松尾流

2017年

9月

12日

主体性

 

小さい子どもたち、2歳とか3歳の子どもたちは、好奇心のかたまりです。目に入るものすべてに触れてみたかったり、やってみたかったり。

 

そんな時期から年月が経ち、小学生、中学生となってきました。

 

好奇心は今もなお、誰の心の中にあるものです。

 

ただ勉強をすることに関しては、楽しいと思う人もいれば、そうでない人がいることもまた現実です。

 

学校などの教室にもし「勉強=つまらない」「勉強=義務」のような雰囲気が蔓延しているならば、知る喜びが、いつのころからか苦痛に、学ぶ楽しさがいつのころからかやらなければならない義務、に変わってくることがあるかもしれません。

 

聡明舎は、学ぶ楽しさ、を伝えたいと思っています。

 

だから、勉強で求める姿勢は、主体的に授業に関わろうとする姿勢、です。

 

先生が「やれ」というからやる。「がんばって」とすすめられるから「やってもいい」ではなく、自分がその授業を創るんだ、という主体性を持って授業に臨む姿をこそ、求めています。

 

どういう授業にしたいか、を一人ひとりが考えて創造していける学習空間を目指しています。

 

 

このことはお店や会社に似ています。

 

僕がよく行くショップもカフェも美容室も、そこで働く人たちが何を考えているかが、伝わる雰囲気になっています。

 

聡明舎では、生徒も含め一人ひとりが中心となって学習環境を作っていきたい、と思っていますし、自分が主体的に環境に関わる人を育てる場でもあると思っています。

 

 

まつを

 

 

 

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2017年

8月

31日

二学期スタート!!

どうもありがとうございます。

 

松尾です。

 

 

9月1日より、二学期のクラスがスタートします!!!!!

 

 

最近はめっきり秋らしい天気で、朝、夕にとても心地よいですね。爽快です。

 

 

 

夏期講習の最終日の教室にはこのような「プレゼント」がありました。

ホワイトボードいっぱいに「ありがとうございました」のメッセージです。

 

こちらこそ、ありがとうの気持ちでいっぱいです。

 

どのクラスも、元気なクラスで、授業をしている私たちが元気になりました。

 

 

 

 

「お母さん、お弁当」

と声をかけると

 

「はーい」

とお弁当を手渡してくれる日常があります。

 

 

 

 

でもね、「お弁当」と声に出すとお弁当が出てくるなんてことは、普通に考えると、ありえないことです。

 

 

 

 

ありえないことが起こる。よく考えると、起こりまくってる。魚なんてつったこともないのに、鯖が食えちゃう。作れないのに、味噌煮になってる。

 

 

 

有り難い。

 

 

ありがとう、です。

 

 

 

 

 

さて、人が親しく会話をする人の数は300人だという説があります。ちなみに友人と呼べる人の数は30人(という説)。

 

 

世界の人口を72億人だとすると、親しく会話をする人の存在は2千400万分の1と、極めて奇跡的な確率になります。

 

 

 

確率の低さを考えても身にしみる、今目の前にいる人の存在の有り難さ。せっかくこうして出会った縁です。本日からまた一緒に勉強できることに、ありがとう、という気持ちをもって授業に臨みたいと思います。

 

 

一期一会。

 

 

お互いの心に火が灯るような時間にします!!!

 

 

そして

 

9月体験生の募集も本日より再開しました!!!

 

体験希望の方は、どしどしお電話下さいね。

 

 

聡明舎瀬谷校 045-300-4066

聡明舎橋戸校 045-303-0413

聡明舎大和校 046-200-5599

聡明舎高校部 045-459-5553

 

 

また9月16日(土)の10:00 - 12:00 は親学塾です。内部生の保護者の方優先となりますが、ご興味のある方はご連絡くださいね。

 

 

 

まつを

 

 

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2017年

8月

21日

元気配り

 

どうも、お久しぶりです。

松尾です。

 

身内のことで申し訳ありませんが、うちの母親の話をします。

 

うちの母親には、現在大ファンの歌手の方がいます。

 

その方のライブがあると、どこまでも追いかけていくため、以前は乗れなかった高速道路もバンバン乗るようになり(左車線で80km走行)、水戸や福島にまで行っているみたいです。

 

ときには5時間のドライブになるときもあるのだとか。車で行けないときは、飛行機に乗って駆けつけるのだとか。魅力あればどこまでも人は行くんですね~。

 

長時間運転にも、車中ではその好きなアーティストの歌を聴きながら、一人のりのりになったり、涙を流しながらの運転なのだという(笑)。ワイパーが必要です。

 

現場では同じファンの方達と合流、「おかげで友達も増えて、いろんな所にもいけてありがたい」と言っています。

 

たまに実家に帰ると、グッズが確実に増えています。もちろん僕もCDをもらいましたし、相模原でライブをやるときには呼ばれましたので行ってきました(笑)。

 

「母がいつもお世話になってます」と伝えにいこうと思ったのですが、いい歌、いいライブでした。

 

その方が特集されたテレビがあったのですが、見事に最前列で画面に映り込んでいる母親。さすがです。

 

母親は仕事もしています。「みんなにシフトのことで協力してもらって感謝だし、幸せ~」と言っています。

 

元気で楽しそう、なのが息子としてはなにより嬉しいことです。

 

 

子どもたちに日々接していますが、勉強は「昨日は出来なかったことを今日出来るようにすること」なので大変です。それを頑張ってやっています。

 

その上で、元気で楽しそう、な子どもたちにいつも元気を分けてもらっています。

 

 

もらいっぱなしはダメなので、僕の方も元気を配っていきたいと思います。

 

 

 

元気を配る、気配り。気配りのできる人が集まれば、その場所はパワースポットに変わります。

 

 

まつを

 

 

p.s もし私の母親の敬愛するアーティストの方に興味がある方がいらっしゃいましたら、大和校の松尾宛に電話ででも聞いてください(笑)。母親直伝のその方の魅力を懇切丁寧にお伝えしますね。

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2017年

6月

24日

勉強大好きクラブ

 

平日は6時起き。

 

こびりついた汚れを取るようにベッドから体を起こし、はぁー、というため息から一日が始まる。

 

年齢以上に老け込んだ顔をのぞきながら顔を洗って、歯を磨く。

 

一時間ほどをかけてなんとか外に出せる顔に仕上げるが、朝を迎えるごとに徐々にだけど、劣化しているように感じる。

 

満員電車に揺られて、仕事場に到着する。

 

やるべき仕事があるから、過ごし方に困ることはないけれど、仕事が楽しいかというとそうでもない。

 

基本はルーティンワーク。たまに、出先で人と話すことがあるけれど出来れば避けたい。

 

あぁ、早く仕事終わらないかなぁ。

 

ビール飲みたい。

 

あぁ、早く土曜日が来ないかなぁ。

 

遊びに行きたい。でも、どこ行こう?楽しいこと、ないかな?

 

 

 

 

 

………こんな風に毎日を過ごしている人が、ひょっとしたらどこかにいるかもしれません。

 

 

 

楽しいことは、タダで出てくることはありません。

 

 

牛丼も餃子も、お金を払えば出て来ます。ディズニーランドの経験も、お金と、行こうという意思を出すと手に入ります。

 

 

手に入るものは、自分が出したものだけ、です。

 

 

学校、会社、あらゆる場所で楽しいことないと文句言っているあなた。

 

自分が出すものをケチってちゃ~いけません!!

 

 

コンサートでも、いい席になればなるほどチケット代は高くなりますよ。

 

 

 

いつもより、2倍大きな声で「こんにちは」と言ってみましょう。

 

 

いつもより、4倍楽しい一日になります。

 

 

 

いつもより、2倍早く動いてみましょう。

 

 

いつもより、4倍いきいきとした気持ちなります。

 

 

 

楽しさは誰かにもらうものではなくて、自分でつくりあげていくものです。

 

 

起きると同時にニコリとしてみる。

 

「今日はいい一日だ」と両手をめいっぱいに広げて言ってみる。

 

鏡見ながら自分をほめる

 

 

駅までの道も動作を大きく歩く。

 

快速に乗る。

 

大きな声で挨拶をする。返事をする。

 

 

それだけで、今までよりもはるかにはるかに楽しくなります。

 

 

人生一回ですよ。

 

いや、今日という日も一回こっきりですよ。

 

 

さて、聡明舎では7月2日に「勉強大好きクラブ」というイベントを日曜日におこないます!!

 

 

「勉強楽しくないなぁ」なんて思っているあなた。

 

 

楽しく変える力があなたにはある!!!!

 

 

勉強大好きクラブにいらっしゃい!!

 

 

行こうと決意する。電話して予約する。

 

 

 

それがあなたの変わる第一歩です!!!

 

 

 

まつを

 

 

 

 

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2017年

6月

11日

映写機に例えてみました

 

映画の仕組みです。

 

映写機からは強烈な光が出ています。

 

その前に、フィルムが回り、スクリーンに映像が流れます。

 

 

でも、フィルムに傷がついていると、スクリーンに映る映像にも傷が映ってしまいます。

 

 

すごーく疲れていたり、体調が悪かったりすると、何でもないことにイライラして、あぁ、何てついてない日なんだと思ったりしますね。

 

逆に、すごーく気持ちが上がっていたり、調子が良いときには、何でもないことをハッピーに感じたりしますね。

 

外から光が入ってきます。

 

考え方がフィルムです。考え方というフィルムを変えると、自分の心に映る映像が変わりますね。

 

だから、読書は大事なんですね。

 

勉強では、聡明舎の夏期講習に参加すると、勉強するということに対するフィルムが変わる……かもしれません。

 

 

ただ今、電話なりっぱなしです!!

 

 

まつを

 

 

 

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2017年

6月

06日

大公開!おいしい朝ご飯の作り方(半分冗談)

どうも、こんにちは。

 

瀬谷ナマステのカレーをこよなく愛する松尾です。

 

以前は料理をしていたのですが、最近はまったくしません。

 

 

そんな私が自分なりに納得している、おいしい朝ご飯の作り方、をお伝えしようと思います。

 

よかったら参考にしてみてください。

 

 

 

最初に炊きたてのご飯を用意してください。

 

みそ汁と、卵を用意します。

 

なければ、レンジで温めたご飯でも、パンでもサラダでも何でもいいです。

 

 

準備が出来ましたら「いただきます」をして食べてください。

 

 

そして一言「おいしい朝ご飯だね」と言います。

 

 

「おいしい卵かけご飯だね。嬉しいね」

 

 

感じ入るように言ってください。

 

 

 

以上です。

 

おいしい朝ご飯の作り方。

 

 

 

「卵かけご飯はいつ食べてもだいたい同じ味、平均です」という気持ちもありますね。

 

私が卵掛けご飯を食べるとき、たまごはセブンの卵ですし、醤油はキッコーマンのお手頃価格です。

 

科学的に旨味を数値化(?)したら多分いつも同じでしょう(笑)

 

 

 

でもね、毎日の朝ご飯はコンテストではありませんから、旨味成分の数値なんて関係ないんです。

 

 

 

何食べても美味しいと思う人がいます。その人の朝ご飯は、生きている間、いつも「美味しい」。

 

 

勉強や仕事にも応用が効くように思っています。

 

 

勉強は大変だね、難しいね、我慢だね、苦しみだね、という "ふりかけ" をかけるのはやめて、「楽しいね」とか「おもしろいね」、と声に出してみるとガラリととたんに状況がかわります。

 

とりわけ、気持ちが晴れやかになり、ずっとやる気になります。

 

 

 

……と私は思っています。

 

 

 

まつを

 

 

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2017年

5月

10日

やる気になる言葉というのがあります。

 

勉強でも何でもそうですが

 

不平、不満を言っているうちは上手くいきません。

 

上手くいきたかったら

 

不平、不満を言うのを止めるのが第一歩です。

 

止めることができたら

 

止めることで空いた言葉のスペースに

 

聞いている自分がやる気になる言葉を話しましょう。

 

 

 

 

なんだか次のような実験があるみたいです。

 

 

ビンの中に人の吐いた空気を集めその中に虫を入れます。

 

するとその虫は、ビンの中で数時間は生きていられるらしいです。

 

今度はビンの中に怒っている人の吐いた空気を集めて虫を入れます。

 

するとその虫は、そのビンの中では数分しか生きていられないそうです。

 

 

 

 

「あの人、毒を吐ていね」となんて言ったりしますが、本当に悪口や怒ったときの言葉には毒がふくまれている、と言う話を何度か聞いたことがあります。

 

 

 

 

上手くいく人は上手くいく言葉を話しています。

 

毒の話はさておき、良い言葉が自分や周りの人を勇気づけることは経験として私も知っています。

 

 

 

 

ソフトバンクに戻って来た川崎選手や、サッカーの三浦知良選手とか、インタビューをテレビの前で聞いているだけで、こっちまで心地よくなります。

 

 

 

多分、彼らの言葉は何万人もの人々の気持ちを前向きに変えていること間違いなしです。

 

 

「あぁ、面白いな。楽しいな。良かったな」

 

 

良い言葉を口にしながら勉強することはとても大事なことです。

 

 

 

 

 

 

まつを

 

 

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2017年

4月

07日

蒔いた種の通りの花が咲く

 

 

本日、英単語テストで満点をとった小学生がいました。

 

英単語22個。

 

その子の勉強のノートを見ると、様々な工夫がしてあり、内容も良かったです。

 

 

 

満点の花丸が咲くためには、種を蒔かねばなりません。

 

種は、練習時間であり、工夫であり、意識や集中力などです。

 

 

 

