、

またいつかは自分の目の前に現れる」

ということ。

 

 

うまく逃げてやったと思っても、

先回りをして実は自分を待ち構えています。

 

もちろんそれを承知の上で逃げてもいいかもしれません、

「また立ち向かえるときになったら立ち向かう」

そのスタンスでもいいかもしれません。

 

でも、

今ここで立ち向かってもいいかもしれません。

立ち向かえば、

そのときは確かにくるしいでしょう。

でも必ずそれは克服できます。

必ずです。

 

だから苦しい思いをすると決めて、

グッと覚悟を決めて

一歩を踏み出す。

 

それができれば解決です。

 

 

 

 

練習というのは、苦手意識を慣れで克服することです。泳ぐ練習をするうちに、水が怖くなくなるのと同じです。だから、最初から「自分には無理」という発想でものごとを見ず、ポジティブに考えていくのが僕のやり方です。

by 松岡修造

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2014年

9月

16日

頭の中に、道をつくる

昔(例えば江戸時代)は車などない。

だから例えば大阪から東京に行くにしても、

徒歩で行かなければならない。

 

坂本龍馬は土佐藩(現在の高知県)出身ですが、

土佐から江戸は普通に歩くと半月(15日)かかったようです。

ただ、昼夜走りっぱなしで行くと、

なんと4日で行けるそうです。

実際に手紙を出す際に「至急便」というものを選ぶと、

4日で着いたとか。…恐るべしです。

 

ただそれ以前は、例えば「五街道」なんという道は整備されていなかったわけで、

きっともっと時間がかかったのでしょう。

 

明治になるとさらに道路が整備され、

一部では鉄道ができます。

そして馬車なども走りまじめました。

 

そしてその後も

自転車ができ、

そして電車、

新幹線、

はたまた飛行機なんてものが登場して、

ある地点から別のある地点に行くまでの時間が、

どんどん短縮されていくことになります。

 

これまでの人々の、

それはもう多大な努力によって、

短時間での移動が可能になったわけです。

 

 

 

 

 

 

実は人の頭の中もこれと同じだと思うのです。

 

 

 

 

 

自分が何か新しい問題を解く、

または解決することになったときに、

それに対してかかる時間は、結構長いです。

当然と言えば当然です。

初めて出会う問題というのは、そう簡単にできるものではありません。

だから「考える」のに時間がかかる。

 

しかし、

一旦その解き方、解決方法を知ったのなら、

次に同じ問題ができてきもあまり時間はかかりません。

それは、その問題を解決までもっていく「道のり」を知ったからです。

頭の中にその問題をとく「道」ができたんです。

同じような問題を解けば解くほど、時間は早くなります。

頭の中の「道」を「歩いて」いたのが

今度は「自転車」、「自動車」などで移動できるようになるイメージです。

 

さらにいろんな種類の問題に出会い、

それを解いて解決していくたびに、「道」ができ、

多くこなしていくことによって「道を早く通れる」、

つまりより早く解決できることになっていくわけです。

さらに道どうしがつながっていくと、

似たような問題に「応用」が利くようになっていきます。

これがいわゆる「頭が良い」という状態です。

 

しかし、

僕たちは往々にしてこのことを忘れてしまう。

はじめて出会った問題にができなかったり、

時間がかかったりうまくいかないときに、

「自分にはできない」、「向かない」、「面倒だ」とか

そんな風に考えてしまう。

 

それは、いわば、

「道がない状態で、3日で歩いて土佐から江戸から行くこと」

に対して、

「自分にはそれはできないから土佐から江戸にいく力はない」

と思うことと同じです。

段階を踏まずにいきなりやろうとしても無理に決まっているのです。

それは誰でも同じです。

 

まずは時間をかけて「道」を作らなければならないのです。

そして、何回も往復すれば、より早く行けるようになるでしょう。

さらに考えて、工夫すれば「自転車」や「自動車」はたまた「新幹線」

などの移動手段を生むこともできるでしょう。

 

だから、

「自分はできない」という前に、

まずは「自分の中に道はあるのか?」ということをまず考える。

もし「道」ができていないなら、作らなければならない。

「道」を作るのは大変です。

しかし、「考える時間」に比例して「道」はどんどん大きくなります。

考えれば考えるほど、道ができるのです。

仮にその問題が解けなかったとしても、

考える時間がたくさん取れたなら、

始点と終点は結ばれていないものの、「道」は確実にできていないます。

粘り強く考える。

それれが道を作るコツです。

 

まずは、地道に道をつくりましょう。

そして、いつかは自分の頭の中に

「自動車」や「新幹線」が通ることを信じましょう。

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2014年

7月

01日

諦めない

マイケルジョーダンの名言

 

「高校時代は代表チームからの選考に漏れた。

9000回以上シュートを外し、300試合に敗れ、決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も何度も失敗して来た。だから私は成功した。」

 

 

 

これから、「失敗しても諦めるな」という話をします。

 

でも、その話をする前に大切なことがあります。

 

マイケルジョーダンはなんで成功したのか?

それは「何回失敗しても諦めなかったから」

 

僕は、そうではないと思うのです。

 

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

マイケルジョーダンは少年時代に

野球、アメリカンフットボール、バスケットボールといったスポーツをやり、

どれも優秀でスポーツが万能でした。

 

ただ少年時代は身長が低く、家族もみな170センチ程度だったため、

高校に入るまでは、将来スポーツ選手になることをまったく考えていなかったといいます。

 

そんなマイケルに大きな転機が。

 

身長が低かったマイケルは、高校に入学したころに178cmになっていました。

 

ある時、高校のバスケットボールチームの代表選抜に1人昇格できるという噂が流れます。

 

ジュニア選抜だったマイケルは、バスケにおいて成果をあげていたので、

それに自分が選ばれるという自身がありました。

 

しかし、

結果は落選。

「身長が低い」

ただそれだけが理由だったのです。

 

選抜に漏れたマイケルは、その日は1日中涙を流しました。

 

マイケル・ジョーダン、人生初の挫折です。

 

しかし、マイケルは諦めませんでした。

 

このつらい経験をバネにしてさらに高い目標を自分に課すのです。

「代表選抜に選ばれるだけでなく、最高のプレーヤーになること。」

それを、決断したのです。

 

そして、マイケルの猛特訓がはじまりました。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

失敗しても諦めないということはとても大切です。

 

ただ、失敗しても諦めなかったから成功したのではなく、

「最高のプレーヤーになる。」

そう決断したから成功したと思うのです。

 

そして、その背景には大きな「挫折」があったのです。

 

 

 

 

一生懸命準備をして、本番に臨めば臨むほど、

失敗してしまったときのショックが大きい。

 

だから、やらないのです。

失敗はとても怖いです。

その怖さを味わうくらいなら、やらないほうがいい。

「やってもできない」

それが分かるのが怖いから、やらないという選択を選ぶ。

 

 

でも、

一生懸命やって、失敗した時にしか手に入らないものが、絶対にあるのです。

一生懸命やってうまくいかないで流す涙はつらいでしょう。

だからその時は気づかないかもしれません。

でもまちがいなく、あなたはとても大きなものを手にいれたのです。

そして、それはあなたを確実に一回り大きくします。

 

 

悔しさはない。

しかし、嬉しさもさほどない。

それも選択。

でも、

とても悔しいか、とても嬉しいか。

大変な選択ではあるけども、とても充実した選択です。

 

 

だから、一生懸命やって、「一生懸命やっても自分には無理」

なんて言うのはやめよう。

悔し涙を流して、それをバネにして次への貴い一歩を踏み出そう。

 

 

失敗しても諦めるな。

 

 

 

山崎

 

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2014年

6月

17日

決断

人生は決断の連続だ

 

 

 

なんて言うふうに言われますが、

確かにその通りです。

 

朝ご飯何にしよう

なんて軽い決断から、

校舎の今後の方向を決めてしまうような

重い決断まで、様々。

 

 

軽いものなら「失敗してもまた」

なんて気持ちでさっと決めてしまうこともできますが、

重ければ重いほど、慎重にもなるし、考え込んでしまう。

「本当にそれでいいのか」と。

はたしてそれでうまくいくのだろうかと。

 

 

今日は、聡明舎を離れる生徒と話をしました。

これまで長く通っていてくれた生徒が離れてしまうのは、

本当に悲しいことです。

でも、本当に迷って、迷って決めた決断なのだと思うのです。

 

 

これからこれまで通っていた塾ではない違う塾に行くということは、

一つの「挑戦」でもあります。

どんな先生がいるか分からない、

どんな生徒がいるか分からない。

うまくなじめない可能性だってあるわけです。

 

 

でも、そちらに行くことを決断した。

 

 

そんな決断をした生徒に、

何かを伝えたい。

そんなことを考えていたらふと思いつきました。

 

 

決断そのもの自体に「良い」も「悪い」もない。

結局その決断がいいものになるか悪いものになるかは、

決断したあとの自分の行動が決める…

のかもしれない。

 

 

 

本当に迷う時は「どちらの決断も同じくらい良い(または悪い)」

から選べないのであって、大差はありません。

 

 

 

だから、

決断をしたのなら、

その決断をいいものにして、「後悔」しないようにするためには、

あとはその決断を信じて「行動する」のみ。

何も考えません。

その決断は必ず正しいのだから。

 

 

 

なんてかっこつけて書いてしまいましたが、

簡単なことではありません。

 

でも心においておきたいものです。

 

 

山崎

 

 

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2014年

6月

03日

プロになる

最近また、素敵な言葉に出会いました。

『お金を払う側がお礼を言ってくれるくらいじゃないと、プロとは言えない』

高橋淳(パイロット・88歳)

 

 

 

 

仕事をしていると、

仕事はいろんな人と関わり、そして色んな人に支えられているものだということを感じます。

塾で言えば、通ってくれる生徒、その保護者の方、そして会社の上司、同僚、後輩、はたまた郵便配達をしてくれる方、宅配便を届けてくれる方、ビルを掃除してくれる方、入り口のマットを定期的に交換してくれる方、、、すべて書こうと思うと時間がかかってしまいそうなので、一旦ここで切り上げますが、多くの人に関わって、支えられている訳です。

 

その中でも塾である聡明舎のお客様は

「通ってくれている生徒のみんな・保護者の方」です。

お金をいただいて、

そしてこちらがサービスを提供させてもらっています。

お金をいただいているお客様にもっと満足してもらうために、

授業の研修をしたり、

どうすればもっとよくなるか、

といったことを話し合ったりします。

 

 

 

その結果、

「ありがとう」

という言葉をいただけたら、本当に嬉しいわけです。

だって、

お金をいただいている以上、

必要なサービスを提供するのは、もはや「当然」のことです。

そのお客様が「当然だろう」ということを上回ることができて

はじめていただける言葉が「ありがとう」であると思うのです。

 

 

 

それとはまた別の話で、

聡明舎は勉強を一生懸命やりながら、

勉強以上に大切なことを伝えている塾です。

 

 

「感謝の気持ちを持とう」

 

 

そんな話をします。

まずは形から、ということで、

生徒には試験対策 ※注)の授業のあとに

「『試験対策ありがとうございました』と言って帰ろう」

と言っています。

そういうことで、湧いてくる感謝の気持ちもあると思うからです。

 

 

だから、生徒は素直に

「試験対策ありがとうございました!」

と言って帰ってくれます。

 

 

もちろん、「感謝の気持ちをしっかり言葉に出す」

ということはとても大事です。

ただ、それとは全く別に、

自分としては

「相手が心からそう言えていないのであれば、こちらの負け」

と思わなくてはいけません。

 

相手の期待をこえたときに、自然と出て来る言葉。

本心から「ありがとう」と言えるようなことをすることはできたのか?

そういう気持ちは忘れないでいたいと思うのです。

 

 

『お金を払う側がお礼を言ってくれるくらいじゃないと、プロとは言えない』

 

思わず、

「ありがとう」と言ってしまう。

そんなプロでありたいな...と思いながらまた日々頑張ります。

 

山崎

 

 

注)「試験対策」

  聡明舎では定期試験の2週間ほど前から、授業の時間が長くなり、テストに向けて問題演習が中心なる「試験対策授業」を行います。また試験対策期間は日曜日など、普段授業が無い日も授業をやったりします。

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2014年

5月

20日

守って、伝える

最近瀬谷校のほうに卒業生が顔を出してくれました。

何やから高校の授業で分からないことがあるということで、

一生懸命数学のことを聞いていました。

 

そしてそのあとは久しぶり(といっても2ヶ月ぶりくらい)の校舎を見て

「あれが変わってる!」

とか

「私たちの写真がない!」

とか

昔こんなことがあったとか、あれがおもしろかったとか、

あの先生にはこんなクセがあるとか、

まあくだらないことをたくさん笑いながら話しました。

 

 

こんなふうに楽しそうに、

嬉しそうに顔を出してくれて嬉しいな、と

本当に思ったんです。

 

 

聡明舎という塾は、きっと他の塾とは少し(いや、かなり?)

違った部分がある塾だと思います。

 

中にはそれが嫌だと言う人もいます。

それを面倒くさいという人もいるかもしれません。

 

でも、それをとても気に入ってくれる人もいます。

それがいいから聡明舎を選ぶんだと言う人もいるでしょう。

 

そんな人のために、

聡明舎はきっとあるんですね。

 

その「聡明舎たるもの」というのは、

確かに聡明舎の中にあるものですが、

それはそのままにしておくだけで、

いつまでもそこにあるというものではありません。

 

時にはしっかり掃除をしてそれがしっかりその場所にあることを

確認しなければならないし、

ときには磨いたりして、もっときれいにしなければなりません。

部屋が汚くならないように掃除したり、

友人と疎遠にならないように連絡を取り合ったりするのと同じように、

気にかけて、守って、伝えていかなければなりません。

 

 

そうやって、

聡明舎たるものを守って、

伝えていって、

それを好きになって卒業してくれた子たちが、

 

世の中で、自分の場所で活躍する。

困ったとき、何かを決断する時。

そんなときに思い出してくれたらと思うのです。

 

 

聡明舎っていい、

聡明舎ってカッコいい。

だから自分もそんな生き方がしたい。

 

そんなふうに思ってくれて通ってくれた人のために、

そしてこれからそれを期待して通ってくれる人のために

頑張っていこうと。

そう思うのです。

 

 

 

山崎

 

 

 

 

 

 

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2014年

5月

06日

「考える」先にあるもの

たまたま朝のニュースを見ていたら、

小学生の自由研究の取り組みを紹介していました。

 

今回ニュースで紹介されていたのはこちらです。

http://www.shizecon.net/sakuhin/52es_aki.html

 

いや、これはすごい!

なんだこれは?

読んでいるとだんだん分からなくなって来るくらい、詳細な記録(笑)

思わず唸ってしまいます。

 

なんと自由研究で「2000回」以上の実験をしたのだとか。

たかがボーリングのストライクも、

考えて、考え抜かれるとまたちがった面白さが見えます。

 

「考える」ということは、

時には楽しいことであり、

また時には面倒なことであったりします。

 

考えてもなかなか答えが見つからない時は、

やはりだんだん面倒になってくるものだし、

答えが出そうな時や、

何かワクワクすることに向かって考えている時は

とても楽しい時間となります。

 

この「考える」というのは人間に与えられた賜物。

 

動物も考えることができるのかもしれませんが、

人間のように、深く考えることはあまりできません。

 

だから、これを使わないともったいない。

 

大きなことでなくても構わない。

日常の中で見つける

「なぜ?」

「どうなっているの?」

「どうすればいい?」

そんなことをちょっと考えてみる。

 

「考える」という行動の先に、「楽しさ」がある。

逆に言うと、

「考えない」という行動の先には「退屈」が待っている気がするのです。

 

考えないということは、

きっと最終的に行きつく先は「まわりにすべてを左右される」生活。

考えずに行動を続ければ、

結局、目の前のことにその場の考えや感情に左右されるだけ。

そんなの絶対に楽しくはないじゃないですか。

 

考えることの根本には

「好奇心」や「自分がこうしたいという欲」

があると思うのです。

だからそれをもとに考えて行動していけば

いつか(どれくらいの時間がかかるか分かりませんが)

自分だけの「道」にたどり着くはずです。

 

「誰かの道」

ではなく

「自分の道」。

 

響きはカッコいいですが、

たどり着くのは大変ですね。

でも、きっと良い道のりになるでしょう。

 

一緒に考えていきましょう。

 

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2014年

4月

22日

失敗を味方に

中学生になると、年に4、5回の「定期試験」があります。

聡明舎では、それに加えて年に4、5回「模擬試験」を行います。

なので、年間8回〜10回、自分の実力が試される機会があるということです。

およそ1ヶ月に1回は「自分が試される」機会があるわけです。

 

この機会をどう考えるか?

 

結果が出れば嬉しいでしょう。

結果が出なければ、悔しいし、落ち込むこともあるでしょう。

 

でもこれだけは忘れてはいけません。

この機会は、間違いなく自分を成長させてくれる機会です。

 

イチロー選手にまつわる、こんなお話を。

 

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

1994年4月11日。

 

オリックス・ブルーウェーブ対西武ライオンズ

 

場面は9回、負けている状況での先頭打者はイチロー。

相手ピッチャーのボールを容易に捉えたイチロー選手は、

ヒットになるボールをイメージしながら走り出した。

しかし結果はボテボテのセカンドゴロ。

試合を見ていたファンが肩を落とす一方、

一塁を駆け抜けたイチロー選手は今までにない感覚を覚え、

にやりと笑みを浮かべるのだった…。

 

そのあと、イチロー選手はこう語っている。

 

「かなり高い確立でヒットになるはずだったんです。

でも現実にはそれが単なるセカンドゴロに終わった。」

 

「自分のイメージに描いたフォームと

セカンドゴロになってしまった実際のフォームとを重ね合わせ、

その違いを考えてみました。方程式を解くようにて。

そうしたらはっきりとした回答が見つかったんですよ。

こんなにも明確な回答を手に入れたのは、

僕の野球人生の中ではじめてでした。」

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 
はたから見れば、どう見てもその結果は「失敗」です。
しかし、この年、
なんとイチロー選手は前人未踏の「200本安打」を達成したのです。
この偉大な記録は、一つの小さな失敗から生まれた。
そういっても過言ではありません。
 
 
 
 
自分の実力が試される機会は、たくさんあります。
 
しかし、この機会を、ただ
「嬉しい」「悔しい」「楽しい」「残念」
そんな一時の感情で終わらせてしまうのは、
あまりにもったいなすぎると思うのです。
 
今ある目の前の結果は、
自分が伸びるために何をすればいいか、
はっきりとは教えてくれません。
でも、ちゃんと教えを請えば、必ず教えてくれます。
「こうすれば、もっと伸びる。まだまだ、いける。」
 
 
目の前の結果を良く見て、
教えてもらいましょう。
もっと成長する方法を。
 
失敗を「自分を落ち込ませる敵」ではなく、
「自分を成長させてくれる味方」にしましょう。
 

 

 

山崎

 

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2014年

4月

09日

キャッチコピー、集めてみました。

言葉は人生を変える。

 

今回は、いろんなおかしな、素敵な、言葉を紹介してみようと思います。

 

いろんな企業のキャッチコピー。

現段階での山﨑の勝手なベスト10!

 

第10位 「女性の美しさは都市の一部です。」

     資生堂

 

 ↑都市の一部にしちゃうくらい、とっても大切な女性の美しさ。

  こんなふうに表現されたら、『わたしももっと美しくしなきゃ』

  なんてふうに思ってしまうでしょうか。」  

 

第9位 「一本しか売ってなかった」と好きな子に嘘をついた。

     ポカリスエット

 

 ↑「青春」まっただ中なこの一言。

  女の子の皆さん、男子がそういってあなたにポカリを渡したら、

  それはあなたが好きだという証拠です(笑)

  

第8位 「君が好きだと言うかわりに、シャッターを押した。」

     オリンパス商事

 

 ↑カメラを買いたくなってしまう、秀逸なコピーです。

  でもそれ以上に恋もしたくなっちゃうという意味でも、秀逸なコピー。

 

第7位 「青空は、史上最大の読書灯である。」

     新潮文庫

 

 ↑こんなのが本の帯に書いていようものなら、

  とりあえずなんでもいいから文庫本を買って、

  外へ出ます。これ見よがしに読んじゃいますね。

 

第6位 「一目で義理チョコとわかるチョコ」

     ブラックサンダー

 

 ↑これを目にして2月14日にブラックサンダーを買った人は

 いったいどれだけいたのだろう…。

 

第5位 「のぞみへ、先にいってるね。」

     JAL

 

 ↑いやー、この○Rへの挑戦っぷり!(笑)

  こんなこと言っちゃっていいの?という感じですが、

  でもこんなの見たら、「やっぱ飛行機かな…」なんて思わずにはいられない。

 

 

第4位 「有給とって家にいた。」

     積水化学工業

 

 ↑こんな短い言葉で、家の快適さを伝え切ってしまうこのコピー。

  威力が半端ないです。

  私もこんな家に住みたい。(切実)

 

第3位 「ぼくが、一生の間に会える、ひとにぎりの人の中に、

     あなたがいました。」

     サントリー

 

 ↑いったいどこからこんな言葉が生まれるのでしょう。

  こんなことを言われようものなら、もうその人のことを好きになっちゃう

  人たらしコピー。

  ラブレター(古い?)の最後に使うのにはあまりに威力を発揮してしまうので

  控えましょう。

 

第2位 「駅前留学」

     NOVA

 

  ↑あまりに当たり前のように定着してしまったこの一言。

   でも、たった4文字でここまで「NOVA」のウリを表現してしまう

   のは本当にすごいとしか言いようがありません。

   言葉の可能性しか感じないコピーです。

 

第1位 「母から初めての宅急便。

     段ボールごときで自分が泣くなんて、知らなかった。」

     ハウスメイト

 

  ↑初めて見たとき、かなりグッと来てしまったのです。

   何もいいません。感じてください。そんなコピー。

 

 

こう見てみると、

可能性というか、

言葉そのものの面白さが見えてきます。

言葉ってなんて面白いんだろうと思わずにはいれません。

 

第2弾も決行します!(日時は未定。)

 

乞うご期待!