人生では、自分の蒔いた通りの花が咲く、とよく言われます。

 

 

 

テストもそうですが、仕事でも習い事でも、私生活でも同じことが言えます。

 

 

 

良い花を咲かすためには、良い種を蒔かねばなりません。

 

 

 

 

 

イチロー選手が雑誌のインタビューでこういうことを言っていました。

 

 

人の二倍、三倍頑張るって表現があるけれど、頑張っている人たちの中で、さらにその二倍、三倍なんてできない。

 

頑張るとしたら、「もうここが限界だ」という自分の限界から、自分の中でもう少しだけ頑張ってみる。

 

これを積み重ねていくと、今の自分からは想像できない場所にまでたどり着くし、イチロー選手の場合はそうだった、ということです。

 

 

 

 

 

例えば、僕たちの授業の準備では、これでいいかな、十分かな、というところから「自分の中で」もうすこし頑張る。

 

 

プレゼンの準備も、これでいいかな、十分かな、というところから「自分の中で」もうすこし頑張る。

 

 

 

勉強も同じ。なんでも同じ。

 

 

 

自分が伸びたいと思う分野があって、その道を進んで行きたいのなら、「自分の中で」もう少し頑張る、を続ける。

 

 

 

これも「種」です。

 

 

 

そしてきっと、そんな種を蒔き続けると、いつの日か信じられないくらいの大きな花が咲くのだと思います。

 

 

 

 

では、授業の準備を頑張ろうと思います。

 

 

 

 

 

まつを

 

 

 

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2017年

3月

24日

前途を祝して

3月23日(木曜日)晴。

 

 

まだ夜も開けきらぬ早朝、ヒゲを剃りさっぱりとしたほほをマフラーにうずめ、外に出る。

 

 

聡明舎の卒業式当日。

そのプレゼント用の卒業DVDを大和校で作成、梱包する。

 

 

その数時間後の9時には瀬谷公会堂に集合していた。

 

みな時間通りに集合。

 

 

 

一部のリハが始まる。

 

みな熱心だ。

 

 

 

聡明が誇る二代目J-soul Brother’s ライジング楠本サン。彼もまた全力投球だ。

 

ただガラスのノドである。残念にも、ゲネプロ前ですでに声のピークを迎えてしまった。しかしそれでも二代目J-soul は老体に鞭を打ち会場を盛り上げた。

 

 

宮川、堀金の熱唱、ブルゾンひさ子 with 和田&うえさま、あるある和田、モティ太郎、そして太田と愉快な仲間たちダンサーズの演目が終了する頃には、私のヒゲもうっすらと伸びていた。が、周りを見回すとみな同じ。ザキヤマちゃんのゲーヒーもゴイスーである。

 

 

 

卒業式本式。

 

「本当にいい式でした」と多くの人に言ってもらえて、疲れも消えた。

 

 

プレゼントももらって宝物もできました。

 

 

 

聡明舎の卒業生、修了生は、最高だ。

 

 

 

彼らを見ていると、世の中にはいい人しかいないのではないか、と思う。生まれてから何日、何年経ったとか関係なく、僕よりはるかに若い彼らのことを尊敬している。

 

 

 

さて、聡明舎ではよく五本締めを行うが、「前途を祝して」という前口上がある。

 

 

そのとき「自分のではなく、自分以外の他の誰かの前途を祝す」ことのできる集団になれたらいいな、と思う。

 

 

全員が「自分の前途」だけを祝していたら、自分を応援してくれるのは「自分ひとり」しかいないが、全員が「自分以外の誰かの前途」を祝してくれたら、ものすごい数の他の誰かが「自分のこと」を応援してくれることになる。

 

 

 

それは心強い。

 

 

 

でも多分きっと、聡明舎の卒業式ではみんな、そんな気持ちだったんじゃないだろうか。

 

 

 

だからとても心強い。

 

 

 

明日から聡明舎は、新章スタートの春期講習です!! 

 

 

いいチームになるぞー!!!

 

 

 

 

 

まつを

 

 

 

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2017年

3月

17日

「もったい」ないのお話

「もったいない」という言葉があります。

 

この言葉の語源は、いくつかあるようですが、日本の仏教を起源として考えると分かりやすいようです。

 

「もったい(勿体/物体)」とは「ものの本来あるべき姿」のことを表すようです。

 

日本にはただ単に「花」だけではなく、「花びら」の一つひとつにまで命が宿ると考え、敬意や慈しみを持って接する文化があります。

 

だから目に見えるものの、「本来あるべき姿」がなくなってしまうときのなげき悲しむ気持ちを、「もったいない」と表現したんですね。

 

 

そろそろ花見のシーズンです。

 

桜が満開の状態を「もったい」だとしたら、雨風により一夜にして、散り落ちてしまったら、「もったいない」と表現します。

 

単純に節約する、とか、物を捨てずにとっておく、とはちょっと違うんですね。

 

 

だから、面白い捉え方の違いがおきます。

 

 

例えば、サッカーが上手くなりたくて買った性能も、格好もいいスパイク。試合で吐いたら、途中で雨が降ってきてしまって、汚れてしまった。

 

「あぁ、もったいない」となげきます。

 

このときの「もったいない」は、スパイクの「ファッションとして」あるいは「鑑賞するもの」として部分を「もったい」と考えると出て来る言葉なのかもしれません。

 

 

一方で、スパイクの「もったい」を「サッカーでいいプレーをするために必要なもの」と考えるとむしろ、「もったいある」使い方をした結果なので、敬意溢れる使い方なのかもしれません。

 

 

スパイクを丁寧に扱うことは当然のこととして、ある状況での捉え方の違いの具体例です。

 

 

 

そう考えると、僕の家にはギターが弾かれないまま置いてあるのですが、僕は大変失礼な、「もったいない」ことをしてしまっています。

 

 

このように、本来あるべき姿、のことを「もったい」といい、それが失われることを「もったいない」といいます。

 

 

 

 

では勉強の、あるいは自分が行っている仕事の「もったい」は一体、何だと考えますか?

 

 

 

 

保護者の方のほとんどは、勉強を通じて子どもに幸せになってほしいから、という願いを込めて、塾に通わせていただいていると思います。

 

 

また勉強の「もったい」は、テストに出るところの丸暗記や、テストに出ない知識には価値がない、とかそういう部分にあるのではありません。

 

 

 

だからもし、勉強をつまらなく感じてしまった場合や、勉強を通じて心が狭くなっている場合、あるいは勉強を通じて親子関係にギスギスしたものが生じた場合は、勉強やその関わりとの「もったい」、本来あるべき姿を考え直してみるいい機会かも知れません。

 

 

もし今「もったいない」勉強をしているならば変えなければなりません。

 

 

 

また、社会人の方で仕事をされる場合も、自分の仕事の「もったい」や、自分の生き方の「もったい」は何かを考えることは、大きなメリットがあると思います。

 

 

 

本日は聡明舎の「一日体験祭り」の授業日ですが、授業の「もったい」を大切にしたいと思います。

 

 

 

まつを

 

 

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2017年

3月

10日

本日より「人生の助走」と名付けます。

 

 

「マグロはどのような生き物でしょうか?説明してみよう」

 

という問いかけを、先日の授業でしたんですね。

 

 

みなさんなら何と説明しますか?

 

 

 

WikiPedia によると

 

サバ科マグロ属に分類される軟骨魚類の総称で、暖海性で外洋性、回遊性の大型肉食魚で、日本を初めとする世界各地で重要な食用魚として(人間により)漁獲されている。


とありました。

 

 

 

「じゃぁ、ハトはどのような生き物でしょうか?」

 

 

これもまた質問してみたんですね。様々な意見が出ました。

 

 

 

こちらもWikiPedia によると

 

ハト目・ハト科に属する鳥類の総称で、体に比べて頭が小さく、胸骨、胸筋が発達してずんぐりとした体型が特徴である。ハト目には世界で約42属290種ある。


とありました。

 

 

 

「では、マグロやハト、キリンなどと同じ生物として考えたとき、人間はどんな生き物ですか?」

 

 

 

こちらはWikiPediaでは端的には書いてはありませんでした。

 

 

 

そこで昔の賢人・アリストテレスの言葉をあたると

 

「人間は社会的動物である」

 

ということなんですね。

 

 

 

人間は社会をつくりその中で生きる動物である、というわけです。

 

 

 

宇宙の視点から地球を眺めると、マグロの生活形態、ハトの生活形態、アフリカでのキリンの生活形態が確認できるのと同様、地球上には人間の生活形態が見えます。

 

 

人間は社会を形成し、ルールや法律を作り共有し、それを犯したものは処罰され、それぞれに義務を背負いながら生きている、ということが分かります。

 

 

陸地にあるそれぞれの群れが有するルールは様々です。

 

 

それぞれの社会が強く形成された結果、人間には壁もなにもないのに、自由に通り抜けることができない場所が生まれました。その一つは「国境」ですね。国境という見えない「壁」は陸地だけではなく、空にも海にもあります。

 

 

また、個人が勝手に住み着いていい場所は基本的にはないようです。ある社会から出たり、入ったりするためには様々な手続きが必要なようです。

 

 

 

 

マグロ、ハト、人間。

 

 

すべて同じ地球上の生き物として横に並べて比べてみると面白いですね。

 

 

 

 

 … … … … … … … … … … … …

 

 

 

さて、人間の社会には、ルールと同時にさまざまな常識があります。

 

 

生まれた社会により、常識が異なります。また「家族は社会の最少単位」とも言われます。学校も社会で、地域も社会です。

 

 

生まれた場所の常識が、私たちそれぞれの常識となり、生きる指針になっていきます。

 

 

たまに、他の誰かや本の言葉により、常識で凝り固まったものの見方が変わることがあります。

 

 

 

その一つを紹介します。

 

「道を歩いていて、前に小川が流れています。先に進みたいので、周りに橋を探しますが見つかりません。なので、歩いて来た道を何十mか後戻りし、走って飛び越えることに成功しました。

 

 

では、この後戻りしたのは無駄な距離だったのでしょうか?

 

 

そんなことありませんね。確かに後戻りはしましたが、結果的には戻った距離を取り戻しただけではなく、小川を飛び越えることができました。

 

 

このようなことが人生ではたくさん起こります」

 

 

 

きっと失敗や挫折にあたるものは、この後戻りに相当するでしょう。

 

 

本日より、それらを「人生の助走」と名付けてみてはどうでしょうか。なんだか力強い気分になってきます。

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

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2017年

3月

01日

条件よりも状態です。

 

校舎の近くのセブンイレブンによく通っています。

 

校舎の近くのみならず、家の近所のセブンにもお世話になってて、すっかり顔なじみです。

 

クリームわらび餅、オリーブオイルサバ、キーマカレーとお気に入りのセブン商品をあげたらきりがなく、僕の体をレジで読み取ったら値段が表示されるかもしれない、というくらいお世話になっています。

 

ありがとうございます。

 

 

その中でも使い勝手が良いのが、チョコ棒10本入とうまい棒(笑)。

 

間食にはちょうど良いのです。

 

 

 

先日、保護者の方についてきた3,4歳の子に、僕のもっているちょっとしたお菓子をあげたら、ものすごく喜んでくれました。

 

 

 

 

自分の進路、会社、遊び場など、誰でも自分の進む場所は楽しくあって欲しい考えます。

 

だから「楽しい場所」はどこだろう、「楽しい」はどこにあるのだろう、とよく調べ探し、求めます。

 

 

でも一方で、世の中には、どんな場所でも「その人が行く場所が楽しくなる」というタイプの人がいます。「その人がいる場所が楽しい場所に変わる」という人です。そういう人にとって、場所も職種も「楽しいかどうか」にはあまり関係がありません。「あなたが行く場所が楽しくなる」ということです。

 

 

 

どうせ時間過ごすのなら、みんな「楽しい時間」にしたいと願っています。

 

 

だから条件を整えることに熱心になります。例えば、条件のいい会社で働きたい。知名度のある学校に行きたい。より素敵な人とパートナーになりたいなど、良い条件を揃えようとします。

 

 

でも、どんなに知名度があり、高給取りで、例えば高層ビルの素敵な夜景が見える家に住んでいたとしても、心の中が不幸なら、その窓から飛び降りたくなるかもしれません。

 

 

実は、「楽しい時間」を過ごしたいなら、「周りの条件」を整えるよりも、「心の状態」を整えた方がいいのかもしれません。

 

 

 

公立高校の入試の発表があり、大学入試も大詰めを迎え多くの聡明舎の生徒たちの進路が決まっていますが、みんな「どこへ進んだとしても楽しめる人」ばかりであると信じていますし、願っています。


 

 

受験を終えた生徒たちはよく頑張りました。だからこそ、家に帰ったら「ありがとう」と家族や周りの人に伝えて欲しいと思います。

 

 

それがきっと、どこに行っても楽しめる、心の状態の一つではないか、と思うのです。

 

 


チョコひとつですが、
3、4歳のその子は、僕の方よりも小さく、お金もなく、自由に移動もできませんが、とても喜んでくれました。

 

 

心の状態次第で、実は日々、楽しいことにあふれだすのかも知れません。

 


 

 

 

まつを

 

 

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2017年

2月

14日

合否をこえて

 

勉強を通じ、知識や問題を解く技能を手にすることができます。

 

でも、それがただの丸暗記やパターン学習だと、受験や定期試験だけに通用するものなってしまいます(ただ最近の試験問題は、丸暗記やパターン学習だけの人は得点が取れないような問題に変化している気がします)。

 

だから今後のことも考えると、思考力や判断力に繋がる勉強をした方がいいですね。

 

例えば速さや距離の計算などを、例の「は・じ・き」と円を描き、数字を当てはめる方法で答えを自動的に出すのではなく、割合の問題として本質から理解できれば、「は・じ・き」の円を描かなくても答えは出せるし、「は・じ・き」では対応の効かない問題も解ける、ということです。

 

ちょっとここで、思考力・判断力の理解のために料理好きの人の例を考えてみます。

 

料理好きな人は、調味料の組み合わせや煮込む順番や、隠し味を何にするか、などを思考します。そして、ある料理を美味しく作る目的を持ったら、何らかの仮説を立て、実験、検証します。そして、上手くいってもいかなくても、その検証結果を新たな知識、技能として獲得していきます。

 

能力が上がってくると、レストランに行っておいしい料理を食したときなど、「これには◯◯という材料が使われているに違いない」とか「△△という方法を用いているに違いない」あるいは「今までの私の記憶にはない調理法だ」とか、思考し、判断をすることができます。

 

 

この料理好きの例にあるような思考力・判断力の源には、「料理をしたい」「料理を上手になりたい」という思い、主体性があります。

 

 

この主体性が、知識・技能、思考力・判断力に至るすべての「学ぶ力」の源になります。

 

 

勉強においては、本人の内側にある「勉強を出来るようになりたい」だったり「勉強が楽しい」だったり、内側の主体性を育てていくことがとても大切です。

 

 

この主体性の育て方にこそ、各学習機関の工夫や、創意が凝らされます。聡明舎もここに一番力を入れています。

 

 

最終的に手に入れる知識や技能は、どこで勉強をしても似たようなものです。教科書、試験が共通なのですから。

 

 

でも、そのプロセスとその過程で得られるものは、学ぶ場所、環境によって大きく異なります。

 

 

さて、今週末には、大和校、高校部で聡明舎の保護者会がございます。聡明舎に興味がある方には、絶対に聞いていただきたい内容です。

 

 

聡明舎の考える学習についてのお話となります。

 

 

 

 

ところで、余談ですが、私が生徒たちにに勉強を通じて手に入れて欲しいもの、が他にもあります。

 

主体性の先に、手にいれて欲しいものです。

 

 

 

それは「他の誰かのため」という感覚、「感謝」という感覚です。あるいは「人としての器を大きくする」というプロセス、です。

 

 

 

日本はとても物質的に恵まれた国だと思います。…なんて書くと、話が壮大になりすぎな感じもしますが、本当にそう思います。

 

でも、そんな日本で、普通に学校に通い、卒業し、別段に不自由のない生活をしていても、何となく満足感を得られずに人生を送っている人が多くいることも、様々なデータをみると事実のようです。

 

これは、人生の中で自己実現ばかりを優先し過ぎた結果なのではないか、と考えることがあります。

 

 

公立高校の入試が終わり、大学入試も大詰めを迎えていますが、合否を超え、生徒たちには「よく自分と向き合ってがんばった」と、自分をほめて欲しいと思います。

 

そして同時に、両親や仲間に対する感謝、ありがとう、という気持ちがわいてきたらいいなと思っています。

 

 

生徒たちの主体性は「自分のため」を超え、「他の誰かのため」にまで広がった、大きな「器」として育って欲しいと思っています。

 

 

卒業した後のことを考えると、器の大きな主体性の方が、生徒たちを支えてくれると信じています。そしてもちろんそれは、私自身の課題でもあると思っています。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

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2017年

2月

08日

心のBGM

 

 

聡明舎瀬谷校の前にツタヤがあり、私もいつも利用させていただいている。

 

 

ツタヤに入るとその時期のオススメの曲が繰り返し何度も流れている。近くということもあり、刷り込まれるようにその曲が私の頭の中を流れる時がある。

 

 

考えてみると「心のBGM」のようなものはいつも自分の内側に流れている。

 

 

それがお気に入りの曲の場合もある。また、曲という形を取っていない場合もある。

 

 

 

あるときは誰かの声かもしれないし、何かの怒りかもしれない。誰か好ましい人と交わした会話の記憶かもしれないし、会社で嫌なことがあったときには誰かの悪口や自己弁護かもしれない。ニヤニヤする思い出かもしれない。

 

 

基本的に心に何も流れてないときはほとんどない。意識してたまに心をオフにしない限り、私たちの心には常に何か「心のBGM」が流れている。

 

 

だから思うことは、何気なく目にする情報や言葉はいいものにした方がいい。前向きなものにした方がいい。

 

 

心のBGMは意識しないと、周りに刷り込まれてしまうから。

 

 

また本を読んだ方がいい。それも何でもいいわけではなくて、自分の心にいいものを読んだ方がいい。

 

 

心のBGMは、生き方をもきっと左右するから。

 

 

「受験生はどんな心のBGMを聞きながら勉強をしているのだろう?」と思うと、私は俄然、刷り込むように何か「勇気の出る言葉」を探して伝えたくなってしまうのであ〜る。

 

 

そして同時に、生徒たちに手にして欲しいのは、この忙しい時期だからこそ「感謝」のBGMを手にして欲しいのであ〜る。

 

 

合格は集中力と時間、やり方でなんとか手に出来るけれども、日常の喜びは周りに対する感謝や敬意の先にしかないように思うからなのです。

 

 

 

まつを

 

 

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2017年

1月

25日

PeaceKeeping Operation ; SMILE

 

トイレに入り、ドアを占めると、個室となりそこに鏡があるとする。

 

ある人は鏡に映った自分を見ながら髪型を整えたり、またある人は、笑顔を確認したり、自分に何かを言い聞かせたりするかもしれない。

 

素敵な顔を鏡に向けて作るかもしれない。

 

しかしひとたび鏡の前から離れ外に出ると、はたしてどれくらい同じ良い表情を保っていられるだろうか?出た瞬間に、むっつりとした顔に戻る人も少なくないかもしれない。

 

 

笑顔が素敵というだけで私は「いいなぁ」と好感を受ける。

 

 

生徒が笑顔でいてくれるだけでどれだけ前に立つことが楽しくなることか。子どもが笑顔でいてくれるだけで、「それだけで嬉しい」という保護者の方もきっといらっしゃるだろう。

 

 

笑顔はさしずめ光であり、花、そしてPeaceKeeping Operation(平和維持活動)である。

 

 

さて、ここで自分のことを振返ってみよう。

 

どれだけ良い笑顔を今日は出せただろうか?人の笑顔を見て好感を持つのなら、自分が笑顔を出すことで人にも好感を与えることができるのかもしれない。

 

笑顔が光であり、花のようなものだとしたら、きっと蝶々もよってくるだろう。いい人も、いい話も寄ってくるだろう。

 

 

人を喜ばせる方法の一番簡単で、コストも時間もかからない方法のひとつに、笑顔を出す、ということがある。


 

さぁ、もったいぶらずに笑顔を出そう。鏡の前の自分だけに見せるのではなくて、世のため人のためにあなたの笑顔を還元しよう。

 

 

聡明舎は良い笑顔の生徒が多いと思います。

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

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2017年

1月

11日

キャンバスのサイズ

 

 

二年前に、アンリ・ルソーの「夢」という絵を直に見る機会があった。

 

 

原田マハさんの小説「楽園のカンヴァス」を読んで興味を持ち、実際にその前に立ってみるととても感動した。

 

芸術のことを語るほどの知識はないがとにかく、すごい絵だな、と思った。

 

 

 

ルソーの「夢」

 

サイズは約2m×3m。

 

大きな油絵である。

 

 

 

さて、絵の大きさの話で言うと、教科書でおなじみの絵でもある

 

ピカソの「ゲルニカ」

 

サイズは約3.5m×7.8m

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」

 

サイズは約4.6m×8.8m

 

 

大きな絵であり、いずれも芸術の最高傑作である。

 

 

 

 

大きな絵を描く方法のひとつは、時間をかけること、だろう。

 

 

 

時間をかければ、大きなキャンバスに絵を描くことができる。

 

 

 

一日10分なら、一日10分の絵が描ける。

 

一日1時間なら、一日1時間に相当した絵が描ける。

 

 

 

学力の向上も同じことがいえる、と思う。

 

一日10分ならその分の、一日1時間ならその分の成果が上がる。

 

 

 

それは生徒自身の勉強を見ていても、自分の習い事を振返ってみても同じことが言えるようだ。

 

 

 

かけた時間の分だけ大きな絵が描ける。まずは上手、下手はさておき、大きな絵が描ける人になろうよ、と思う。

 

 

私たち描く「夢」もきっと同じ仕組みでできていて、かけた時間の分だけ、大きく広がるのである。

 

 

 

まつを

 

 

 

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2017年

1月

03日

Just live now!!

 

あけましておめでとうございます。

今年も一年、よろしくお願いします。

 

 

さて、年末年始にいくつかの集まりがありました。

 

家族で集まったり、同級生で集まったりさまざまです。

 

お正月のいいところは、年に一回お正月だから、という理由で集まれることで、お正月がなかったならば顔をあわすことが年に一度もないかもしれない人もいる、ということです。

 

 

例えば年に一度顔をあわす人がいたとして、果たして残りの人生の中であと何回、直接話すことができるだろうか、と考えると、その一回が貴重なものに思えてきます。

 

 

「よいお年を」とは別れ際に言う決まり台詞になっていますが、本当に心から「よいお年を」と願います。

 

 

健やかなればこそ顔をあわせることができるわけです。

 

 

 

ただ、この事実はお正月だけのことではなく、例えば、餅つきも、桜を見られるのも同じで、思えばあと何回あるのでしょう?

 

…というよりも、果たしてその回数は約束されているのでしょうか?

 

 

まさか、ですよね。

 

 

 

私たちには数秒先すらどうなっているのかは分かりません。

 

 

 

 

 

さて、ここでも

 

Your time is limited. Don’t waste your time.

 

というスティーブジョブズの言葉が浮かびます。

 

 

 

 

時間を無駄にせずに生きる一つの形はきっと、妄想にとらわれない、ということです。

 

 

 

 

目をつぶり、昔食べた料理を思い浮かべる。

 

これ妄想。

 

 

目を開けて、今目の前に見える料理を眺める。

 

これ現実。

 

 

 

 

昔食べた神戸牛のステーキを思い浮かべながら、目の前の野菜炒めを食べ、なんだか安い味がするなぁ、と今を価値の低いものに思ってしまったりすること、あると思います。

 

 

 

目の前の人を見るときに、昔あったいいこととか、嫌なこととかを重ねて見てたり、何かにチャレンジするとき、過去の失敗を思い出していたり、と妄想に気づかぬうちにとらわれ気が滅入っていたりすることも、あると思います。

 

 

 

スティーブジョブズは先ほどの言葉に続けて living someone else’s life. と言っていました。

 

 

Your time is limited. Don’t waste your time living someone else’s life.

 

「あなたたちの時間は限られている。ほかの誰かの人生を生きて、自分の時間を無駄にすしてはいけません」

 

 

 

 

私はこれを参考に、

 

Don’t waste your limited time living in past and memories. Just live now. 

 

と言ってみたいと思います。

 

 

 

「過去や記憶を生きて、限られた時間を無駄にするな。今を生きよう」

 

 

 

お正月に集まれたら、過去も未来も関係なく、今その時間をありのままに楽しむ。

 

 

同じように生きている今、目の前にある時間こそを最大限に楽しむ。

 

 

 

「よいお年を」と声をかけるとき、そういう想いも、こめています。

 

 

 

Just live now!!

 

 

 

まつを

 

 

 

 

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2016年

12月

28日

相手がいるっていいね

 

 

今年も一年ありがとうございました。

 

 

聡明舎は一人ひとりの生徒、保護者、スタッフ、多くの人により作られるものです。

 

 

本日が2016年、最後の授業でしたがとても充実した一日を過ごすことができました。

 

日々、僕の方が元気とやる気を生徒たち保護者のかたからいただいています。

 

 

私は一日の業務の終わりに、一日一通、葉書を書いていますが、葉書を書く相手がいる、ということがとても嬉しく思います。

 

 

また来年もよろしくお願いします。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

松尾健史

 

 

 

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2016年

12月

14日

受験生の賭け

 

パスカルの書いた書物「パンセ」の中に「パスカルの賭け」というものがあります。

 

 

「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?

 

ー いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。

 

ー そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」

 

 

 

こんな風に始まるのが「パスカルの賭け」と呼ばれる話。興味のある方は是非、読んでみてください。

 

 

 

 

私は別の受験に関する話です。

 

 

 

受験生はどうも、勉強すれどもすれども不安は消えないようです。

 

 

 

「君が合格するか、しないか。きみはどちらに賭ける?

 

ー いや、どちらかを選べというのは間違っている。合否は運で決まるものではない。

 

ー そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから」

 

 

 

合格するかしないか、は合格発表日まで分かりません。

 

運ではないといいながら、受験には運の要素もあるわけではすから、100%の安心なんてめったに得られるものではありません。

 

 

 

だったら、どちらかに「賭け」て生活をしてみてはどうでしょうか?

 

 

「私は合格する」

 

 

たとえ落ちたとしても、「合格する」と信じ、「賭け」て生活する方が、その時までは幸せでいることができる気がします。

 

 

例えば、不安な夜、が減ります。

 

例えば、「これをやって意味があるのかな」という迷いが消え、決断がスムーズになります。

 

例えば、気持ちに余裕が生まれます。

 

 

 

君の船はもう走り出しています。精一杯目的地を目指して、オールを漕ぎ、風をよみ、今、順調に前に進んでいます。

 

 

海は荒れているかもしれませんが、方向は正しい。

 

 

結果、君はきっと目的地にたどり着きます。

 

 

受験に合格します。

 

 

 

僕はそう賭けてます。君はどうですか?