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2014年

3月

25日

ハッピーエンドにまつわる困難について

先日面白い映画を見ました。

タイトルは「アナと雪の女王」

ディズニーの映画で、最近話題になっているようで、ご存知の方も多いかもしれません。

 

映画の所々で歌が入ってくるような映画だということは知っていたので、

そこまで強烈に「見たい!」という気持ちはなかったのですが、

話題になっていた、ただそれだけの理由で見てみることにしました。

 

本であっても、

歌であっても、

ほかのものであっても、

「流行っているもの」

「話題になっているもの」

というのは、やはりそれにはそれなりの理由があるんですね。

 

やはり、とても面白かったのです。

 

もちろん中身の細かい内容はお話できませんが、

ざっくり話すと「最後はめでたし、めでたし」という内容です。

 

人はやっぱり「幸せな結末」が好きなので、

映画であったり、

本であったりというのは、

基本的には「ハッピーエンド」で終わるのですね。

 

僕もやっぱり「ハッピーエンド」が好きなので、

結末が「ハッピーエンド」と分かっていても、やはりそれが好きです。

 

ただ、それまでの間はたくさんの「困難があればあるほど面白い」ので、

それまではたくさんの困難があるといいな、と思います。

 

「アナと雪の女王」はまさにそんな映画なのです。

 

困難が訪れて「解決か?」と思ったらそれを裏切られ、

更にまた困難。

そしてその困難も「解決か?」と思ったら、

更にまたそれも裏切られ、またまた困難再来。

二山も、三山もあるような展開にハラハラドキドキ。

ハッピーエンドとは知っていても、やはりこれだけ山があると目が離せません。

 

自分の人生が「ハッピーエンド」で終わるかどうかは、

もちろん目の前の現実次第というところもあるし、

現実に対する自分の「心の持ちよう」というところも大きいかもしれませんが、

「ハッピーエンドである」ということは信じて持っていたいと思います。

 

ただ同時に、振り返った時に、

自分という物語がまるで映画のようにハラハラドキドキするような一つの「物語」

になっていたら、とても素敵です。

もちろん映画として見る困難と、

実際に自分が経験している困難は全然違います。

 

自分が経験している困難は本当にきつい。

ハラハラドキドキなんてしてなんかいられません。

 

でも、そんな時でも、「きっと最後はハッピーエンド」

と信じることができるかどうかは、きついきつい困難に対する心持ちに大きく影響

するのではないかと思うのです。

 

困難はたくさんある。前途多難であるけれども、

最後はやっぱり「ハッピーエンドで終わる。」

 

こんな物語が僕は好きなのです。

 

ただこんな物語を実際に生きるには本当に「覚悟」が必要です。

 

その覚悟は決まっているような気もしますが、

今はその覚悟はまだ決まっていないかもしれません。

 

でも、いつかきっと覚悟ができる日が来ると信じて、

 

今は一つ一つのことと正面から向かい合おうと思っています。

 

 

山﨑

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2014年

3月

18日

はたらく

自分が何もしていないのに、

なぜかとても便利であったり、

とても快適になっていることは、

大きいレベルにしても、

小さいレベルにしても、

レベルの差こそあれ、たくさん存在している。

 

 

大きいレベルで行ったら、例えば「電車」とか。

お金を入れてボタン一つで切符を買い、

あとは券売機から少し歩いてホームにいき、

電車がきたら、数歩いて、中に入るだけ。

本を読んでも、寝ていても、おしゃべりしても、

勝手に自分が行きたい駅まで自分を運んでくれます。

便利です。とても。

 

 

ぎゅうぎゅうだった、

ファイルを入れてあった棚が驚くほどすっきりして、

使いやすくなっていた。

ぎゅうぎゅうだと、一旦出したファイルは、

しまうときは奥まで入ることができず、

途中で電車の扉にはさまれたように半分ほどでてしまう。

なんとも可哀想で、

しかもそんなやつが続出する。

そんなことがもうないなんて、便利。便利。

 

今年は卒業式でダンスをしました。

なんかポジションがえがやりやすいと思ったら、

ポジション替え一覧がプリントになってまとまっていました。

 

自分はなにもやっていない。

でもなんだかとっても便利。

そんな時はきっと、「誰か」が自分のために、

「チームのために」

頑張ってくれている証です。

 

 

ささいなことかもしれませんが、

それが大きな助けになることがあります。

僕はそんなたくさんの助けにささえられています。

 

 

ありがたいです。

人知れずに誰かを楽にする。

「傍」を「楽」にする。

「はたらく」。

それが仕事なんですね。

いい仕事、

したいです。

 

 

 

 

山﨑

 

 

 

 

 

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2014年

3月

11日

「とりあえず」から

例えば、ある二人がとても遠くにある的に向かって石を投げ、

先にその的に石を当てたほうが勝ちだとしましょう。

 

ある一人は、必死になって考えます。

「どんな石だとあの遠くにあるまとに当てることができるのか?」

「どんな角度で投げればいいのか?」

「どれくらいの力がいいのか?」

そんなことを一生懸命考え、

考えた結果一番まとにあたる確立が高いと思う方法でなげます。

 

 

 

もう一方は、只ひたすら投げる。

とにかく投げる。

手当たりしだい、そこらにある石を投げる。

 

 

 

 

どちらが先に的に石を当てることができたでしょうか?

 

 

 

結果はやってみないと分かりませんが、

きっと「とにかく投げる」を選んだ方でしょう。

 

 

 

最近こんな言葉に出会いました。

 

 

 

「石を投げるとき、石はどこに落ちるのか、落ちる場所ばかり考えていると、

石が投げられなくなる。石がどこに落ちるかは投げてみないと分からない。」

 

 

 

世の中には「考えれば分かること」

「考えても分からないこと」があります。

 

 

 

もちろん、

考え抜いて、

考え抜く必要はあるのですが、

中には、「こればっかはやってみないと分からない」というものも

たくさんあります。

 

 

 

それを、「いや、もっとうまく行く方法があるかもしれない」

「いや、もう少し考えてみれば何かいい案が出て来るかも」

と考えすぎて動けなければ、何も手に入りません。

でも、もし少しでも、本当に小さくても具体的に行動をすることができれば、

何かしらの「経験」はきっと手にはいるでしょう。

 

 

 

人は、目の前に「無理だ」と思うものであったり、

「これは大変だ」と思うものが現れると、

なかなか動けません。

(「人は」というか「自分は」か…)

 

 

 

それでも、まずはどんなに小さな行動でもいいから、

「やってみる」と分かるはず。

あとどれくらいの時間がかかるのか、

どれくらい大変なのか、

「案外簡単じゃん」だったのか…。

 

 

 

 

仮に大変なことだったと分かっても、

「大変なことだと分かった」。

それも一つの大きな経験です。

そこから「じゃあどうする?」

と考えるとっかかりにもなるかもしれないのですから。

 

 

 

考えて分からなければ、行動あるのみ。

まずは小さなことから。

まずは「とりあえず」はじめることから。

 

 

 

 

 

山﨑

 

 

 

 

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2014年

2月

25日

今、自分のやりたいことに加えてみませんか?

高校入試が終わりました。

 

 

高校入試が終わって、

中学3年生は、きっと今が一番楽しいときでしょう。

「自分のやりたいこと」が比較的自由にできるときなので。

「自分のやりたいこと」というのは、

人によって違ってくるかもしれません。

 

 

ある子は

「友達とカラオケ行く!」

また、ある子は

「家族ででかける!」

そして、ある子は

「家でじっくりと本を読む!」

中には、

「何もしないでゴロゴロする!」

 

 

いろんな「したいこと」があるかもしれません。

 

 

でも、そんな「したいことの」の中に入れてみませんか?

 

 

「勉強」を。

 

 

最近どこかで(きっと聡明舎で)こんな話をきいた。

中3の今の時期だからこそ、

自分のやりたいように勉強ができる。

自分の好きな勉強ができる。

 

 

 

高校生になると、やっぱり

また宿題がでたり、

テストがあったり

成績があったり、

受験があったりと、

勉強がみっちりするかもしれませんが、

「自由気ままに」勉強することは難しくなってくるかもしれません。

 

 

 

「自分の好きなように勉強する」

 

 

高校の内容をちょっと自分で予習してもいいかもしれません。

 

中学校で教わって、

「もっとこれ調べてみよう」

と思ったことを、本やネットで調べてもいいかもしれません。

 

世の中にはどんな職業があるのか?

そんなことを調べたり、実際に見にいって見るのも

「勉強」です。

 

勉強は面白い!

 

もし、

それを知らずに卒業してしまいそうなら、

今がきっとチャンスです。

自由に勉強ができるチャンスです。

 

 

 

山﨑

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2014年

2月

18日

ピンチ=チャンス?

こんにちは!

 

 

今日はこんなお話を…。

 

 

 

子供も大人も大好きな『夢の国』と言ったら?

 

もちろん答えは「ディズニーランド」ですね。

 

 

 

このディズニーランド。

もちろん「夢の国」という大きな期待を背負っているだけあって、

「クレーム」もよく来るそうです。

 

 

 

ではこのディズニーランドでクレームが多い時は、

どんな時なのでしょうか?

 

 

 

 

答えは…

 

 

 

「雨の日」です。

 

 

 

なぜか?

 

こんな理由らしいです。

 

 

 

「少し前からこつこつと貯金して、

 

今日は九州から家族4人で来たのに…。

 

来てみれば雨も降っていて、肌寒いわ、

 

期待していたアトラクションも乗れないわ、

 

乗れるアトラクションがあれば長い行列で待つわ

 

それで子供も泣き出すわ…

 

もーどーしてくれるんですか!!!!!」

 

 

 

といった感じで(笑)

 

 

 

どうしようもないですよね、

こんなことを言われても…。

 

 

 

ただ、そこはさすが、ディズニーランド。

 

 

 

チームのリーダーがスタッフを集めて、

 

みんなでどうしたら良いかを考えたんだそうです。

 

 

 

 

そして、

 

その話し合いを経て行われたのが、

 

 

 

 

 

 

「レイニーパレード」

 

 

 

 

雨の日限定のパレードです。

 

パレードの中身はいつもと変わらず、

 

ただその日は、ミッキーをはじめとしたディズニーのキャラクターが、

 

雨の日しか見れないレインコートを来ているのです。

 

 

 

 

ディズニーファンには必見。

 

普段見れないミッキーがいるんですから。

 

写真なんかをバッチリとって、自慢なんかできるわけです。

 

「こんなミッキー見たことないでしょ?」って。

 

 

 

 

だから、

 

「もーどうしてくれるんですか!!!!!」

 

と言っていたお客さんも、

 

パレードを見て帰る時には

 

「今日雨の日にこれてよかったですー♪」

 

と言って帰るのだとか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンチを見事にチャンスに変えたディズニーランド。

 

 

 

 

ピンチの時は、

 

本当にピンチにしか見えないですが、

 

それでも、きっと「チャンス」潜んでいるのかもしれません。

 

 

 

 

ピンチが来たら、

 

「このどこかにチャンスはないか…」

 

なんて考えることができれば、いいのですが。

 

 

 

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2014年

2月

11日

終わり、始まり

中学生が最後の授業を迎えます。

 

もちろんまだ通塾日はあるし、

卒業式もある。

 

でも、中学生として聡明舎で授業を受けるのは、

これが最後です。

 

どんなことにも、

必ず終わりがある。

 

終わりがあることを知れば、

もちろん終わりは大切にすることはできるし、

それまでの過程も大切にすることもできる。

 

 

 

 

 

塾の授業の終わり。

それは、入試の始まりの合図でもある。

そして、入試の終わりは、

きっと高校生の始まりでもある。

 

次はどんな終わりにしようか?