 

 

 

 

 

まつを

 

 

 

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2016年

12月

06日

時間について

聡明舎に通う生徒たちは、授業や宿題を通じて、高い学力を身につけようと努力している。

 

もっと勉強が好きになって、テストでいい点数が取れるようになって、好循環の中に身を置いて欲しい。

 

ただ、「勉強ができるようになって欲しい」という言葉が、私が生徒たちに望んでいることのすべてを表しているわけではない。

 

生徒たちには学力以外にも、楽しく生きる「コツ」や「考え方」のようなものを学んでほしいと思っている。勉強はそれらを学ぶための手段の一つだと思っている。

 

 

今日のコラムでは、よく言われる「時間を守りましょう」ということについて考えていきたいと思う。

 

 

先日、ある生徒が冬休みに「ディズニーランドに行く」という話をしてくれた。友達と一緒に行く予定らしい。ディズニーランドは夢の国、私も大好きだ。

 

さて、ここからは私の話になるんだけど、例えば君が、ディズニーランドへ行き、その中のとあるレストランで食事をしたいと思っていたとする。

 

そこで友達にこんな風に声をかけてみる。

 

「私、ディズニーランドの中で、どうしても行きたいレストランがあるだ。そこでミッキーのショーがあってどうしても見たい。だから、一緒にそこに行かないか?」

友達は「いいよ」と言ってくれる。

 

君は嬉しくなって、感謝をしながら続ける。

 

「ただそのレストランは人気があるから、早めに予約をしないと、席が取れなくなるんだ。だからディズニーに行くときの集合時間を早くしたいんだけど、いいかな?」

 

友達は「いいよ」と賛同してくれる。

「集合は何時くらいがいいだろう?」「じゃ、大和駅に朝の6時ね」

 

こんな約束をかわす。君は楽しくて眠れないほどになる。

 

さて当日、君は駅に5時50分に到着する。

 

早く来ないかな、と思って待っているけれど、なぜか友達は現れない。「あれ、どうしたのかな?」って不安になる。時計を見ると、もう6時をすぎて、6時10分になってる。携帯電話に連絡をしてみるけど繋がらない。

 

「どうしたんだろう?」と不安な気持ちで思案していると、友達から折り返しの電話がかかってくる。

 

「寝坊してしまい到着が7時近くになりそうだ」という。

 

 

さて、その友達に対して君がどんな言葉をかけ、どういう対応をとるかということは、少し置いておくことにする

 

ここで考えて欲しいのは、もし友達が約束の時間通りに来てくれるなら、とても幸せだろう、ということだ。

 

時間通りだったら「楽しみだねー」なんて言いながら、そのままスムーズに電車に乗って、ウキウキした気分でディズニーランドに向かうことができる。

 

時間を守る。

 

実はそれだけで誰かの幸せの役に立っている

 

聡明舎でもそうで、授業の開始にみんながそろって、教室できちんと待ってくれているだけで、どれだけ嬉しいか。みんなが時間通りに席について待っているというのは、先生としてとてもいい気持ちがするものだ。

 

 

さて、考えてみると、私たちの毎日は誰かが時間を守ってくれるおかげで成り立っている。

 

朝起きると、いつも登校に間に合うようにご飯が用意してある。お弁当もある。洗濯した練習着もある。おかげでいつものように登校できる。時間通りにバスが来る。学校の門がちゃんと開いている。みんなが教室に集まる。おかげで普通に勉強ができる。

 

 

「いつも通り」も「普通に」も実は、いろんな人が時間を守ることによって出来上がっている。

 

 

私たちの生活は繋がりの中にある。その繋がりの一人に、当然、君もいる。聡明舎でも「時間を守る」を大切にしているのはそのためだ。

 

 

 

ただ最後に一つ。先に上げたディズニーランドの待ち合わせの例で、もし本当に友達が遅れてきたらどうするか。

 

 

私は「しょうがないか」「いいじゃないか」切り替えてその日一日を楽しむことをおススメする。

 

きっとそっちの方が、一日の残りが楽しくなるからね。

 

ま、難しいときもあるかもしれないけど、心がけたいね。そっちの方がね、絶対楽しいから。

 

 

まつを

 

 

 

 

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2016年

11月

29日

能力を磨きましょう

 

大学受験での国公立の受験は数が限られているが、私立大学は何校でも受験できる。

 

 

だからある程度志望校のラインを決め、

 

「◯◯大学が第一志望だが、少なくとも□□大学以上に合格するぞ」

 

と計画を立てて複数校、大学を受験をする人がいる。

 

 

 

が、受験を通じて面白く感じるのは、合格する人はいくつでも合格するし、不合格になる人は不合格が連続する、という事実を示してくれるところか。

 

 

 

『受験は宝くじではないから、実力、能力があればいくつでも合格できる』

 

 

 

当たり前のことなんだけど、たまに忘れてしまう。

 

 

 

 

大人になっても実感する。

 

 

 

 

仕事でうまく人は、とことんうまくいく。うまくいく働き方をちゃんとしている。

 

異性にモテる人は、いつもモテる。端から見ていても「あの人はモテるだろう」と思う。男が憧れる男もいるし、女が憧れる女もいる。

 

 

 

 

さて、聡明舎の素敵な生徒たち。

 

彼らにとっては、聡明舎を卒業するまでの人生よりも、卒業した後の人生の方がはるかに長い。

 

 

 

点数、合格もとても大事だが、それ以上に生徒たちには、幸せになって欲しいと願っている。

 

 

そして「幸せ」は運や巡り合わせのような、人智を超えところにだけ存在するのではない。

 

 

能力に拠るところも、、、きっと大きい。

 

 

 

 

「幸せ」になる能力。

 

 

 

 

『幸せは宝くじではないから、能力があればどこでも、どんな世の中になっても幸せになれる』

 

 

 

 

その方法は目下研究中だが、ひとつ応用の利きそうなヒントがある。

 

 

 

それは白石康次郎さんと喜多川先生の対談CD『晴耕雨談』の中でのこと。

 

白石さんが言っていた

 

「女の子にモテたかったら、モテている人に相談するべきでしょ」

 

という言葉。

 

 

 

なるほど、なるほど。

 

 

 

 

子どもたちの周りに、ハッピーな人がたくさんいたらいいなー、と思う。ついでに、勉強もできて仕事もできて、話も面白くて、人に慕われ、情に厚く、誠実で、遊びも上手な人がたくさんいたらいいな~。学べるもんね。

 

 

 

 

……なんて偉そうに言ってるけど、まずは「がんばれ俺」だよなー(笑)。

 

 

 

大和校、尊敬しちゃうくらい生徒が素敵だから、実はこっちが学んでいることの方がはるかに多いんだよなー。

 

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 

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2016年

11月

23日

価値観

 

幼い頃、人の家のカレーを食べて、「おや、違うぞ」と思ったことがある。

 

「これは違うカレーだぞ」と。

 

 

幼いころから食べ慣れてきたカレーが、私のカレーになる。味覚が経験的に形成される。

 

 

さて、私にはここ数年来どハマりしているカレー屋さんがある。

そこには多いときで週3、4で通っている。一時期シェフが代わっていたのだが、最近、その名シェフが復活し、私の通うペースも増えている。

 

そのレストランはインドやネパールのカレーを出してくれる。

 

きっと彼らが日本のカレーを食べたとき、「なんじゃこりゃー」と松田優作ばりに驚いたであろうことは想像に難くない。

 

 

 

日本のカレーは、インドカレーとはまるで違っている。

 

 

 

私はどちらも好きである。ハマっているのはインドカレーだが、日本のカツカレーのトンカツとカレーは、サンタとトナカイに匹敵するくらいの相性である、と思っている。

 

 

物語になっても悪くない。

 

 

 … … … … … … …

 

「新説カツカレー誕生の物語」

 

 

ある寒い冬の夜でした。

 

雪空の下、身寄りのない一枚のトンカツが震えながら街を歩いていました。

その夜を凍えずに過ごすことの出来る家を探していたのです。

 

「残念だけど、お前を寝かせるベッドはない」

何軒まわっても誰も受け入れてくれません。

 

「助けてください。このままだと僕はゴムの塊みたいになってしまいます」

「申し訳ないね」と断られます。

「あんたも大変だろうけど、この健康志向の世の中じゃね…キャベツさんあたりに頼んだらどうかね」

「キャベツさんは夏場がシーズンでいまは時期がずれてるんです」

「悪いけど、ほかをあたってくれるかい?」

「なんとか…」

「ベットが油まみれになっちまうんでね。ほかに行ってくれ」

 

夜も深くなり、あたりはいっそう寒さをましていきます。トンカツの体もどんどん固くなっていきました。

 

トンカツが凍えながら肩を落としていると、トントンと肩を叩かれました。振返ると、老舗洋食屋の老夫婦が立っていました。

 

「トンカツさん、うちでよかったら泊まっていきなさい」

「え…」

「お困りでしょう?うちにはちょうどベッドが一つ余ってるから、泊まっていきなさい」

その言葉にトンカツの胸はジュッと熱くなりました。しかしトンカツは首を横に振りました。

「ううん。遠慮しておきます」

優しさに触れ嬉しかったのですが、だからこそ老夫婦の迷惑になってはいけない思ったのです。

「僕が泊まると、家を汚しちゃうから」

「心配することはない。その油こそが君の魅力じゃないか」

「え…」

トンカツには信じられない言葉でした。

「みんな油は嫌いだって…それに健康志向でしょ…?」

おじいさんとおばあさんは優しく微笑み「私たちは君のことが油も含めて大好ですよ」と言ってくれました。

 

そうしてトンカツはその夜、老舗洋食屋に泊まることにしました。

暖かいご飯のベッドに横になると、おじいさんがそっとカレーの蒲団を上からかけてくれました。とても温かく、すやすや眠ることができました。

 

 

これが、カツカレー誕生の物語

 

 

 … … … … … … …

 

 

さて私のカレーの味の話。

カレーの味覚、これは幼い頃に自宅で作られたものだ。同じように、一人ひとり異なったカレーの味が、それぞれの自宅で作られていく。

 

で、あるとき、ほかのカレーに触れたとき、「おや、違うな」という違和感を感じる。違和感を感じるたびに、どうやらそれぞれの家庭にはそれぞれのカレーがあるらしい、ということに気づくようになる。より好ましいカレーに出会うことも、ときには受け付けないカレーも出てくるかもしれない。

 

大人になると、違いを感じていた各家庭のカレーも結局はすべて「日本のカレー」で、それは「インドのカレー」とは違うらしいと気づくようになる。そこから、なぜ日本のカレーがインドのカレーと違うのか、ルーツや味覚の違いの原理などを調べたくなったり、日本のカレーを見つめ直したり、世界の広さを感じたりする。

 

 

 

きっと、子どもの価値観やそれに付随した行動基準にも同じこと、同じ成長が言えると思う。

 

 

 

先日、ある生徒から「聡明舎は最高だ」という言葉を聞いた。

 

 

 

だからこそいっそう、子どもたちに向き合った学習機関にならなければならないなぁ、と思う。

 

 

 

大人として日々、子どもたちにどのような言葉をかけ、どんな姿を見せるのか、真面目に真剣に考える必要がある。

 

子どもの価値観やそれに付随した行動基準。それらが今、育まれている。

 

 

 

 

「勉強もできる本当に意味で頭のいい人」

 

 

それにどこまで近づけるか。子どもたちと共に、考えていきたい。

 

 

まつを

 

 

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2016年

11月

15日

読書感想文。走れメロスを読んで。

 

 

「なぜ今、ここで働くのか」という問が自分に向けられるときがある。

 

これは自分の人生を見直す問ともなる。

 

あえて立ち止まったり、レールを代えない限り、明日も、一年後も、今いる場所で働いていることが予想できるからだ。

 

人生は短い。

 

今年も季節が駆け巡り、気づけばもう年末を迎えようとしている。浦島太郎のように時間が流れる。ひょっとしたら「浦島太郎」の物語は、1000年以上前に生きた誰かの実感なのかもしれない。

 

 

人生は短い。しかし、生きることができるのは「今ここ」だけだ。

求めているのは「今ここ」で生きている充実感だ。

 

 

「ああ、メロス様」

うめくような声が、風とともに走るメロスに聞こえてきた。声の主はフィロストラトスだ。

 

メロスは王に捕らえられた親友のセリヌンティウスを救うために走っている。日が西の空に沈みきる前に王のもとにたどり着かなければ、セリヌンティウスは殺される運命にある。メロスは口から血を流しながら走っているが、日がどんどんと沈んでいる。フィロストラトスはそのセリヌンティウスの弟子だ。

 

「走るのはやめてください」とフィロストラトスはメロスを止める。

今はメロスの命が大事だと言う。

 

しかしメロスは「いや、まだ日は沈まぬ」と走り続ける。

 

「あの方は」とフィロストラトスはセリヌンティウスの様子を語る。

「あの方はあなたを信じておりました。処場に出されても平気でいました。王様がさんざんあの方をからかっても、メロスは来ますとだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました」

 

 

この後のメロスの言葉に私は、いつも強く胸を打たれる。

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ」

 

このシーンにいたるまでメロスには様々なことがあった。

 

いっそ友のことを忘れ楽しくお酒を飲んでいたいという気持ちになったことも、のんびり歩いていたことも、もう無理だとあきらめそうになったこともあった。

 

しかし最後の最後、メロスが口にした命を削ってまで走る理由。

 

 

 

信じられているから、走るのだ。

 

 

 

ロマンティシズムが過ぎるかもしれないが、私はこの台詞に、自分の姿をオーバーラップして考えてしまう。

 

もちろん私の仕事は生きる、死ぬの狭間にいるようなものではない。塾の先生だ。でも私も同じように人生の時間を使って生きている。この文章を読むあなたや、すべての命ある生きもののすべて同じように、太陽のように昇り、そしていつか沈む生を生きている。

 

「なぜ今、ここで働くのか?」

「なぜこの仕事をやっているのか?」

 

自分が働く意義を考えることがあるときに、私はこの本を読むことを勧めたい。給料も、福利厚生も、労働条件や環境も大事だ。しかし、それをも凌ぐ働く生き甲斐。走る理由。

 

信じられているから。

 

この「走れメロス」が発表されたのは今から七十年ほど前。

 

時を越え、なお胸打つ名作である。

 

 

まつをの読書感想文

 

 

 

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2016年

11月

08日

「水槽」の大きさ

 

 

宮川先生という先生がいる。

 

 

よく車で送っていただくことがあるが、車内の話題はだいたい食べログをベースとした、食べ物の話である(笑)。

 

 

さて、私自身、そんな宮川先生と仕事をするのが大好きである。

 

それは決して、ココイチのカレーをおごってくれたりファミマのシュークリームなどを差し入れしてくれるから、だけではない。宮川先生のもとで働くとき、私は自分の中にのびのびとしたものを感じるのである。誇りと熱意を持って仕事に臨み、ミスを恐れず、ベストなパフォーマンスを出そうとしている自分がいることに気づくのである。

 

 

 

 

みなさんも感じたことはないだろうか?

 

 

 

この先生のときには、このコーチの前では、この仲間やリーダーと一緒なら、なんだか自分は高みを目指し挑戦していける、という想いを。挑戦する勇気を掲げる聡明舎のコラムとして、このことを掘り下げて考えてみたい。

 

 

 

 

ひとつ想像してみよう。

 

 

目の前にコップがありそこに水を入れ、魚を飼うとする。どんなにたっぷりと水を用意したとしてもコップはコップ、魚には狭く、動くたびに水が飛び散って大変である。中の魚にできることといえば、同じところをぐるぐると回りつづけるか、呼吸をしながらじっと浮いているだけである。それ以上大きく成長することも止めねばならない。

 

では、この同じ魚を洗面器に入れてみるとどうか?

 

水を跳ねさせずに泳ぐことは出来るかもしれないが、やはり狭苦しくかんじるだろう。バスタブほどの広さならば先の二つよりははるかに条件が良くなる。

 

 

 

さて、ここでこの魚を「自分自身」として考えてみる。

 

 

 

魚である自分の泳げるスペースが、バスタブならば、プールならば、湖ならばと考えたとき、どれを一番心地よく感じるだろう?強くたくましく育つだろう?

 

 

多分、私は宮川先生と働いているとき、どれほどの大きさかは分からないが、「大きくて広い水槽」に入った魚のように感じているのである。

 

 

 

 

教育を仕事にしている私は、自分の意識を「水槽」のように考えることがよくある。

 

 

 

それは、子どもたちの成長は先生のもつ意識によって変わる、と考えているからだ。

 

 

前に立つ先生から「できる」という視線を受けるのか、「不安だ」と思われるのか。「信じ」られているのか、「疑わ」れているのか。そして、どのくらいの範囲まで「できる」と「信じ」られているのか。

 

 

 

それによって子どもたちのパプォーマンスは変わる。

 

 

 

私たち自身が職場やさまざまな集団の中で感じたことがあるように、子どもたちもきっと肌で感じている。

 

 

私たちのもつ「水槽」の中で子どもたちは泳いでいる。だから時々、「狭い」といって彼らは水しぶきを上げたりする。

 

 

 

聡明舎に通う生徒にはすばらしい生徒が多い。

 

 

 

優しく、思いやりがある。私自身は、現在教えている生徒たち全員をとても好ましく思っている。だからこそ勉強を通じ、知識や技術だけではなく、思考力や判断力、主体性を身につけて欲しいと願う。

 

 

 

だからやっぱり、生徒たちが元気よく泳ぐことのできる「大きな水槽」が必要なのである。

 

 

 

 

エジソンや坂本龍馬の伝記を読んでも、海洋冒険家の白石康次郎さんの話を聞いても、そばには自分を支えてくれた大きな存在がある。母や父などの身内であったり、師匠であったりと、その人たちの用意してくれた大きな「水槽」の中で、彼らが大きく成長をしてきたことを知る。

 

 

 

同じように私も、今目の前にいる子どもたちが元気にのびのびと、それぞれの才能を存分に伸ばせるような「水槽」を作ってあげたいと思う。

 

 

 

 

ただ、生徒たち自身にも覚えておいて欲しいことがある。

 

 

それは「自分自身で成長する」という主体性と、「自分は大きな可能性の『海』にいる」というイメージだ。

 

 

誰かの用意した小さい「水槽」におさまり続ける必要はない。

 

 

自分の人生なんだから、自分で責任とるんだぞ、ということだ。自分たちで自分自身を大きく成長させていくんだよ、ということでもある。

 

 

さて、そんなことを考えていくと、今、生徒たちが傷ついたり悩んだりしていることは、大きな「海」の視点から見れば、実はどうってことないのかもしれない。

 

 

 

点数、合格、言った、言われた、勝った、負けた。

 

 

 

コップに入った水に石ころを投げれば大惨事だが、大きな海に石ころを投げ込んでも何の影響もない。

 

 

 

 

小さくまとまるな。大きく生きよ。

 

 

 

 

出来る限り「大きな水槽」に入れたらいいね。でも、遅かれ早かれ君たちはその「水槽」から飛び出し、自ら可能性の海に飛び出していくことになる。

 

 

 

今は、自分のいる場所を信じて、学べるだけのことを学び尽くす、そんな時なのだ。

 

 

だから勉強、がんばろう。

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

□今週末11月12日(土)10:00 - 12:00

聡明舎高校部 親学塾

 

絶対来てくださいね〜

 

 

 

 

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2016年

11月

01日

時は…

 

 

最近、時間がめっきり速く過ぎます。会議の周期も、授業の周期もはやく、外はこれからしばらく冬が居座りそうな予感があります。この前まで、夏期講習じゃなかったかな?本日は瀬谷の本屋さんの前で、年賀状の販売をみつけました。もう今年も終わり……ってことかな?

 

 

「時は金なり」といいます。

 

 

時間はお金と同じように大事なものだから、無駄にしてはいけない、という意味です。

 

 

 

「その通りだなぁ」と思います。

 

 

受験生にとって、一日、一時間は大切な時間です。受験生だけではありません。私たちにとっても、時間は貴重なものです。

 

 

 

ただ「時は金なり」といわれますが、お金と同じように時間を「使うもの」としてだけでとらえる感覚は避けたい、と思います。

 

 

 

先日、大好きな「焼き肉ランチ」を食べていました。

 

 

午後に予定があったので、 焼肉を食べながら、 スマホで電車の時間を調べたり、そのまま習い事の予約などをしていました。

 

ふと顔を上げはしを伸ばしたときに、ハッと我にかえりました。

 

 

 

8切れあったはずのカルビが、なんと3切れに減っているではありませんか!!

 

 

5切れなくなっているのです。いや、まぎれもなく私が、その5切れを食したのですが、どんな味だったか…覚えていない。

 

 

 

私は、聡明舎のスタッフの中で、一番焼肉を愛しているという自負があります。出来るのなら、ホルモンを枕にして、タンで作ったベッドの上に、ハラミとカルビのチェックの掛け布団に包まれて寝たい、というくらい焼肉を愛しているのに、気づかぬうちに5切れも、味も分からずに胃袋の中に納めていたんです。

 

 

 

 

そのときに思いました。

 

 

時間はお金と同じように無駄遣いをするのはもったいないですね。でも時間はお金とは違い、きっと「使うもの」ではないのです。

 

 

 

 

時間は「生きるもの」です。

 

 

 

 

小さい子どもと駅に向かって歩いていると、子どもたちは、木に、花に、虫に建物に、いろんなものに気をとられ、まっすぐ歩けば5分で到着する距離も、1時間以上かかったりします。

 

 

 

そのときに小さい子どもには、この先の予定や、都合なんて存在しません。電車が何本通り過ぎても、気にもとめません。ゆっくり歩くだけで一日が終わったとしても、もったいなかったなんて思いません。

 

 

小さい子どもたちは、その時間を存分に「生きている」からです。

 

 

 

今、目の前にある時間をどれだけ、味わって幸せや喜びを感じられるか。

 

 

受験生でも、社会人でも、暇なときでも、大変な時期でも、起きるときも、寝るときも、今を生きる感覚を味わいながら、過ごしたい。

 

 

せっかく「今、ここ」にいるのですから。「今、ここ」にしか、私はいないのですから。

 

 

 

 

 

さてみなさん。今を楽しんでますか〜?

 

 

 

 

 

まつを

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2016年

10月

25日

検索ワード

 

 

スマホが普及し、どこにいてもインターネットにアクセスできる。

 

 

 

例えば「黒田、座右の銘」と検索すれば

 

 

「雪に耐えて梅花麗し」

 

 

が出てくる。

 

 

 

 

その意味を検索すれば

 

「梅の花は雪に耐えて麗しく咲く」

 

と出てくる。まぁ予想通りの意味!!

 

 

 

本日、日本シリーズ第三戦、黒田投手の先発ですね。時間のある人は見ましょうね。

 

 

 

 

 

大学受験の英語で困ったら

 

「英語 大学受験 参考書 おすすめ」

 

で出てくる。

 

 

 

 

横浜の昼飯なら

 

「横浜 ランチ 安い がっつり うまい」

 

で出てくる。

 

検索すれば、出てくる。

 

 

 

 

さて、ここで考えてみよう。

 

 

 

 

 

 

あなたの、検索ワードは何?

 

なんと検索すれば、あなたにヒットする?

 

 

 

 

 

ちなみに

 

「広島 男の中の男」で検索すると

 

やはり、黒田投手がヒット。

 

 

 

まぁ、なんてすばらしすぎる検索ワード。

 

 

 

 

 

目的達成の方法として、目的から直接行くという方法があります。

 

 

 

 

何かを成し遂げたあとでできる「検索ワード」を、逆に「検索ワード」から考えちゃう。自分をそれに当てはめていく。

 

 

 

 

 

「生徒 主体性 いきいき」=「聡明舎」

 

「考える力 学力向上 いいやつ」=「聡明舎」

 

「神奈川 合格 通いたい」=「聡明舎」

 

 

 

 

 

自分の検索ワードは何?ネガティブなの浮かぶようだったら、バシバシはずして、書き変える。

 

 

 

You can get it if you really want.

 

 

 

 

さて、あなたの検索ワードはなに?

 

 

 

 

 

 

まつを

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2016年

10月

18日

No Border!!

 

太古の昔、南アフリカに誕生した人類の祖先は、国境がなかったので、世界中のあらゆるところに好きに渡り歩き、住み着きました。

 

 

当時の人々の住所は不定、または地球です。

 

 

現在、ボーダーラインを引くことは当然のこととなり、人間には壁がないのに行き止まりになる場所がたくさんあります。陸だけではなく空にも海にもあります。

 

 

 

現代ではパスポートという許可証がなければ国境の小さなゲートを通り抜けることができません。そのパスポートには日本、◯◯県××市などと、住所が書き込まれています。

 

 

 

地理的なボーダーだけではなく、さまざまな場面でも私たちにはボーダーラインがあるような気がします。ボーダーを超えることができたなら、もっとすばらしいものが出来るのに、という場面があります。

 

 

 

 

次のことは聡明舎の生徒たちとともに勉強の中で学びたいことです。

 

 

 

他の人の話をよく聞くということ。知識を話すということ。よく聞きよく伝えるために、学び考えるということ。結果手にした知識を、ときに記録するということ。分からないときには解決のために動くということ。

 

 

 

決まった場所に座ってたり、座らせていたりするだけじゃなく。

 

 

 

 

 

例えば、私が一万円札を持っていて、あなたも一万円札を持っていて、お互いに交換しても何の変化も生まれませんが、私がアイディアや知識を持っていて、あなたもアイディアや知識を持っていて互いに交換すれば、アイディアも知識もお互いに二倍になります。

 

 

 

 

 

ボーダーを超えることができれば、いっきに豊かになることがたくさんあります。

 

 

人と人の繋がりの中でのボーダー。昔のやり方と新しいやり方のボーダー。常識と非常識いうボーダー。限界というボーダー。

 

 

超えられたらいっきに豊かになります。

 

 

 

教科書には、人類の祖先たちが世界中に散らばっていったのは、「食料を求めて」などと書かれていることがありますが、私の超個人的意見では最初にくるのはそれではありません。

 

 

胸の内側からの沸き起こる好奇心と、自ら行動にうつす主体性。

 

 

これが最大の理由だと思っています。

 

 

「あの海の向こうはどうなっているんだろう?あの山の向こうはどうなっているんだろう?行ってみたいから行ってみちゃおう」

 

 

そういう好奇心と主体性が人を前に進めた、と勝手に思っています。

 

 

「行ってみようぜ」

 

 

きっと仲間の誰かが自分の意見として言って、「いいね」と仲間が提案にノリましたね。

 

 

 

勉強もまずは、それぞれに大きな目標があって、みんなでアイディアを交換しながら進んで行くならば、大きな成果や達成感が得られるんじゃないかと思うのです。

 