入試が終わったら

まだまだ先のことに想いを馳せてみるのもいいかもしれないです。

 

 

 

山﨑

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2014年

2月

04日

失敗の取扱説明書

聡明舎には「聡明TIMES」という、新聞があります。

聡明舎の中のできごとや、

講師のコラムなどが盛りだくさんの、新聞です。

 

手前味噌ですが、すごい面白いんですよ。

これがまた。

今月号がでたら読まずにはいれない。

そう、例えていうなら、

小学生のときに呼んでいた「コ○コ○コミック」と同じ感覚。

(分かりづらい?)

 

 

僕が毎回楽しみにしているのが

「大喜利」のコーナー。

 

 

講師が投稿した渾身の一作はもちろん、

最近では生徒の投稿が結構増えてきているのも、またうれしいです。

それも、面白い。

 

 

 

ちなみに、

今回のお題はこれ

「映画ライムライトの名言でぼけてください

 『死と同じように避けられないものがある。それは○○○だ』」

 

 

 

名回答(いや”迷”回答?)続出でした。

非常に面白い!

 

 

 

ちなみに、

もしこれに「ぼけてください」と言われずに、

「まじめに答えてくださいという」と言われたら、

という極めてまじめな仮定で話をします。

 

 

 

「死と同じように避けられないものがある。

 

それは『失敗』だ」

 

 

 

本当にまじめに答えてしまいました。

 

 

 

 

失敗というのは、

本当に避けられません。

 

 

 

 

 

たまに「挑戦をしない人は失敗しない」ということを聞きますが、

100%毎日同じことをして生きるのは、無理ですよね…?

そういう意味では、失敗のレベルの差こそあれ、

「失敗」は誰もがするものだと思うのです。

もちろん、「挑戦」をする人の方が失敗は多いのも間違いはないと思うのですが。

 

 

ではここで、私の独断と偏見で、

失敗の取扱説明書を書いてみましょう。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

1.失敗はさけられません。

 肝に銘じましょう。

 

2.でも、避けなくてはいけません。

 事前の準備で避けられる失敗と、

 事前の準備をせずにした失敗は、

 月とスッポン以上に違う物なので、注意が必要です。

 

3.そして、万全に万全を期して、

 それでも、

 もし失敗をしてしまったら…。

 

 できる限りのフォローをしましょう。

 失敗してしまったあとの後始末を一生懸命やる。

 

 この部分の取り組みがとても大事です。

 アンダーラインを引いておきましょう。

 おっ、もう引いていますね。

 

4.そのあと「受け入れる」

「今回の失敗は、今回はたまたま偶然が重なって」

とか

「あの人がこう言ったから」

で失敗を済ませてしまうのは、

失敗の使い方としてはもったいなさ過ぎます。

マータイさんが怒っても責任はおいかねます。

 

 

受け入れて、

次絶対起こらないようにどうすればいいかを、考える。

 

 

5.ただ、「受け入れる」と「慣れる」は、

まったくちがうものなので、注意が必要です。

失敗に「慣れ」ては、おしまいです。

失敗に慣れないように、

ことあるごとに、「1」から読み返しましょう。

 

 

以上の要領・方法を守って、正しく「失敗」に向き合いましょう。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

こんな感じでしょうか?

何か訂正・追加等がありましたら、コメント欄までお願いします。

 

 

 

失敗の各段階で、

自分が取るべき行動は、決まっている。

 

 

書くのは、そんなに難しいことではありません。

でも、

守るのはそんなに簡単なことでもありません。

 

 

あとはそれができるか、

ただ、それだけです。

 

 

 

 

ちなみに、

今回の大喜利は、

編集長の催促にも関わらず、

投稿することができませんでした。

申し訳ございません。

 

 

 

どの段階がよくなかったのか…?

「2」か?

 

 

 

この段階にきてしまったからには、

もう一度「3」から読みはじめます。

 

 

 

 

山﨑

 

 

 

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2014年

1月

28日

もし、100万円があったら?

もし今手元に100万円あったら、何に使いますか?

 

欲しい物を買うでしょうか?

半分貯金して、あとは自由に使う?

全て貯金?

全て投資でビッグなリターンを!?

 

 

いろんな使い方があるかもしれません。

 

 

 

 

ちなみに僕なら、、、やっぱり引っ越します。

引っ越したいんです。

寒いのです…。

 

 

 

 

お金の使い方というのは、

実はその人自身がどんな人なのかを紹介するもののような気がするのです。

 

 

 

もし100万円あったら、何に使いますか?

 

 

 

そんな作文を書いてもらった時に、

ある子がこんなことを書いていた。

 

 

 

「看板を直します」

 

 

 

なぜ!?と思って読み進めました。

 

 

 

「お店看板はボロボロで、いつも友達が『ボロい』と言って笑っている。

 それを見たお店の人が悲しそうな顔をしているから」

 

 

 

自分のために使うお金は、

いつか、結局は人のためになるかもしれません。

 

 

でも、

こうやって目の前の悲しんでいる人のためにお金を使おうと思う心は…。

その心をもし、取り出せるのなら、一体どんな心なんだろう?

 

 

 

きっと澄んでて、キラリと光っている。

 

 

 

そんな光る心をもった子に、育ってほしい。

そして、そんな光る心を持った大人でありたい。

 

 

 

 

山崎

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2014年

1月

21日

野鴨

生まれておよそ20年近く、

エアコンがある生活をしたことがありませんでした。

夏は扇風機、冬は石油ストーブ。

それが当たり前。

また北側で日が全然あたらない私の部屋は、

冬、部屋の中でも息が白かった。

それも当たり前。

 

 

そして、

大学を卒業し、引っ越して新しい暮らしを始めたのです。

 

そこには、なんとエアコンがあったのです。

あまり使われてないような、きれいなエアコン。

 

その部屋で迎える初めての夏。

私は、

実家からこれまで慣れ親しんできた扇風機を持ってきたにも関わらず、

リモコンを、ついつい、手に、とってしまったのです。

そして、スイッチを、罪悪感に駆られがら、押していたのです。

 

 

その夏は、これまでずっとお世話になった扇風機は押し入れに入ったまま、

エアコンがフル稼働したのでした。

 

 

いえ、夏だけでなくて、冬も。

実家から持ってきた電気ストーブは、

玄関前に袋をかぶったまま野ざらしにされてしまったのです。

 

 

 

その後、

また引っ越しをし、現在の家に住むことになりました。

この家にはエアコンはありません。

そう、エアコンはないのです。

 

 

 

かつて、

エアコンがなくても、

寒さに立ち向かっていくあのバイタリティーは、

約2年間のエアコン生活によって、

もはや奪われていました。

まったく寒さに対応できない体になってしまったのです。

 

 

現在、

石油ストーブが使えない、なんとも残念なこの家では、

昨年急遽購入した電気ストーブを肌身離さず使っています。

息は、白いです。

顔も、きっと白いです。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

ジーランドの湖畔に、一人の老人が住んでいた。

老人は、一定の季節になると

遠いところからこの湖に渡ってくる野鴨たちに、

おいしく栄養満点の餌を与えた。

ある時期をそこで過ごした鴨たちは、

また時期が過ぎれば、

次の目的地へ餌と快適な環境を求めて向わねばならないが、

それまでの間、老人は餌を与えた。

 

ところが、このように餌を与え続けられた鴨たちは、

いつのまにか渡り鳥の習性を忘れてしまった。

そしてあたたかく、居心地の良いこの湖で、

一年を過ごすようになっていたのである。

あえて命の危険を冒して、遠くまで旅する必要もなくなり、

恵まれた環境で不自由なく過ごす鴨たちは、

とても幸せそうで平和で平穏な毎日を送っていた。

 

ところが、ある日突然、

餌を与えていた老人が、死んでしまったのだ。

鴨たちに餌を用意してくれる人は、もういなくなってしまった。

彼らは生きるために、

明日から自分達で餌を探さなければならなくなったのである。

 

それに気づいた鴨たちは、

ようやく渡り鳥の習性を思い出した。

かつてのように大きく羽を広げ、次の場所へ移動するため、

舞いあがろうと試みる。

しかし、何度試しても水面から飛び立つことができない。

住みやすい環境に慣れきった、太った身体には、

もはやかつての渡り鳥の勇壮な姿はなかった。

 

そして飛べない渡り鳥たちは、

哀れにも、死を待つことだけだった。

 

 

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

IBMは、

この話をもとに「数千キロを飛ぶ野鴨であれ!」

と社員に言い続けてきたそうです。

飼いならされた「家鴨」にはなってはいけないと。

 

 

 

安楽な環境に成長は無い。

逆に言えば、大変な環境には成長は自ずとついてくる。

 

 

寒さに耐えいた学生までの時の私は、

寒さに対してはきっと「野鴨」的な要素はあったかもしれません。

 

しかし、

エアコンに「飼いならされて」しまった私は、

もはや寒さの餌食になるしかなかったのです。。。

 

 

 

厳しい環境は人を強くする。

 

 

 

忘れないようにしたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次は絶対にエアコン付の家に住もう!

と思っている自分との葛藤が辛いですが…。

そこは別に責めなくてもいいでしょうか…?

 

 

山崎

 

 

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2014年

1月

07日

「もったいない♪」から考えたこと

僕が仕事をしているとき、

頭に音楽が流れて離れないことがあります。

最近は、たまにこの音楽が…。

 

 

 

 

なかなか頭から離れないなー…。

 

 

 

そんなことを考えていた後日、

僕の隣に座っていた先生が、

この曲を口ずさんでいました。

 

 

「もったいない、もったいない♪」

 

 

あなたもか…。

 

 

 

聡明舎 瀬谷校のお向かいさんには、

TSUTAYAさんがあります。

店内に流れている音楽がすこし、校舎に聞こえてくるのです。

毎日、毎日聞いていると、

気づいたら頭の中にその曲が流れ続けていたり、

気づいたら鼻歌を歌っていたりしてしまうのです。

 

 

そう、ここ最近ずっと流れているのは

この曲だったのです。

 

 

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

こんな法則があるそうです。

 

僕はほとんど読みませんが、

恋愛のテクニック本なんかにもあるそうです。

 

 

 

「ザイアンスの単純接触効果」

 

 

 

 

単純接触効果(たんじゅんせっしょくこうか)は、繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果。1968年、アメリカの心理学者ロバート・ザイアンスが論文にまとめ知られるようになった。

ザイアンスの単純接触効果ザイアンスの法則とも呼ばれる。

 

「wikipedia」より

 

 

 

 

「もったいない♪」は

私にとっての好意度はなんとも言えませんが、

印象は確実に爆発的に高まっています。

 

 

気づいたら口ずさんでしまうのも、

きっとこの単純接触効果によるものでしょう。

単純接触効果、恐るべし、です。

 

 

 

でもこれ、

 

生かさない手はないでしょう。

 

「勉強」で。

 

 

 

「勉強なんかきらい!」

といって、

勉強になかなか会わなければ、

きっと勉強を嫌ったままでしょう。

 

でも、

「勉強を好きになろう」

と思って毎日勉強に勉強に向かうと、

この効果どおりにいけば、

勉強が好きになってしまうかもしれません。

 

 

勉強が好きになると、

学生生活の毎日は間違いなく今より楽しくなります。

だって、必ず毎日学校では授業が行われるのだから。

もし、

今学校の勉強が退屈だ、面倒だ、つまらない。

と思っているのであれば、

この効果を信じて、

毎日自分の家でも、

勉強に会ってみましょう。

 

 

勉強と相思相愛になれます。

その先には学校生活がまたさらに楽しくなってしまう

特典付きです。

 

 

 

いかにも素敵なことじゃないですか。

 

 

 

山崎

 

 

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2013年

12月

31日

今年も1年

今年もあと12時間で終わりを迎えようとしています。

そしてあと12時間で新しい年を迎えようとしています。

 

 

今年最後の日は、

雲一つない、とても爽やかな天気です。

 

 

外にでると、

大掃除に勤しむ人たちがいたり、

公園で遊び回る子どもがいます。

 

 

 

1年365日、

24時間という時間が流れるのは、

大晦日であろうと、

他の日であろうと同じことなのに、

大晦日と、元旦というのは、

何か特別というか、

大げさに書くなら何か「神聖」な日です。

なんででしょう?

節目の力というのは大きいものです。

 

 

1年を振り返ると、

良いこともあれば、

悪いこともあるのは、

毎年変わりません。

 

でも、今年も良かった。

とてもいい1年でした。

そう思えればいいと思うのです。

毎年そんなふうに終われればいいと思うので、

今年もそう思うことにします。

 

 

 

 

2013年、ありがとうございました。

2014年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

空が澄んでいます。とても気持ちいい天気です。

 

 

 

山崎

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2013年

12月

24日

勇気を

英国のBBC放送が20カ国以上で数万人を対象に毎年行っている世論調査で、自国に対する好感度を調査した。日本については、日本を好意的に評価した日本人は2012年では41%と、対象国の中で2番目の低さでした。

 

下の表は、アジアの国々が日本に対する印象を表したものです。

 

 

日本がとても好意的に評価されているのが分かります。

 

 

僕は海外に行ったことはないですが、

海外にいった聡明舎の先生は口を揃えて「やっぱり日本はいい」と言います。

僕は海外との比較はできないですが、日本はいいと思っています。

ごはんも美味しいし、風景も素敵、そして安全です。

 

 

でも、日本を良いと思える日本人は半分もいません。

その原因としてはいろんなことがあるのかもしれませんが、

事実は事実です。

 

 

日本ていい!

と思える瞬間はいつでしょう?

 

 

人によってさまざまですが、

僕は「日本人が活躍しているとき」

 

 

世界で活躍している日本人を見たり、

聞いたりしていると、

日本人ってやっぱかっこいい、

日本人はいいと思うのです。

 

 

例えば女子ソフトボールで金メダルとった時。

イチローが日米通算で4000本安打を達成したとき。

ファイティング原田が世界バンタム級のチャンピオンになったとき。

 

 

全部スポーツになってしまいましたが、

日本人が懸命に世界で戦っている姿をみると、勇気づけられます。

 

 

ただ勇気づけられるでいうと、

何も世界で戦っている人だけでなくても、

身近に自分自身の壁と戦っている人はたくさんいます。

 

 

小学生の時は小テスト満点とると周囲からびっくりされていた子が、

中学生になった今、小テストは満点当たり前、みたいになっていたり、

入試のじきになり、これまでとは違った勉強の姿勢を見せて結果を出している子を見たり。

 

 

身近にもいるものです。

 

 

世界だろうが、

教室だろうが、

自分自身の壁に向かって懸命に頑張っている姿は、

本当に勇気づけられます。

頑張ろうと思います。

 

 

 

自分もそんな自分の姿で

誰かを勇気づける人でありたいな…

 

 

 

山崎

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2013年

12月

17日

そこから見えるもの

g o

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これをみて何を感じるでしょうか?

何を思うでしょうか?

 

これを見た時の感じ方は人それぞれだと思います。

 

 

go = 行くという単語

go = 碁

go = 進め!

go = 「元の場所から離れていくイメージで、現在の場所から目的地まで到達する一連の流れ」が頭の中に浮かんでいます。

go = 俺の名前?

 
 
 
一番始めのものをイメージされる方は多いかと思いますが、
自分の中であげれらるものはこれくらいです。
でも、もっとほかのことをイメージされた方もいるかもしれませんし、
何もイメージされなかった人もいるかもしれません。
 
ただ、
「一つのものから、一つのものを見る」
より
「一つのものから、いくつかのものを見る」
のほうが豊かなきがしますし、
「一つのものから、たくさんのものを見る」
ほうがより豊かである感じがします。
 
 
 
   * * * * * *
 
 
 
今月、聡明舎では、「懇談会」や「保護者説明会」
など、保護者の方に来てもらい、お話する機会がたくさんありました。
 
自分たちが子どもたちを見てみれるのは、
「子どもたち本人」
「子どもたちの話からイメージする学校や家での姿」
「子どもたちのノートからイメージする家での勉強の仕方」
「子どもたちの、その友達(塾内限定)との関係」
くらいでしょうか。
 
一部しか見えていません。
しかもイメージなんてあてにはならないことを考えると、
確実に見えているのは、ほんの一部です。
 
 
でも、懇談会で話を聞いていると、
「!」がたくさん出てきます。
 
「朝5時くらいに起きて勉強しています」
「朝5:30に起きて、公園に行って友達とランニングをしてます」
「最近ダイエットを始めて一ヶ月半続いているんです!もう親の方が大変で…。」
 
その会話の中には
塾にいては見えない、
子どもたちの姿がたくさんありました。
 
塾にいる姿も、
家にいる姿も、
どれが本当で、
どれが嘘でなんてものはありません。
すべてありのままの姿です。
でも、そのうち自分が本当に知っている姿はごくわずか。
 
だから、こうやって保護者の方のお話を聞くと、
また違った子どもたちに会えるような気がするのです。
 
 
 * * * * * *
 
 
これから冬期講習がはじまります。
 
やっぱり豊かでありたいと思うので、
 
いろいろな子どもの姿を見てみようと思います。
 
 
 
山崎
 
 
 
 
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2013年

12月

10日

一生懸命

嫌な経験というのは、なかなか忘れられないものです。

 

今、「何か楽しかった思い出を話してください。」

と言われて、考えれば話すことはできるとおもいますが、

「嫌な思い出を話してください」

と言われれば反射的にとめどなく出て来てしまいそうな気が…。

 

 

ちなみに今思い出したのは、

「冬」ということで

高校生の頃の冬のトレーニングでした。

 

野球部は基本的に冬はあまりボールを使いません。

じゃあ何するかというと、

基礎トレーニング。

冬が終わり、春になって一回り大きくなるためのトレーニングです。

 

 

…苦しいことしか記憶にございません。

スタートラインから一定の感覚でボールを置いて、

1個目を取ったらスタートラインに戻り、

1個目より少し遠くにある2個目を取ってまたスタートラインに戻り、

3個目、4個目、5個目と、

5個先に早くボールをとった者が勝ち、(シャトルラン?)

という一見簡単そうなトレーニングがあったのですが、

 

 

 

 

もう2度とやりたくありません、

あんなトレーニング!!

 

 

 

 

 

そう思わず心の中の叫びが漏れてしまいそうなほど、

きつかったですね…。

あれは、きつい。

 

 

 

ほかにも、悲鳴を上げるまで腹筋をや腕立てをやった記憶や、

たくさん走った記憶、部室で死にそうになっていた記憶、

筋肉痛のままトレーニングをした記憶…。

 

 

 

とめどなさそうなので、もうやめます。

 

 

 

でも、

絶対2度とこんな思いをしたくない、

という経験が、間違いなく、今の自分を支えています。

部活なんて、辞めようと思えば辞めることだってできる。

そんな中で、「やる」を選んだ自分に支えられています。

 

 

 

これから中3の入試対策が本格的になってきます。

 

 

 

「がんばる」「ほどほどにやる」「やらない」

を選択するのは、自分。

一生懸命頑張る、

頑張っているように見せる、

どちらを選んでもいい。

 

 

でも、

こんな機会はなかなかないじゃないですか、

「勉強を一生懸命やる」機会。

 

やった結果「合格」を手に入れてくれたらもちろん嬉しい。

自分が進みたい道に進んでいってくれたら嬉しいです。

 

でも、もしやって思うような結果が手に入らならなくても、

「あの時一生懸命やった自分」を手に入れることができれば、

このあと挽回だってできるのではないかと思うのです。

 

どちらにしろ、

一生懸命のほうがよさそうです。

 

 

 

僕も一緒懸命やっていこうと思います。

 

 

 

山崎

 

 

 

 

 

 

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2013年

12月

03日

裏切り

こんにちは!

 

 

先日、今噂になっている映画「清須会議」を見てきました。

 

 

聡明舎の中でも噂になっていたこの映画、

詳しく話すことはできませんが

とにかく、面白い。

 

最後まで分からない展開にハラハラして、

そして、最後の最後に予想を裏切る。

 

こういった

「最後までどうなるか分からない」

「最後に予想した結果を裏切る」

映画は面白いですね。

 

もちろん、映画だけではなく、

良い意味で「裏切る」ことは、

いろんなことで大切です。

 

「まぁ最後は大体こうなるんだろうな…」と

生徒が予想していた展開を裏切って

生徒の予想を超えることができれば

それは「良い授業」になり、

 

「まぁこのあたりで仕上げてくるんだろうな…」と

仕事を頼んだ人が予想していた期限・仕上がり具合を裏切って、

予想を超えたいいものをあげることができれば、

それは「いい仕事」になる。

 

これはきっとこうだ、

あれはきっとああだ、

という「予想」は誰しもが持っていて、

その予想を下回ると

「失望・怒り」がこみ上げる。

逆に、その予想を上回ると、

「喜び・感動」が湧いて来る。

 

誰もが持っている予想の線を

良い意味で裏切り続けることができる人が

きっと、

「感動」をあたえ続ける人になることができるんですね。

 

何はともあれ、

まずは目の前のことから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、

個人的に期待を裏切る系で印象に残っているのは

この映画。

 

 

サスペンス映画です。

苦手な人は苦手な可能性があるので、

パッケージで内容を確認してからご覧下さい。

ハラハラドキドキ、

そして最後の裏切りにやられます。

 

 

 

山崎

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2013年

11月

26日

仕事と勉強の「あたたかさ」と「つめたさ」

仕事には「温度」がある。

 

「あたたかい仕事」と「つめたい仕事」

 

それを感じたことはありませんか。

 

そこに「誰かがこころを込めてやった」という

「温度」が感じられる仕事と、

「機械的に、ただ終わらせればいい」という気持ちでやった

人の「温度」があまり感じられない仕事。

 

「その人らしさ」という「個性」がにじみ出る仕事と、

「誰がやっても同じでしょ」という「その人」が感じられない仕事。

 

当然、感動するのは

「あたたかい仕事」なわけで

自分としても、

ただ「終わらせる」ではなくて、

「これは山崎がやった仕事なんだな」

って分かるような「温度」が伝わる、

うまくいけば、感動も伝えることができる仕事がしたいな、

と思うのですが…。

 

手前味噌ですが、

そういう意味では聡明舎という場所には、

「あたたかい仕事」が結構あります。

 

その仕事(または授業)を見れば、

やっぱり〜先生の仕事だな

というのがなんとなくこれまでの感覚で分かる。

 

これは、生徒の勉強をみても感じます。

 

あたたかい勉強と、

つめたい勉強。

 

今はまだまだ力はついていないけれど、

時間をかけて、

心をこめてやってきた。

きっと自分に見せた時の顔を想像して、

やってきたんだな、

という「あたたかい勉強」

 

「終わらせるためにやってきたな」

と思う宿題をみると、

やはり「つめたさ」を感じてしまうこともありますが、

「あたたかい」勉強をみると、

 

やはり嬉しさを感じずにはいられないのです。

 

その勉強をみて、

相手が頑張ってやっている姿が想像できる勉強。

その仕事をみて、

おもわずワクワクしてしまうような仕事。

 

そんなところを目指したいなと思うのです。

 

 

山崎

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2013年

11月

19日

おしゃべり

おしゃべりって、楽しいですよね。
 
 
お前が言うんかい!
 