 

 

100点とるとか、志望校や難関大学に合格するとか。

 

 

 

聡明舎での勉強が、いろんな種類のボーダーを超え、互いが主体的に協力し合い、それぞれの能力を上げることにつながる場所になればいい、と思うんですよね。

 

 

主体性とボーダーレスな協力による測り知れないパワー。

 

 

 

映像学習じゃ出来ない、勉強を通じて学ぶ大切なことのひとつです。

 

 

大人になって働く現場でも同じことは言えますからね。

 

 

 

 

 

まつを

 

 

 

11月12日(土)10:00 - 12:00 

 

親 学 塾

 

このブログを読んだ人は、ほぼ来てくださいね~

 

 

 

 

おまけ

 

ラップとロックなギターの、ジャンルを超えたコラボ映像。ボリュームMAXで聴きましょう。

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2016年

10月

13日

根性比べ

 

 

現実の先に、理想が透けて見え、消えない人はそれが実現できます。

 

 

 

 

先日、テレビを見ていたらメジャーリーグ、シカゴカブスの川崎宗則選手の特集が組まれていました。

 

日本プロ野球界で活躍したあと海を渡り、今なおアメリカで野球選手として過ごされています。爽やかで、元気で、日米問わず多くのファンを魅了する選手です。

 

しかし35歳となり野球選手としてはベテランとなってきた今年、メジャーの舞台にはほぼ上がることができていませんでした。

 

日本のプロ野球界に復帰すれば、レギュラーで活躍し、生活も安定するでしょう。そういう誘いも受けているようなことも言っていました。

 

「川崎宗則の心の契約書には、今年はメジャーでプレーする、と書いてある」

 

なぜ日本に帰らないのか、という疑問に対する川崎選手の答えです。

 

二軍(マイナーリーグ)の地下室で、一人でティーバッティングをする姿が印象的でしたが、二軍の最終戦後、ついにメジャー昇格が決まりました。

 

 

 

 

すごくいいテレビ番組でした。見ることができたのが幸せです。

 

 

 

 

テレビを見て、あるいは本を読んで、誰かの話を聞いて、心が熱くなことがありますが、それだけでは目の前に広がる現実は何にも変わりません。

 

 

 

心は熱くなって劇的変化を遂げているのに、自分の住む周りの世界は変わっていないので、しばらくすると自分の心はまた以前のように戻ってしまいます。

 

 

 

夢を実現するためには、心の方に合わせて、世界を変えていかねばなりません。

 

目の前の世界に心を合わせるのではなく、自分が心に思い描くように世界を作り替えていく。

 

 

 

そんなことが出来…………出来た人が、川崎選手やイチロー選手なのでしょうね。

 

 

 

 

普通に考えたら、◯◯高校程度の××が△△大学に合格するなんて、無理ですね。

 

 

そして普通に考えたら、◯◯ほどの才能しかない××がメジャーリーグでプレーするなんて、無理ですよね。

 

 

普通に考えたら、心の方に世界を合わせるなんて無理ですね。

 

 

 

ですから、普通に考えてはいけません。

 

 

 

 

自分の心はひとつしかありませんので軽いですが、世界はたくさんの人が絡んできてますから重いです。だから、ゆっくりとしか動きません。

 

 

 

心は理想を描いて、周りの世界と「根性比べ」です。変わるまで根比べ。こっちが変わるか、周りが変わるか根比べ。ねっとり、がっちり粘り強く。

 

 

 

 

 

現実の先に、理想が透けて見え、消えない人はそれが実現できます。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 

11月12日(土) 親学塾 10時〜12時 聡明舎高校部

 

 

来てくださいね!!

 

 

 

 

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2016年

10月

04日

秋といえばトンボのメガネ

 

 

二人の靴のセールスマンが発展途上国に市場調査に行ったときに、送られてきた有名なファクシミリの話があります。

 

 

 

ひとりは

 

「ここではだれも靴を履いていないので、残念ながらビジネスチャンスはありません」

 

もうひとりは

 

「すばらしいジビネスチャンスがここにはあります。まだだれも靴を履いていません」

 

 

 

 

 

さて、私たちは、それぞれメガネのようなものをかけています。

 

青いメガネをかけていると、世界が青く見えます。

 

赤いメガネをかけていると、世界が赤く見えます。

 

「ダメだ」色のメガネをかけていると、世界がダメに見えます。

 

「面白い」色のメガネをかけていると、世界が面白く見えます。

 

上記の「世界が」の部分を、「仕事が」に変えてみても、「勉強が」に変えてみても、「人」に変えてみても、「生徒」に変えてみても、「先生」に変えてみても、「部下」に「上司」に変えてみても、メガネを通して見ている、というのは同じです。

 

 

私たちは、かけているメガネを通して対象を見て、そして解釈し、自分の感情や行動へと繋げていきます。

 

 

「メガネのようなもの」をもっと具体的にいうと、「出来上がった思考法」とでもいいましょうか。

 

 

 

 

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションだ」とあの有名なアインシュタインさんはいいました。なので、偏見、でもいいかもしれません。

 

 

 

自分という思考マシーンを通して物事を見たら、いつも似た形の解釈が出て来ます。

 

 

 

ある程度生きてくると自動装置として(多分18歳までに)出来上がってしまっているので、それを変えようと思ったら、意識して努力し続けるしかありません。意識して変化です。

 

 

 

 

私たちが「正解」と思っていることは、実は「不正解」なのかもしれません。いや、実は「正解」なんてものはないのかもしれません。

 

なんてことを考えていると、本を読んだり、人の話を聞いたりして、新しい視点が欲しくなります。

 

 

 

 

なぜなら、聡明に通う子どもたちは今、メガネを作っている最中だからです。

 

 

 

 

白石康次郎さんは「かけられる言葉で子どもはできる」と言っていました。そして「大人はかける言葉で自分をつくる」とも。

 

 

 

子どもたちのメガネは、私たちのかけているメガネに似てくるのかもしれません。

 

 

 

 

やはり、大人こそ勉強の秋です。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

11月12日は親学塾です。聡明舎高校部 10:00 - 12:00

 

来てくださいね~

 

 

 
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2016年

9月

30日

秋と言えばトンボのメガネ

 

 

二人の靴のセールスマンが発展途上国に市場調査に行ったときに、送られてきたファクシミリにまつわる有名な話があります。

 

 

 

ひとりは

 

「ここではだれも靴を履いていないので、残念ながらビジネスチャンスはありません」

 

もうひとりは

 

「すばらしいジビネスチャンスがここにはあります。まだだれも靴を履いていません」

 

 

 

 

 

さて、私たちは、それぞれメガネのようなものをかけています。

 

青いメガネをかけていると、世界が青く見えます。

 

赤いメガネをかけていると、世界が赤く見えます。

 

「ダメだ」色のメガネをかけていると、世界がダメに見えます。

 

「面白い」色のメガネをかけていると、世界が面白く見えます。

 

「世界」の部分を、「仕事」に変えてみても、「勉強」に変えてみても、「人」に変えてみても、「生徒」に変えてみても、「先生」に変えてみても、「部下」に「上司」に変えてみても見え方は同じです。

 

 

私たちは、かけているメガネを通して対象を見て、そして解釈し、自分の感情や行動へと繋げていきます。

 

 

「メガネのようなもの」をもっと具体的にいうと、「出来上がった思考法」とでもいいましょうか。

 

 

 

 

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションだ」とあの有名なアインシュタインさんはいいました。なので、偏見、でもいいかもしれません。

 

 

 

自分という思考マシーンを通して物事を見たら、いつも似た形の解釈が出て来ます。

 

 

 

ある程度生きてくると自動装置として(多分18歳までに)出来上がってしまっているので、それを変えようと思ったら、意識して努力し続けるしかありません。意識して変化です。

 

 

 

 

私たちが「正解」と思っていることは、実は「不正解」なのかもしれません。いや、実は「正解」なんてものはないのかもしれません。

 

なんてことを考えていると、本を読んだり、人の話を聞いたりして、新しい視点が欲しくなります。

 

 

 

 

なぜなら、聡明に通う子どもたちは今、メガネを作っている最中だからです。

 

 

 

 

白石康次郎さんは「かけられる言葉で子どもはできる」と言っていました。そして「大人はかける言葉で自分をつくる」とも。

 

 

 

いくつになっても勉強の秋です。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

11月12日は親学塾です。聡明舎高校部 10:00 - 12:00

 

来てくださいね~

 

 

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2016年

9月

27日

抽象度を高めると、きっと同じですね

 

 

 

最近、めちゃくちゃ面白いCDを聴いている。

 

 

 

海洋冒険家の白石康次郎さんと喜多川泰先生との対談CDである。

 

「晴耕雨談」

 

 

 

半端じゃない。めちゃくちゃ面白い。だから絶対、聴いた方がいい。大人もそうですが中学生や高校生にこそ、聴いて欲しい。

 

 

 

もちろん生徒にも勧めよう、と思っている。

 

 

 

生徒には聞きかじったことを授業の中で伝えてもいいんだけど、本人が伝えるのと、第三者が伝えるのとでは違うんだよな~とも思う。

 

 

 

 

「ブルーハーツの曲はボーカルの甲本ヒロトの声だからいいだよ」というのと同じ感覚ですよね。

 

 

 

 

それでも伝えるし、歌いますが。

 

 

 

食事によるダイエットは、食べる物をかえることによって体質が変わる。食べた物が体に置き換わって、体の成り立ちをかえる。これは思考にも、いやこれからのイメージにもそう。耳にする言葉が変わることで、考え方の体質も変わるでしょう……

 

 

…なんてことを書こうと思ったけど、そんなの関係ないですね。

 

 

 

 

 

面白いから聴く。

 

勧めるのは本当に面白いから。これ以外ない。

 

 

 

 

 

あと最近、本当に興味深いのは、栗城史多さんのエベレスト挑戦のfacebook

 

 

 

 

これは、いい!!

 

 

 

 

日本人の平均寿命は83歳くらいです。短いです。しかも、体が自由に動く時期を考えたら、もっと短い。

 

 

 

エベレスト、興味あるけど、僕は行けないし、多分行かない。行っても麓まで。

 

 

 

「冒険の共有」

 

 

 

栗城さんがよく言ってることですね。

 

 

 

 

人生は冒険だ、とはいうけれど、どんだけ冒険できてるかなー?面白いことやれてるかなー?わくわくすることやれてるかなー?

 

 

 

死ぬときにもってもっていけるのは、死んだことないけど、様々な思い出だけじゃない?

 

 

 

白石さんも、栗城さんも、海、山の冒険家ですね。

 

 

 

「具体的な海の山の冒険いいね」の抽象度を高めると、「冒険いいね」となる。

 

「具体的な山の頂を目指すこと、世界を船で一周してゴールすること」の抽象度を高めると、「それぞれの目標に向けて行動すること」となる。

 

 

 

海も山も、きっと楽じゃないし、苦しいこともいっぱいある。

 

でもわくわくしてるのが伝わってくる。

 

 

 

きっと目標をもって行動している人も、きっと楽じゃないし、苦しいこともいっぱいある。

 

 

 

 

でもわくわくしている。

 

 

 

 

そんな大人に生徒たちにはなってほしいし、そんな大人になっていたい。

 

 

 

だからこそ「晴耕雨談」はめちゃくちゃおすすめです。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 

11月12日(土)聡明舎 親学塾 at 10:00 - 12:00

 

 

ぜひ来てくださいね。

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2016年

9月

20日

楽しいなぁ、自由だなぁ。

 

 

近頃、瀬谷駅北口を出て聡明舎に向かうルートは物騒だ。

 

 

とりわけ太陽が西の空に沈み始める時間帯は緊張状態が高まる。

 

地元の人はそれが分かっているようで、多くは迂回路をとっているようだ。だから被害にあうのは往々にして、現場に不慣れな人や、注意力の散漫な若者であろう。

 

比較的落ち着いている昼間、現場に足を運んでみると、そこには多くの「空爆」の跡が見られた。具体的な数は多すぎて分からないが、そのほとんどが夕方の時間帯に落とされたものと見られる。

 

 

先日、聡明舎の某先生もとうとう被害にあってしまった。

 

 

私もひっきりなしに情報を集めているわけではないので、どれほどの被害があるのかは正確には分からない。ただ、身内が被害にあってしまった現在、こうして警鐘を鳴らさないわけにはいかない。

 

 

注意すべき時間帯は夕方だ。とりわけ北口を出てすぐの木の近くは警戒レベルを最高に高める必要がある。

 

 

最新鋭の小型B-IRD爆撃機。

 

 

その一つひとつは小型だが、集団で押し寄せてくるからやっかいだ。もちろん、飛来してきたときにはその音で分かる。チュンチュンという鳴き声と、その羽音が聞こえてきたら、なりふり構わず逃げて欲しい。平和交渉が通じる相手ではないからだ。

 

 

私が言っていることは、「空爆」の経験がない人には伝わりづらいかもしれない。「まさか自分が」という油断めいた気持ちが出ても当然だ。実際、被害にあった某先生にも注意力が不足していた感は否めない。

 

 

 

私自身はB-IRD爆撃機の被害にあったことがある。

 

それも、四度も、だ。

 

 

 

直近の被害は、去年の社員旅行中だ。鹿児島の薩摩藩邸を回っているときに、そいつは不意に落ちてきた。しかも、ピンポイントに頭の上に。落ちた瞬間は何が起ったのかすぐには分からなかった。が、しばらくすると事態が把握できた。

 

「やられた…」

 

そう思った。

 