 
僕をしっている人からは
そんなツッコミが聞こえてきそうですが、
僕はおしゃべりはきらいではありません。
 
 
友人とお酒を飲みながら、
ほんとにくだらないことを延々と話したり、
 
 
仕事の仲間と
仕事のことでもっとこうしたらいいんじゃないのとか
そんな話をしているときも、
いろいろなことを考え、夢中になります。
 
 
時に悩みを話して聞いてもらえたら
とてもすっきりするし、
 
 
自分の将来ことを語り合って、
ワクワクすることもあります。
 
 
おしゃべりというか、
自分の想いを伝えて、
相手の想いを聞く。
そして、自分の考えが刺激され、
また刺激された想いを伝え、
さらに、刺激された想いを聞く。
 
 
 
ただ、これは、
誰かがいなくては「おしゃべりができない」
というものではなくて、
おしゃべりはいつでも、どこでも、
簡単に始められます。
 
 
 
自分とのおしゃべりを。
 
 
 
自分の中には、
実は本当に大事なものが眠っています。
自分をとても刺激してくれるものが。
 
 
 
「もっとこうしたい」
「本当はこうなりたい」
「これをやったら実はワクワクするんじゃない?」
 
 
表面にはでてこないこともあります。
押し入れの奥に忘れられたようにほこりをかぶっていることもあるので、
根気よく探さなくてはいけまんせんが、
確かにあります。
 
 
奥底に眠って、忘れられた自分は
たいそう根気づよいので、
「忙しい忙しいって、もっと相手にしてよ!」
「仕事と自分、どっちが大事なの!?」
なんて責め立てることはありません。
( 注:現実の世界で僕はこのように責め立てられた困ったことはありませんが。)
 
 
 
でも、
だからといってさらに放置していくと、
どんどん奥深くに行ってしまって見つけることが大変になってしまうかも。
 
 
忙しさにかまけて
自分自身の本当の想いを忘れてしまうのは、
本当にもったいない。
 
 
自分はどうなりたい?
自分はなぜこれをはじめたんだ?
その時の気持ちは?
今はどうだ?
これからはどうするんだ?
 
 
自分とそんな話を繰り返ししていると、
ふと見えてくるものがあります。
 
 
そしてそれが本当にはっきり見えた時、
押し入れの奥底から引っぱり出せた時、
また一つ自分の誕生日を迎えたような感覚に陥るのです。
 
 
自分の想いにもし気づけていないのなら、
もし忘れてしまったのなら、
自分とおしゃべりをしてみると、
いろんなことがきっと見えてくる。
 
 
そんなことを信じて、
時々自分とおしゃべりしてます。
 
 
たまに「独り言を言っている」と言われてしまうのですが、
それはきっと自分と対話しているときかもしれません。
そんな「お二人」を末永く暖かく見守ってくだされば、
と思います。
 
 
 
山崎
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2013年

11月

05日

楽天と○○○○○の優勝、そこに共通するものは…

○○○○○に入る言葉を当てた方にはなんと…!

 

 

 

ごめんなさい、何もありませんでした。

 

 

 

先日、プロ野球の日本シリーズが終了しました。

 

4試合先取した方が日本一というシリーズも、

両球団ともに3勝・3敗でもつれ込み、仙台で迎えた最終試合。

 

前日のスポーツニュースでは、

野村前楽天監督も、元巨人の投手、槙原選手も、

ともに「巨人が優勝」の予想で一致していました。

「最後はこういった大舞台での経験が大きい巨人が勝る」と。

巨人ファンの自分は、その予想にホッと胸をなでおろしたのですが…。

 

当日、中継は見れず、

中継終了後、チャンネルをかえた時にやっていたニュースで、

なぜか、マー君がマウンド上でガッツポーツ。

なぜ?昨日負けたはずなのに…。

第二戦のハイライトか?とも思ったのですが、どうも様子が違う。

 

 

 

 

そのあと、全てを理解しました。

優勝したのは楽天なのだと。

マー君はきっと抑えで9回から投げていたのかもしれない、と。

めっちゃ星野監督胴上げされてるじゃないですか!

 

残念な気持ちでした…。その時は。

 

 

翌日のニュースでやっていた楽天の特集。

 

 

楽天が、最後の最後に強かった理由が、

少し分かったような気がしたんです。

 

 

思えば2年以上前、3・11の地震が東北を襲いました。

その時から、楽天の優勝は「球団のため」ではなく、

「東北のため」にするべき、至上命題だったんです。

 

 

多くの東北の人に応援され、

きっと楽天の選手の胸の内にも、

「東北のために」というきっと刻まれていたのではないかと、

思うんです。

 

 

もちろん非常に厳しいプロでの勝負である以上、

震災を経験した球団で、「東北のために」戦った。

だから「優勝できる」なんていうのは、甘い考えかも知れません。

 

 

でも、そう思わざるを得ないのです…。

 

 

実は、今日のブログは、先日、巨人から戦力外通告を受けた、

「谷佳知選手」のことを書こうと思ったんです。

そこでこれまでの経歴を調べていたら、

「あれ、谷はオリックスの優勝に貢献したんだっけか?」

と思い、オリックスが優勝した年を調べたのです。

 

 

 

 

 

 

 

1995年。

 

 

 

お分かりでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

阪神淡路大震災が起こった年です。

 

 

 

 

 

震災が起こった年の245日後に、

オリックスは悲願のリーグ優勝を果たしたのです。

 

 

 

これを見て、ハッとしました。

オリックスも実は震災を経験したあと優勝した球団なのかと。

 

 

 

「誰かのために戦える人は強い」

 

 

 

 

よく、生徒に伝えることです。

 

 

 

自分のためっていうのも、もちろん強い。

でも、自分のためっていうのは、結局努力をやめようと思えば、

いつでもやめることはできます。

でも、誰かのためにやっている努力だと、自然に力が湧いてくることもありますし、途中で努力やめてしまおう、ということがしづらくなってしまいます。

 

 

当時のオリックスの選手も、

今年の楽天の選手も、

年代は違っても、

きっと共通の想いを持って戦っていたと思うのです。

だからこそ、最後の最後の苦しい時期も、

折れずに、粘れたと思うのです。

 

 

 

 

やっぱり、人のためは強い。

 

 

 

 

山崎

 

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2013年

10月

29日

我が家の住人

私の家には、困った時に相談できる人が実はたくさんいる。

最近、片付けをしていたら、そのことに気づきました。

もちろん、本もそうなのですが、

それ以外にもこんな方たちがいらっしゃったのです。

 

 

 

 

 

 

これ、実はうちの母がずっと新聞の切り抜きをためていて、

それを大学生になったときにふと渡してくれたもの(笑)

ありがたい、ありがたい。本当に。

 

各界の巨匠がうちの中にたくさんたくさんいるとは、

まったく気づきませんでした!

 

私はこうする、私ならこうだ、仕事とはこうあるべき、…。

 

その言葉は、本当に「理想」です。

いや、悪く言えば「きれいごと」です。

 

「きれいごと」の扱いというのは、

難しいと思うのです。

かっこいい言葉を言う人がいて、

「そうそう!その通り!」と思うことがあっても、

実は本当は心からそう思っていなかったりする。

 

だから、

「イイネ!」と思わず言ってしまいたくなるような言葉は、

ただ感動するだけで終わらせないで、

「なんで自分はこの言葉がいいのだろう」

とか

「現実の自分と、この言葉の間には、何があるだろう」

とか考えてみると、

自分の言葉になりそうな気がするのです。

 

「なりそうな」というのは、

自分がまだやっていないから、

そう思うということなので、

実際にやってみようと思います。

 

言葉も人も同じで、

「出会ってから」の付き合いがきっと大事。

 

1回の出会いで感動して「じゃあまたいつか!」

ではなくて、

ときどき思い返したり、

ときどき、触れてみたり、

対話をしてみたり…。

 

さらっと流すのではなくて、

じっくりと向き合ってみる。

 

そうすると気づいたら、

「自分の同じような考えをもってしまっていました!」

なんて時がくるかもしれません。

 

 

 

やっぱり、実際にやってみようと思います。

 

 

山崎

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2013年

10月

22日

言葉ってやつは…

言葉っていうのは、今更ですが、すごい。

 

 

仕事で困っているときに、

 

励ましメールがきた。

 

それにどれだけ助けられたことか…。

 

言葉の力。

 

 

 

友人に心にもないことを言われて、

 

しばらく落ち込んでしまった…。

 

おそるべし、言葉の力。

 

 

 

聡明舎では、毎月、聡明舎の新聞「聡明タイムズ」で大喜利やります。

 

先生や生徒が出した、渾身の大喜利。

 

一人で読んでいても思わずプッとなってしまう。

 

これも、言葉の力。

 

 

 

私の部屋にはこんな言葉を貼ってみました。

 
 

 

 

 

これみると、もりもり、っと勇気がわいてくることがあります。

 

間違いなく、言葉の力。

 

 

 

「古池や 蛙飛び込む 水の音」 松尾芭蕉

 

5・7・5で無数の世界が描かれました。

 

もはや芸術にまでなった、言葉の力。

 

 

 

 

ときには、人を喜ばせ、

 

ときには、人を落ち込ませ、

 

ときには、笑いを誘い、

 

ときには、人を感心させ、

 

ときには、人を勇気づけ、

 

ときには、芸術にもなってしまう。

 

 

 

言葉よ、お前はいったいどれだけすごいやつなんだ、

 

と思わず言い放ってしまいそうになってしまいます。

 

 

 

言葉というものには、

 

本当に無限のものを感じるし、

 

もっとうまくつきあっていきたいな、

 

と思うのです。

 

 

山崎

 

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2013年

10月

15日

背後を探る

戦後の焼け野原の闇市でのラーメン屋台に並ぶ行列。

 

ようやく手にしたラーメンを食べる人々の顔は

幸せそうな表情に包まれていた。

 

「衣食住というが、食がなければ衣も住も芸術も文化も

 あったのものではない。」

 

と強く感じた。

 

 

職場が倒産し、無一文になって、

ついに、アイディアを実行する決意をした。

 

 

「いつでも、どこでも、

 手軽に食べられて家庭に常備できるラーメンをつくろう。」

 

 

 

そこから研究が始まる。

 

 

 

研究と言っても、大きな研究室で、充実した設備もある、

なんて状況ではない。

研究開発のための「小屋」の中で、

自分でなんとか道具をそろえる。

 

 

 

1年間、毎日睡眠が3、4時間というハードな研究が続いた。

 

 

 

そして、1年後に完成したのが、

「チキンラーメン」

 

 

 

そして、

これを外国に普及させようと思い、

外国人がジュースの紙コップを片手に町を練り歩く姿をみて

生まれたのが、

「カップヌードル」

なんです。

 

カップ麺の誕生です。

 

 

 

戦後、食が充実していないなか、

誰でも手軽に食べられるものはできないか、

と思案の挙げ句に生まれたのが、インスタントラーメンです。

 

 

先週お話しした、「おみくじ自動販売機」

も、同じように

何か困った人が「こんなのあったらいいな」

と思った所からうまれたもの。

 