私の場合、精神的に致命傷に至らなかったのは周りに知人がいてくれたからだろう。一人だったら、と思うとゾッとする。ただ残念だったのは、そのとき私はすぐに、近くにいたK本先生に助けを求めたのだが、彼は私が近づくと走って逃げていってしまったことだ。

 

 

 

ただ、どんなに注意していても、「空爆」にあうときにはあってしまうもの。B-IRD爆撃機は、そこに空と豊かな自然がある限り必ず現れるからだ。

 

 

 

では、実際に空爆にあったときに「どうする」か?洗うのか、シャツを買い替えるか。家の近くだったら引き返すという方法もある。正解は状況によって異なってくる。

 

 

だからむしろ考えなければならないのは、「どうとらえる」かの方だろう。

 

 

聡明舎の某先生は、聡明舎に戻ってきては肩を指差し、「落ちてきちゃったんですよ」と言いふらし、笑いをとっていた。

 

「ネタが増えた」と言っていた。

 

 

 

その姿を見て、私は「たくましいな」と思った。

 

同時に「すばらしい」とも。

 

 

 

 

生きているとさまざまな「できごと」がある。

 

その「できごと」自体に良い悪いはない。無色透明である。そこに人が「解釈」という色づけをしているだけだ。実際、空から落ちてくるときには落ちてくる。それはひとつの「できごと」だ。変えようがない。

 

ただその「できごと」に対して、私たちには一人ひとり、「解釈」という自由が与えられている。

 

 

「ネタが増えた」

 

そうとらえられれば、人生は平和で世界は豊かだ。

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

 

11月12日(土)10:00 - 12:00

 

聡明舎 親学塾 開催

 

場所は高校部

 

ぜひ来てくださいね。

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2016年

9月

14日

高校部でお待ちしております。

 

 

 

隠れキリシタンとは

 

 

日本の江戸時代に江戸幕府による禁教令の後、強制改宗により仏教を信仰していると見せかけてキリスト教を偽装棄教したキリスト教信者のこと(wikipediaより)

 

 

である。

 

 

 

 

隠れ聡明舎ブログファンというものもある。

 

 

 

 

隠れ聡明舎ブログファンとは

 

 

聡明舎のブログを楽しみにし、その内容に感銘を受けることもあるけれど、とくにコメントなどの足跡を残すことはなく、たとえ更新が遅くとも、今か今かとかいがいしく待ちつづけてくれている人のこと(matsupedia より)

 

 

である。

 

 

 

 

今度、11月12日(土)10時から聡明舎では「親学塾」があります。

 

 

 

 

この度は、私の登壇の番です。

 

 

ぜひ来て欲しい!!!!!

 

どうしても聞いて欲しい話があります。

 

 

 

 

話したくてうずうずしています。できれば、親学塾第四回の時期を早めて欲しい、と思うくらいです。

 

 

 

 

話す内容をホロッとブログで書いてしまいそうですが、お口チャックです。

 

 

話しません。

 

 

 

 

 

二ヶ月後までのお楽しみです。

 

 

 

 

 

場所は聡明舎高校部です。

 

 

 

 

面白いです。

 

私の話が面白くなくても、喜多川先生の話があるので大丈夫です。食べ慣れた実家のカレーの味くらい安心感と満足感があります。おかわり、と思わず言ってしまいます。

 

 

 

 

まだ席には余裕があります。

 

立ち見もありです。

 

 

 

 

 

人との出会いで自分の人生は大きな影響を受けた、とか、一冊の本、ひとつの言葉に出会って曇っていた視界が一気に開けた、とか、さらにパワーをもらった、といった経験した方も多いはず。

 

 

 

 

「出会った人が良かった」「本がよかった」「かけてくれた言葉がよかった」と感謝をしますね。ただ、そこに出向いた自分自身の主体的な行動がなければ、それは得られなかったはずです。

 

 

 

 

出会いに臆病になってはいけません。

 

 

 

 

 

11月12日(土)10:00~12:00 親学塾 

相鉄線瀬谷駅徒歩2分、近くに大きなコインパーキングあります。

 

 

 

 

 

僕が話そうと思っている内容を分かりにくく説明します。

 

北海道でロケット事業にも携わっている植松努さんや森末先生のブログにたびたび出てくる卒業生や僕の知り合いの素敵な人たちに共通する要素に、テレビでよく見る不祥事のこととなどから感じることを加え、変わってきている世の中にてらしあわせ、本やさまざまな場所で学んだ事柄をヒントに、聡明舎という学習塾の現場での実感とこれからの希望を伝える、多分に前向きな話です。

 

 

 

 

この日は是非、お日様のもと、顔を会わせてお話をしましょうね。

 

 

 

ご予約はメール(info@so-mei.jp)か、電話、または直接会ったときに伝えください。

 

 

 

 

………何度もいいますがっ

 

 

喜多川先生もいらっしゃるので盤石です!!

 

 

 

 

まつを

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2016年

9月

06日

ベトナムに行ってきました

あ休みの間にベトナム旅行に行ってきました。

 

天候に恵まれるタイプなのか、基本的にずっと晴れのいい天気でした。高い湿気の中で過ごしてきました。

 

ハノイとホーチミン。

 

電車がないので街中はバイクがたくさん走っています。空気は必ずしもきれいとはいえませんが、しばらく街を歩いていると慣れてきます。

 

外国に行って馴染んでくると、生きることの多様性を感じることができます。

 

ひとつの正解にとらわれることはないのではないか、と思います。生物多様性ならぬ、生き方多様性です。太陽は日本だけでなくベトナムにも光を注いでくれてるなー、という感じです。当然ですが差はありません。太陽は差をつけません。

 

 

フォーうまし!!!

 

 

まつを

 

 

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2016年

8月

29日

できるできる。

 

 

 

 

人は一日に60,000回、意識的、無意識的を問わず思考をするらしい。

 

 

 

なるほど。

 

 

1日の睡眠時間を6時間とすると、起きている時間が18時間。

 

 

18時間×60分×60秒=64,800秒。

 

 

つまり、一秒に一回は思考をしていることになる。

 

 

 

ふむふむ…ところで人によって差はあるのだろうか?思考スピードが速い人は、300,000回くらい(5倍)思考してたりして…なんてことをふと思うが、今はそれは問題ではない。

 

 

 

 

 

思考回数が相対的に多くても少なくても、60,000思考という大きな数字の内訳が重要である、ということを考えてみたい。

 

 

 

 

人は思考する生き物である。

 

 

 

 

良い過程が良い結果を生み出すように、

 

野村監督(ぼやきのノムさん/元プロ野球の監督)が言っていた「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」ように、

 

良い思考(何考えているか)が良い結果(さまざまな要素を含む人生に対して、幸せですか?、という問に対するYesの答え)を生むのだろうと思う。

 

 

 

 

60,000思考のうち80%を使って、つまり48,000回、理想をありありと思い浮かべられたらそれは実現するともいわれている。

 

 

 

上記のことが正解・不正解はさておき(正しい気がする、というだけで書いています)、

 

 

例えばイチロー選手や本田選手や錦織選手やジョコビッチ選手が

 

「俺なんかダメだ、打てない、情けない、出来ない、つまらない、どうせ無理」なんて思ってるわけがない、というのは分かる。

 

 

 

仕事や勉強のできる人もきっと同じだろう。

 

 

 

例えば、立ち上がり初めの赤ん坊を想像してみよう。

 

何度も尻餅をついても、結局立ち上がる。

 

これは同じ思考の原理から解釈できそう。

 

たしかに、赤ちゃんの体重(質量)とお尻の高さ(位置エネルギー)とお尻のぷにぷに具合を加味しても、大人よりはるかに尻餅の衝撃は柔らかいだろうけど、あんなに尻餅をついて、立ち上がるのはすばらしい、って思う。(大人になってからの尻餅は肉体的にも精神的にもダメージがでかいもんね)

 

 

 

「赤ん坊はあきらめずに立ち上がる」なんて書こうと思ったけれど、そんなかっこいいことではない気がする。

 

 

ただ、生まれたばかりで知識が少ないから、ほぼ全思考を「立ち上がろう」に使うことができている結果、だと思う。

 

 

「痛いかもしれない」「出来ないかもしれない」「みんな見てるからやりにくい」「がんばってー、なんて励まされるから逆にやりにくい」「上から目線で応援されるとやる気なくす」なんてまったく考えてないから、ただ立ち上がる、という願望が実現するんだと思う。

 

 

 

思考の増えた大人の私たちね、問題は。

 

 

 

雑念多し。

 

 

 

考えてみると、夢を邪魔するのはいつも雑念のような気がする。

 

 

 

無理かも、できないかも、とか。他人の目線、評価とか。自分なんてこんなもん。どうせ無理。

 

 

 

 

こんな雑念を何万回も頭の中で唱えてても上手くいく可能性ほぼ0だよね。ノムさんのいう、不思議の勝ち、がたまにあるのかもしれないけど。

 

 

 

 

さて、お金に投資があるように、60,000思考をより良い未来に投資してみないか?

 

 

 

かつての立ち上がる前の赤ん坊の気持ちを取り戻して。

 

 

 

できる、できる。I can do it.

 

 

 

 

まつを

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2016年

8月

23日

アインシュタインの言葉より

 

 

 

宿題のさまざま。

 

 

 

じっくり考え、考えること自体を楽しんで欲しいのは予習。

 

反復を繰り返し、効率よく定着して欲しいのは復習。

 

時間をかけて欲しいのは予習。

 

時間を短くして欲しいのは復習。でも、効果は落とさないで。

 

 

 

 

 

人より成長したければ人より練習する方がよいです。

 

 

ただ意識しなければならないのは量、だけではなく、時間、があります。

 

 

時間を短くしようとする努力を怠ることなく、続けて欲しいです。

 

 

 

Life is limited. Don’t waste your time.

 

と言ったのは、あの有名なスティーブジョブズ。

 

 

 

ジョブズもアインシュタインもオバマ大統領もいつも同じ服を着ています。

 

 

 

服を選ぶのに決断疲れをしないこと、そして服選びに時間を使わないこと、といった理由があるようです。

 

アインシュタインは「服を選ぶのに時間を使うのは無駄だ」と考えていた模様です。

 

オバマ大統領は「私にはもっとほかに決断しなければならないことがたくさんある」とおっしゃっているようです。

 

 

 

 

 

 

人より三倍はやく成長したければ三倍多く練習です。

 

でも「 Life is limited」、時間は限られています。

 

 

 

 

だから、三倍練習するのと同時に、時間を三分の一にする方法も考えましょう。

 

 

 

実現したら、九倍の学習効果です。

 

 

 

能力も上がりますが、私はその空いている時間の多くを使って、中学生に考えて欲しいことがあります。

 

 

 

 

それは

 

今の自分のことや、これからの自分のことです。

 

 

 

 

 

自分の未来を自由に想像して欲しい。

 

 

 

 

三倍の量と三分の一の時間が実現できれば、実力も上がってきっといい気分だから、そのいい気分にのって、未来を想像して欲しい。

 

 

 

 

 

「想像は」とアインシュタインは言っています。

 

「知識よりも重要です」と。

 

 

 

「知識はすでに存在しているものを指すが、想像は今後存在し得るすべてのものを指し示す」

 

 

 

 

想像力が未来をつくるのです。

 

 

 

能力と自信を手にして、自分の可能性にニヤニヤする、そんな想像をする時間をもって欲しいです。

 

 

 

自由に想像する時間を手にする努力です。

 

 

 

 

まつを

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2016年

8月

17日

受験があった方が楽しい

 

 

とある先生たちがこの休みに旅に出て、あるポリシー、旅の方針から宿が上手くとれずに野宿になったらしい。

 

 

野宿をしたことは、私は今まで二度ほどしかない。

 

 

 

学生のとき、文化祭の後、男友達数名で野宿となった。

 

 

海に。

 

 

夏の終わりごろだったと思うけれども、夜の2、3時ころは極めて寒く、風をよけられる場所をヨロヨロと探した記憶がある。

 

 

疲れなんて取れない。お風呂に入りも入りたくなる。帰り道、自転車を漕ぎながら居眠りしてしまう。

 

 

 

二度目は、これも学生のとき、夏、伊豆の浜辺に寝転んでいたら、そのまま眠ってしまった。

 

その二回だけしかない。

 

 

 

野宿経験はそれくらいだから、知った顔で語れることなんてほとんどないのだけれど、防寒さえしっかりしていれば、夜空はとてもきれいだ。

 

 

また、カップラーメンとホットコーヒーが最高においしい。

 

 

 

多分、普通に屋根付きの部屋に泊まっていたら、感じられない経験ができる。

 

 

 

いつも通りじゃないこと、はストレスも多いだろうけれど、普段は見えない楽しみも多いのではないか、と思う。

 

 

 

似たようなことが、勉強にも、仕事にもいえるのではないだろうか。

 

 

困難は人生を味わうためのスパイスだ。受験があるというのはそういう意味で、いいこと、なのだ。

 

 

 

全力で立ち向かって欲しい。楽しいから。

 

 

 

経験はかけがえがない。

 

 

どんなに想像力を働かせても、VTRを何度見ても、オリンピックのあの舞台に立つ気持ちを僕は永遠に経験することはできないんだよなぁ。

 

お金をたくさん払えばブラジルの競技場にエキストラを呼んで、卓球のスマッシュを決めることが出来るかもしれないけど、それはオリンピックの経験にはならないんだよなぁ。

 

 

 

 

 

受験って、きっとそういうもの。

 

 

 

 

 

 

まつを

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2016年

8月

08日

気にしない。

 

 

英語の時制は中学生の学習でも重要な内容です。使う状況によっては、とてつもなく重要な役割を果します。

 

 

 

 

例えば恋する相手がいて

 

I love you. と伝えるべきところで I loved you. と時制を間違ってしまってはまったく意味が意味合いが異なります。

 

 

 

また受験では正解、不正解があるため時制を上手に使いこなせない結果、点数が低かったり、合格に届かなかったりするでしょう。

 

 

 

ミスはしたくないものです。

 

 

 

 

 

 

でも実際の英語での会話では、ミスしない、なんてネイティブの人でもひょっとしたら無理です。私もたまに日本語間違えますし。だから、新しい語学の勉強では、間違えながら練習していけばいいのです。

 

 

 

 

外国の方と英語で会話をしていて、こちらが何かを発言したときに、「??」という顔で見られる時があります。

 

 

 

英語会話力に自信がない場合、話し手は軽くパニックに陥ったりします。

 

パニックに陥って、以下のような循環で思考が巡る時もあるでしょう。

 

 

 

 

「私の英語が通じていない」→「さっき表現がマズかったかな?間違ったかな?」→「日本語の◯◯は英語で××じゃないんだっけ?なんだっけ、なんだっけ、なんて表現するんだっけ?」→「分からないー!!どうしよう、この沈黙いやだー!!絶対、相手も困ってるよ」→「この表情、あきれてるかもしれないなぁ」→「つまらないと思われているかもしれない」→「バカだと思われているかもしれない」→「私との会話なんて早く終わりにしたいと思っているに違いない」→「え~、とか、う~、しか出てこないや。何だよ、難しいんだよ」→「欧米人のじっと見つめる感じが好きじゃないんだよな」→「この顔、この目、ぜったい私のことをバカにしている目だ」→「最悪。もうやだ!!」

 

 

 

こんな循環です。(おおげさすぎですか?)