 

 

なにか通じるものがあります。

 

 

 

でも、

 

インスタントラーメンにしろ、おみくじ自動販売機にしろ、

ただそれだけを見てみたら、何も感じません。

表面的に物事をみても、楽しいことはあまりありません。

でも、

「なんでそれができたんだろう?」

などと「背後」にあるものを探ってみると、

またまた新しい気持ちでそのものを見ることができますし、

何よりも、そういうことを知るということは、面白いです。

 

 

 

中学で学ぶ歴史なんかは、

年号、名前、出来事…。

これらは、すべて表面的なこと。

 

 

でも、それがどうして起こったのか、

それまでにどんなストーリーがあったのか、

人物はどんな性格だったのか…。

なんて自分から調べてみたりすると、

これまで無意味に思えていたものに急に愛着が湧いてきたりします。

 

これが、きっと本当の勉強の醍醐味。

 

 

いろんなことの「背後」を探ってみましょう。

 

 

 

山崎

 

 

 

参考URL

「チキンラーメンの話」

http://www.nissinfoods.co.jp/knowledge/madeby/chikin/wish.html

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2013年

10月

08日

アイディア

世の中を良くしたり、

楽しくしたりするのは、

「ほんの小さなアイディア」

だったりします。

 

 

 

 

 

少し前に鎌倉の鶴岡八幡宮に行きました。

時間は夜の7時くらい。

神社に行く訳ですから、

やっぱり「お参り」をする訳です。

お賽銭を入れて、手を合わせるんです。

 

でも、せっかく神社に来たのだから、

「おみくじでしょ」

という話になり、おみくじ引けるところを探す訳です。

でも、もう閉まっているんですね。

 

希望を失いかけたちょうどその時、

ちょっと先に、怪しげな光が…。

 

怪しがりて、よりてみるに、

自動販売機、ひかりたり。

 

普通の自動販売機じゃないんですよ!

現代の自動販売機は、

ついに、これさえも売り出してしまいまいした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おみくじ。

おみくじの自動販売機。

 

 

見つけた瞬間、

おみくじ引ける、という嬉しさと、

ついにおみくじもオートメーション化してしまったのか…

というちょっと残念な気持ちが入り交じる、

複雑な気持ちでした。

 

 

 

 

が、もちろん、引きますよ。

これは、これで面白そうだ、ということで。

 

100円入れると、パサッっとでてきます。

 

そして、でてきたのは、「凶」

「大変な時、厳しい時は自分が磨かれているときです」

というような、

ありがたいフォローまでついていました。

 

 

ただ、この凶に関しては、

自動販売機から出てきたという理由で、

あまり信じないことにしました(笑)

 

 

 

 

おみくじの自動販売機は、

きっと、

「遅い時間でもおみくじ引きたい!」

という人がいて、それに対して

「夜には窓口閉まっちゃうから、

いつ来ても、引けるようにしよう。」

という、優しさから生まれたアイディアなんでしょう。

 

 

 

困っていたり、

大変なことがあったり、

そんなときは「アイディア」が生まれるチャンス。

 

そして、そのアイディアが、

周りの人を楽しくしたり、

周りの人に役に立ったりするんですね。

 

 

一つのアイディアが世の中を面白くする。

 

たくさん困って、

たくさん悩んで、

そして、たくさんアイディアを出していこうと思います!

 

 

 

 

 

ちなみに、「凶」を引いてしまったということは、

きっと、

「大変なことはあるけど、これから良いアイディアが生まれる」

という兆しのはず!

そう信じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり、「凶」を気にしている自分がいました。

 

 

 

山崎

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2013年

10月

01日

「宿題は結構でるよ。できるか?」

 

聡明舎では、1ヶ月の無料体験をやっています。

ただ、体験学習に先立って行うのが「説明会」と「入塾テスト」。

説明会では保護者の方に、体験するお子さんの学習の状況を聞いたり、

聡明舎はどんな塾かと言ったことを話すのです。

入塾テストでは、実際に体験をする子にテストをうけてもらい、

その子の現状の学力を確認します。

 

 

たまに説明会の中で

「聡明舎は宿題が多い」って聞いたんですけど、、、

といった話を保護者の方から聞くんです。

 

 

個人の差はあるかもしれませんが、

多いと感じる生徒は多いかもしれません。

 

 

 

 

だから、しっかり聞きます。

「勉強できるようになりたい?」

 

―はい。

 

「宿題は結構でるよ。できるか?」

 

 

 

だって、せっかく始めたのに、

「宿題こんな出ると思わなかった」

なんて言って途中でやめてしまうのは、

もったいないじゃないですか。

 

 

 

でも、
そんなことを言っても、
やっぱり聡明舎を体験したいと言ってくれる子は、
覚悟を持っているのでしょう。
ほとんどの子が
「はい」
と言ってくれます。
 
 
 
覚悟を持った目で。
時にはキラキラした目で。
 
 
 
 
そして、体験、気に入ったら入塾。
 
 
 
体験の期間は、
何もかも新鮮で、授業も、宿題も、必死でやる。
そして、それが楽しかったりします。
 
 
 
しかし、怖いのは、入塾して、慣れて来る頃から。
 
 
 
あるときふと思う。
 
 
 
「今日の宿題めっちゃ多いし!
 この前も多かったよな…。
 なんでこんな多いんだよ!」
 
 
 
こんな気持ちで宿題をやってみるとどうなるか?
 
 
 
やってる間は間違いなく、苦痛。
 
気分も、悪い。
 
そして、
 
ここがポイントなのですが、
 
こんな気持ちでやった宿題は何より、
 
「身に付かない」
 
 
 
 
そりゃあそうです。
「早く終わらせよう」と、
「終わらせる」ことを意識して行った宿題は、
やり方が適当になる。
だから「実力」はつかない。
 
 
 
こういう宿題のやっているのは、
単に「苦痛な時間を過ごしている」
ということなのです。
実力がつかない、ただ、ただ「苦痛」な時間。
 
 
 
そして、
宿題を見せた時に
「なんで○付けをしないんだ!」
「なんで間違えた問題をもう一度解かないんだ!」
と言われて、さらに「苦痛」を感じる…。
 
 
 
だから、「勉強=悪!」となり、
「勉強が無い人生はどんなに素敵な人生だろう…」
と、妄想を開始し、時間が刻々と過ぎる。
そして、「あー今日もやらなきゃ…」
と現実に引き戻される…。
 
 
 
そんな小学校生活、
中学校生活、
高校生活をおくりたくて、
塾に入ったのだろうか?
 
 
 
 
「野球にしろ、何にしろ、自分が目標に向かって切り開いていくものです。
 人に言われてやってみたけれど、結果が出なかったなんて、
 そんなつまらないことはない。
 助言してくれる人はいるが、
 やるやらないを最終的に決めるのは自分自身であることを
 忘れてはなりません。」
 ( by小倉全由〔甲子園通算16回出場を数える名将〕)
 
 
 
 
って、高校野球の名監督が言っているんです。
 
 
 
はじめて塾に来た時のことを思い出そう。
 
体験学習が終わって、
 
「ここでなら頑張れるかもしれない。」
 
と思って、「聡明舎する!」と言ったことを思い出そう。
 
 
 
 
これは、自分自身でした「決断」
 
 
誰かに言われた、強制された、脅された!
わけではなく、
自分で「そうする」と決めたこと。
 
 
 
その決断の先には一体何を思い描いてたのか?
宿題に四苦八苦して、
先生に怒られてへんこんだり、
嫌な気分になったりしている自分か?
 
 
それとも、
 
 
勉強ができるようになって、
「あいつって意外と勉強できるよな」
とか、
「見た目勉強できなそうだけど、
 あいつ、結構すごいらしいよ」
と言われて、鼻を膨らませている自分か?
 
 
 
決断したのは、ほかでもない「自分」
なんだから、
やろうじゃない!
嫌嫌やった先にはなんもない。
「自分が決めたから」
と言ってやった勉強は、くらべものにならないくらい、いい。
 
 
 
 
 
自分の決断を忘れずに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「なあ、兄弟。
 誰が何と言おうと、おまえの人生はおまえのもんや。
 誰かがやれというたからやる。
 やるなというたからやらん。
 そういう生き方をして、
 おまえは、自分の人生の責任をちゃんと自分でとる自信はあるのか?」
 (喜多川泰「『また、必ず会おう』と誰もが言った」より)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
自分のことは、
自分で決めるのススメ
 
 
 
 
山崎

 

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2013年

9月

24日

ただ一人で

昔、野球をやっていました。

 

練習する時は、

 

コーチや監督からアドバイスをもらい、

 

仲間と一緒に声を掛け合いながら練習をします。

 

 

 

ただ、本番の試合では、

 

バッターボックスに立てるのは「ただ一人」です。

 

ピッチャーとして投げる時も、

 

マウンドにいるのは「ただ一人」

 

後ろには守ってくれる仲間はいますが、

 

マウンドは孤独なところです。

 

 

 

 

仲間を信じつつも、

 

それでも、

 

最後は、かならず「一人」でなんとかしなければいけません。

 

 

 * * * * *

 

 

塾というところでは、

 

同じ教室で、みんなで集まって授業をします。

 

時には先生からやり方を教えてもらい、

 

時には、仲間からも教えてもらったり、

 

逆に自分が教えたり。

 

 

 

 

でも、テストになると、

 

一切まわりの人とは話すことはできません。

 

同じ教室に仲間はいても、

 

そこには「ただ一人」孤独に問題に立ち向かうしかありません。

 

 

 

 

最後はやっぱり

 

「ただ一人」

 

 

 

 

だから、

 

自分でなんとかする力、

 

を持っている子は、強い。

 

一人でも、大丈夫!なんとかします!

 

という子は強い。

 

 

 

 

だから、真剣にやる時は、「ただ一人」で。

 

仲間と一緒に「ただ一人」で勉強してみよう。

 

 

 

 

一人勉強のススメ

 

 

 

 

山崎

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2013年

8月

27日

光と闇

最近は、夜がずいぶんと涼しくなりました。

 

ちょっと前までは、夜でも30度なんて日があったりして。

 

勘弁してくれよと。

 

 

 

ちなみに、

 

現在は25度。

 

決して心地良いという気温ではないかもしれませんが、

 

「30度という辛いさ」

 

を味わうと、25度はとても快適。

 

 

 

 

夏期講習中、授業をしていると、

 

こんな話がどこかのクラスから聞こえた。

 

「一生懸命仕事をするから、たまの休みがいいんだ」

 

確かに。

 

 

 

ずっと休みばかりというのを学生のときに経験した。

 

なんせ大学の休みは長い。

 

それはそれで悪くはなかったが、

 

いいものでもなかった。

 

もったいない時間の使い方をしていたな〜、

 

とも思うが、

 

授業がある、大学に行く日の方が充実はしていた。

 

 

 

 

高校の頃、一生懸命、練習して、1日に5本のヒットを打った時があった。

 

あとにも、先にもこの日だけ。

 

でも、あの時の嬉しさは今でも忘れていません。

 

 

 

 

小さい頃、

 

なぜか分からないが、

 

「○カ月間、自分のおこずかいを使わなかったら、

 

〜を買ってくれる」

 

と親に約束してもらい、見事それを果たし、

 

高価ではない欲しい物をかってもらった記憶がある。

 

 

 

 

まとまってないように見えますか?

 

いや、僕の中ではまとまっているんです。

 

ただ、いろんな記憶が溢れてきて。

 

 

 

 

「光を知るためにには、闇が必要。」

 

つまり、そういうことなんです。

 

 

 

苦しい、大変、辛い。

 

そんな経験が、そのあとに待っている「喜び」を

 

いっそう際立たせる。

 

 

 

 

一筋の光が見えるのは、

 

それは闇があるからなんです。

 

闇がなければ、

 

一筋の光なんて気づくことはできない。

 

 

 

 

明けない夜はない。

 

という言葉。

 

暗闇の夜は、

 

明るい太陽が昇る準備の時間です。

 

 

 

もうすぐ、夜明けです。

 

 

 

 

山﨑

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2013年

8月

20日

かっこいい言葉

人のかっこよさは、

 

その人の中にどれだけ「かっこいい言葉」

 

が記録されているかによっているように思う。

 

かっこよくありたければ、

 

かっこいい言葉を

 

ことあるごとにインストールして、

 

実行していく。

 

 

 

 

* * * * *

 

自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。

 

その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。

 

それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。

 

 

* * * * *

 

 

ダメになって結構だと思ってやればいい。

 

最悪の敵は自分自身なんだから。

 

自分をぶっ壊してやるというつもりで。

 

そのくらいの激しさで挑まなければ、

 

今までの自分を破壊して、

 

新しい自分になることはできない。

 

* * * * *

 

ともに 岡本太郎さんの言葉。

 

 

 

こんなかっこいい言葉が、

 

どんどん心の中にたまっていけばいいと

 

思うのです。

 

 

 

 

 

山﨑

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2013年

8月

13日

人のために

人のために、人のために、

 

と言われて育ち、

 

そして、

 

人のために、人のために、と今度は自分が言っている。

 

 

 

人のために、人のために、

 

そう言っていても、

 

気づいたら「じぶんのために」

 

やっていることがある。

 

 

 

「これやって、相手に感謝されたい。」

 

「これをやって、相手に認められたい。」

 

実際には、人のためにはなっているかもしれませんが、

 

「これをやって、相手を喜ばせたい」

 

という気持ちとは、ずいぶんと差があります。

 

 

 

だから「人のためには」注意が必要。

 

本当に人のためと思ってないと、

 

いざという時にくじける。

 

 

 

「自分のためにだけ生きるなら芋虫も同じ…」

 

 

 

動物と、人間を分けているのは、きっとそこ。

 

「自分以外の誰かのために動ける」ということ。

 

 

 

きっとこれも、

 

日々な小さなこころがけですね!

 

自分が誰かにしてあげられることは、

 

きっとたくさんある。

 

それを探して、実行すればいい。

 

 

 

遅れて申し訳ありません!

 

 

山﨑

 

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2013年

7月

30日

掃除・片付けのすすめ

「心を大切にしよう。」

 

「心を強くしよう。」

 

「いい心を持とう。」

 

 

 

そんなふうに、

 

心というのは、

 

大切なものとして、扱われる。

 

 

 

 

自分でも、

 

心というのはとても大切だなものだと思うのです。

 

 

 

ただ、やっかいなのは、

 

「心は目で直接見えない」こと。

 

 

 

これまでの歴史の中で

 

きっと「心を見たことがある」という人はいない。

 

僕も、見たことはない。

 

 

 

でも、

 

間接的になら、

 

心の中をのぞくことはできる。

 

 

 

その人の「部屋」を見れば。

 

 

 

部屋の状況は、

 

きっとその人の「心の写し鏡」なんじゃないかと、

 

自分の経験を通して思うのです。

 

 

 

部屋が散らかっても気にしなかったり、

 

そしてそのままにしておくような時は、

 

「心」の状態はあまり良くない。

 

 

 

反対に、

 

こまめに掃除ができていたり、

 

部屋の中が整頓されていたりするときは、

 

心も整頓されてい、「いい状態」な気がする。

 

 

 

部屋は、自分の状態を知る、

 

いいバロメーターです。

 

 

 

掃除・片付を推奨します。

 

 

 

山﨑

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2013年

7月

16日

自給自他足

今原発のニュースが話題になっています。

 

再び稼働を始めるかどうか。

 

 

* * *

 

 

この議論に賛成か、反対かという意見は一旦置いておいて、

 

電力、というものは重要なものです。

 

もはや電気なしには、暮らすことはできません。

 

でも、

 

もし、自分の家に太陽光であったり、

 

他の自家発電機であったり、

 

自分の家の電力を自分でまかなえることができたら?

 

…電力に関しては全く困らないわけです。

 

 

* * *

 

 

ということを考えると、

 

「生き延びる」

 

という点だけで見てみると、

 

最強の方法は

 

「自給自足」ということになります。

 

電気や食料、水道その他いろいろ。

 

「自分でなんとかする」ことができれば、

 

どんな状況であっても困ることはありません。

 

そして、もし「自給」して「自足」しても

 

あまった分が出て、それを誰かに譲ってあげれば、

 

「自給自他足」にもなれるのです。

 

 

* * *

 

 

そんなことを考えてみると、

 

生活のレベルはこんな感じになるでしょうか。

 

レベル1:「他給自足」

 誰かが作ってくれて、自分が暮らせる状態。

 

レベル2:「自給自足」

 自分で自分のこのをまかなえる状態。

 

レベル3:「自給自他足」

 自分で、自分も、そして他人(の一部、または全部)をまかなえる状態

 

 

* * *

 

 

 生活に限らず、
 
自給自足、できるといいです。
 
仕事や勉強のやる気も、情熱も、自信も。
 
「誰かが熱く語ってくれたから」
 
「誰かが褒めてくれたから」
 
それで実際の行動をするのなら、
 
それはそれでいい。
 
でも、
 
その「誰か」がいなかったらできない、
 
は困ってしまう。
 
 

* * *

 
 
「自分はこう思うからやる」
 
「自分はこうなりたい」
 
という内側の情熱を「自給自足」できればいい。
 
そして、
 
その熱が溢れんばかりで、
 
まわりの人もあつくなっちゃうようなら、
 
それは「自給自他足」です。
 
 

* * *

 
 

誰かが…

 

なんて言う前に、

 

自分はこうだ!

 

を持っていきたいのです。

 

そして、

 

自給自他足でいきたいのです。

 

 

 

山﨑

 

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2013年

7月

09日

落ちないリンゴ

平成3年9月28日の早朝、

 

台風19号が青森の津軽地方を襲いました。

 

最大瞬間風速が50mを越える強風。

 

そのおかげで、

 

収穫前のリンゴの9割近くが

 

「出荷できない」という状況に。

 

 

 

農家の人にとっては「ピンチ」。

 

リンゴが売れなければ、生きていけないのですから。

 

 

 

そこで、

 

農家の人たちがとった方法とは…?

 

 

 

 

そうです。

 

「落ちないリンゴ」と銘打って、

 

全国に販売したら、

 

「落ちない」というフレーズに心を奪われた受験生を中心に、

 

売れる、売れるの大繁盛。

 

出荷自体は少なかったものの、

 

1個の価格が高く設定されていたため、

 

売れ上げはの大幅な減少を抑えることができ、

 

リンゴ農園の経営は守られました。

 

 

 

 

と、あまりに有名な「落ちないリンゴ」のエピソードを書いてしまいました。

 

 

 

 

台風が来て、今年はリンゴが熟れない。

 

運命だから仕方が無い。

 

という「あきらめ」も選択肢の一つ。

 

 

 

 

でも、

 

9割落ちちゃったけど、

 

1割残っているし、

 

あれ、うまくやって高く売れないかな?

 

と考えてみるのも1つの選択肢。

 

 

 

同じ「ピンチ」に遭遇しても、

 

「運命」といって諦めてしまうか、

 

「なんとかできるんじゃない?」

 

といって方法を考えるか。

 

 

 

大きな分かれ道です。

 

 

 

「『危機』とは2つの言葉でできている。

 

1つは『危険』で、1つは『好機』だ。」

 

by ジョン・F・ケネディ(元アメリカ大統領)

 

 

 

山﨑

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2013年

7月

02日

ここ一番

人生、ここ一番は必ず一人だ。

 

 

大人でも、子どもでも、

 

それぞれの生活の、それぞれのレベルで、

 

「ここ一番」の場面がやってくる。

 

 

 

大人であれば、

 

大切なプレゼンや商談かもしれないですし、

 

塾の講師で言えば、

 

毎回の授業はもちろん、

 

研修で授業を見てもらうときも

 

「ここ一番」です。

 

 

 

子どもで言えば、

 

例えば部活。

 

サッカーで言えば、

 

チャンスでシュートを打つとき、

 

野球で言えば、

 

一打逆転のチャンスでバッターボックスに立つとき。

 

勉強で言えば、

 

高校入試の受験や、

 

定期テストのときかもしれません。

 

 

 

でも、

 

必ず、

 

ここ一番の時は、

 

すべて自分が「決める」しかありません。

 

 

 

スポーツで言えば、

 

周りに仲間はいるかもしれません。

 

でも、

 

シュートを打つのは自分。

 

バットを振るのも自分。

 

そして、答案に答えを書くのも自分。

 

 

 

そのとき、

 

これまで教えてくれた先生や、

 

仲良くしている仲間の力を借りることなど、

 

一切できない。

 

そこには、自分一人しか存在していない。

 

 

 

 

だから、自分で。

 

とりあえず、自分で。

 

なんでも、自分で。

 

自分で考えて、「決めて」、「やってみる」ことが大事。

 

 

 

最後の最後は自分がやるのだから、

 

責任は全て自分。

 

だから、他の人の話を聞いても、

 

決断は、「自分で」。

 

最後の最後は自分でやるのだから、

 

それまで頑張るのも、全部「自分で」。

 

 

 

 

そんなことをやって、

 

ここ一番に、備えたい。

 

 

 

山﨑

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2013年

6月

25日

『できる』の世界へ

例えば、野球が好きで、教え方が上手なコーチのもとで、野球を習うとする。

ピッチャーがやりたいのなら、

投げ方を丁寧に教えてもらえます。

「速い球を投げるためには…」

「うまくバッターを打ち取るコツは…」

教え方が上手な人に教われば、まず「わからない」ことはない。




例えば、鋭く落ちる「フォークボール」を上手に、丁寧に教えてもらう。

説明は、とても分かりやすい。

そして、コーチに言われる。

「じゃあ、じっさいに投げてみろ。」



投げてみる。

すると、

ボールは…

あさっての方向へ(笑)




いくら分かりやすい説明を聞いて理解できたとしても、

実際に「すぐ」できるなんてことはあまりない。




「わかる」と「できる」は違う。




そして、

やっかいなことに、「わかる」から「できる」までは、

結構な距離がある。




  わ     で

  か  →  き

  る     る


この「→」は何か?



これは、「時間」です。



「わかる」から「できる」になるには、時間が必要です。



そして、

往々にして、この時間は単純な反復、同じことの繰り返しのため、

「大変」「苦痛」だったりすることが多い。

(中には、これを楽しくできる人もいますが。)




でも、

もし今自分が「できる」を目指して「苦痛」を感じているなら、

それは、「できる」に近づいている証拠に違いない。

「できる」までには、苦痛はあるかもしれませんが、

それを通り越した「できる」の世界は、一種の快感がある。




そのことを忘れず、

「今自分は『できる』に近づいているんだ」

と信じることが大切かもしれません。

 

 

 

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