 

 

こんな「経験」をしてしまうと、英語の会話がとたんに苦手になります。

 

 

でも、本当のところはどうなのでしょう?相手は本当に「私」のことをバカにして見ているのでしょうか?

 

 

 

本当のところなんて分かりません。

 

 

 

英語に自信がないばかりに、話し手である自分の声が小さくて聞きにくかった、だけ、なのかもしれません。

 

声が小さくて聞きにくかったから、「もう一度言って」と相手がうながした表情や間なのに、そこから自分で勝手に類推して、バカだと思われているかもしれない、とか、つまらないと思っているはずだ、とか考えているだけなのかもしれません。

 

 

 

 

相手の表情を見て、「◯◯なはずだ」「××に違いない」という判断をするとき、「本当にそうか?」を考える習慣を持ちたいです。

 

 

 

「相手の気持ちなんてわからない」はずなのに、類推で断定するなんてとても危険です。

 

 

 

だから、例えば上記のような人は、人の気持ちを考えすぎるくらいに考えているのですから、類推なんてしないで「人の気持ちなんてまったく考えない」というくらいの方がいいんじゃないでしょうか?

 

 

 

例えば僕が「猫の気持ちがわかるんですよ」なんていうと、「そんなわけないでしょう」と思う人も多くいますよね。

 

 

 

人の気持ちだって、似たようなものです。

 

 

「彼(彼女)の気持ちは◯◯に違いない」なんて、何で分かるの?

 

 

「そんな顔をしてるから?」「経験からわかる?」

 

 

 

 

でもふと思い返してみると、自分が人から「誤解されているな」と感じたこともあることでしょう。

 

「私のことを分かってくれていない」と思ったこともあるでしょう。

 

 

 

きっと同じくらいの確率で、自分もほかの誰かを誤解しているはずなんでです。

 

 

 

 

 

何がいいたいのか?

 

 

 

聞き返されたら、大きな声でもう一度言えばいい、というようなことです。余計なことを多く考えすぎる必要はない、ということです。間違っているときには、間違っている、と言ってくれるはずですし、間違いながらも伝わるものです。

 

 

 

相手の気持ちを考えすぎずに、自分のやりたいことをやりましょう、といいたいのです。

 

 

 

好きなものを「好き」と言えたり、やれたり、主張をできたり、振る舞えたり。

 

 

 

 

 

昨日、テレビで芸人の出川哲朗さんがハンディカメラを持って、英語でアメリカの街を渡り歩いてました。そうとうひどい英語ですが、出会うアメリカの人は笑顔になってました。

 

 

 

英語力なんて、ひょっとしたら伝える気持ちの前では大した問題ではないのかもしれません。

 

 

 

 

そして、分かりもしない相手の気持ちを考えて、自分にダメだしする必要なんて、ないのかもしれません。

 

 

 

堂々としていればいいのですよ、という状況が本当はもっと多いのかもしれません。

 

 

 

 

英語に限らず、さまざまな状況で似たようなことがあると思います。

 

 

 

 

 

あなたはあなたのままでいい

 

 

というどこかで聞いた言葉が思い浮かびます。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 

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2016年

7月

31日

根が真面目なもので

 

 

 

根が真面目、ということについて考えてみたい。

 

 

根が真面目、ということが責任感や誠実さ、あるいは人に対する丁寧さ、他の人に敬意を表す心、という部分で発揮されたなら、とても良いことだろう。

 

 

 

 

でも、根が真面目、であるが故に「奇妙な」マイルールに縛られ、それが習慣化することは避けたい。

 

 

 

例えば、何かにチャレンジして失敗をしたとき。

あるいは一生懸命やろうとしたのだけれども上手くいかなかったとき。

 

 

きちんと反省しなければならない。いや、一定期間反省し続けなければならない。

 

 

…というルール。

 

 

 

 

怒られたときには落ち込まなければならない。いや、一定期間落ち込み続けなければならない。

 

…というルール。

 

 

 

困難にぶつかったときに緊張感を高めなければならない。そして、ときにはぴりぴりとした表情、雰囲気を出さなければならない。

 

相手の気分を害さないように自分の意見はしまわなければならない。だから不平や不満は心の中で出すもので、悟られてはならない。

 

人にお願いごとをすると他の人の迷惑になってしまうから、仕事は自分で抱えなければならない。ときにお願いごとをしたならば、いつかお返しをしなければならない。

 

…というルール。

 

 

 

 

 

 

「悩み事がなさそうでいいね」と言われている人がいる。

 

でもそんな人も、本当に悩み事がないわけではない

 

…と思う(あくまで推測ですが)。

 

 

 

 

 

それを表に出さない術を心得ている、ということもあるだろう。でも本当は、悩み落ち込んだりするけれど、「一瞬だけ」だからじゃないだろうか。

 

 

一瞬だけ落ち込んで、引きずらない。思い出さない。気にしない。

 

 

 

 

 

おっとまたここで「奇妙な」マイルールが脳裏をよぎる。

 

「切換え早いのってナシ……なんじゃないの?」

 

 

 

 

失敗をしたときに反省をしなければならないシーンはあるかもしれない。でも、反省し続けなければならない、というのはだれが決めたの?

 

 

 

だれか決めたの?

 

 

本当は自分が勝手につくってる、マイルールに縛られてるだけなんじゃないの?

 

 

 

 

「へいへい、ピッチャー。打たれたのはしょうがないだろう。つぎ、つぎー。楽に行こうぜー」

 

という外野からの声もある。

 

 

 

 

知らぬ間に築き上げていた「奇妙な」マイルールに、家庭でも職場でも学校でも自分が縛られていないか?

 

 

 

 

 

 

 

「一番いい球投げろよー。打たせていこうぜー」

 

と外野から声が聞こえていますので、打たせていきましょう。

 

 

 

 「奇妙な」マイルールの見直しをしてみましょう。

 

 

 

そっちの方が、いいパフォーマンスができることが多い、ような気がする。

 

 

 

 

…以上が根が真面目ということに対する、個人的な考察と見解です。

 

 

 

 

まつを

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2016年

7月

27日

ちょっと立ち止まって

 

 

はた、と良い言葉が心に浮かんだ。

 

 

 

もちろん「良い」というのは主観的な評価のある形容詞であり、私の思い込みに過ぎないかもしれないが、共感してくれる人もいると思う。

 

 

 

たとえば、「うーん」と思い詰めたり

 

「あぁ」と壁にぶつかったりしたときには

 

あえて立ち止まって

 

深呼吸すると、新しい何かが見えてくるかもしれない。

 

 

 

 

 

この「深呼吸」を「心呼吸」と書くと、また違った意味が見えてくるかもしれない。

 

 

 

「心呼吸」

 

 

 

これが、はたと心に浮かんだ良い言葉である。

 

 

 

 

 

 

小さい子に、何で勉強をするの?、と質問をすると

 

「将来、働くようになったら役に立つから」

 

という答えを耳にすることがある。

 

「うんうん、そうだね」と頷きながら、思うことがある。

 

 

 

 

「働くようになったら」と答えた子供たちは、まだ働いたことがない。

 

 

 

 

学生以外をやったこともない。…なのに「働くようになったら役に立つ」という言葉が出てくるのは、学習の成果ともいえる。

 

 

 

 

 

きっと誰かがどこかで教えてくれたのだ。

 

 

 

 

他の人に学ぶことはいいことだ。

 

 

 

 

 

 

ただ、あまりにも、他の人の言葉や評価、教わった価値観が多すぎると、自分の本当の気持ちが見えなくなる…ことがある。

 

 

 

この本当の気持ちを、心の声、を表現したい。

 

 

 

誰かの声や、視線、評価を気にするあまり

 

頭の中がいっぱいになってしまって、心が酸欠状態になって、声が出ない時がある。

 

 

 

 

 

だから、困難にぶつかったときには、深呼吸。

 

 

心呼吸である。

 

 

ことあるごとに心呼吸。

 

 

 

 

あえて立ち止まって、自分はどんな気持ちなのか、何を求めているのか、なぜ自分が不安なのか、その困難は本当なのか、取り越し苦労なのか、持ち越し苦労なのか、大したことのないことを大事に考え過ぎてないか…なんてことを考えてみるのは、価値がある。

 

 

 

心が酸欠しているだけの可能性があるから。

 

 

 

 

 

あえて立ち止まって考えると、心の声が聞き取りやすくなる。

 

 

 

 

例えば、勉強は本来、面白いものだ、とか。

 

学ぶのは面白い、とか。人に深切にするのは気分がいい、とか。

 

笑った方が楽しいとか。

 

 

 

 

あえて立ち止まって、心呼吸。

 

 

 

 

心呼吸がきちんと出来ている人の方が、勉強も伸びる。絶対に。

 

 

 

 

 

まつを

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2016年

7月

19日

本好きになる人のプロセスのひとつ

 

 

暑い日差しの中を歩き、たどり着いた電車の中。

 

エアコンで空気がひんやりとして気持ちがいい。まばらに空いている座席の、ほどよい場所を見つけて座る。

 

ドアが閉まり二駅ほどを過ぎた頃には汗も引き、心地よい気分になる。車内はガタンゴトンというレールと車輪の立てる音ばかりだ。

 

ふと顔をあげると、目の前に座っていた女性があくびをするのが目に入る。そしてそのあくびが私にもうつる。

 

 

… … …

 

 

1996年、イタリアの脳科学者が猿の運動神経を研究していたとき、ある神経細胞が発見されました。

 

猿が右手を動かすときに反応する脳の部位があり、手が動くたびに脳の活動がモニターに映し出され反応が分かるようにしていました。途中、科学者が猿の前でジェラートを食べました。すると、猿の脳がまるで自分が腕を動かしているように反応を示しました。

 

このときに発見された神経細胞がミラーニューロンと呼ばれ、ミラー細胞やモノマネ細胞としても認識されています。

 

 

あくびがうつるのはこのミラーニューロンの働きによるものらしいのです。

 

 

だから、緊張も不安もイライラもミラーニューロンを通じてうつるようです。「子供は大人の移し鏡だ」と言われるのも、脳科学的にはこのあたりに原因があるのかもしれません。「類は友を呼ぶ」とも言われますが、友になってからますます似るのかもしれません。また夫婦仲が悪くなると子供の体調が悪くなったりすることも、ここから説明ができるかもしれません。

 

もちろん笑顔や元気もうつります。安心感もうつります。笑っている人を見ているだけで、自分の脳の笑っている部分が活性化するようです。また、他人の笑顔が見られたとき、自分の喜びを感じる神経がもっとも強く反応するそうです。上手くいっている人の近くにいくと、きっとその気分をもらうこともができます。

 

 

自分が本当に「面白い」と思っていることや、本当に「楽しい」と思うことを話している時は、相手に伝わりやすくなります。もちろん、逆もあります。

 

 

だから楽しく授業をする人、というのは先生としては貴重です。

 

 

子供が勉強好きになるとか、本好きになるということも、きっとそこら辺に理由があるのかもしれません。

 

楽しいが伝染します。

 

 

 

夏期講習、まだ受付中です。

 

 

 

 

まつを

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2016年

7月

09日

識別

 

 

識別とは、あるものと別のものの種類や性質の違いを理解し見分けること、です。

 

 

例えば、

 

みなさんは野菜のキャベツとレタスの識別が出来ますか?

 

能力が上がれば、サニーレタスとプリーツレタスの識別が出来るようになります。

 

 

 

豚肉と鶏肉と牛肉の識別はできますか?

 

能力が上がれば、鶏胸肉と鶏もも肉の識別ができるようになりますし、焼き鳥屋に通うようになると、ぼんじり、なども識別できるようになります。

 

 

識別能力は理解と経験により上がります。

 

 

 

 

国語の勉強の過程では次のような識別ができるようになります。

 

 

問)次の「ない」の違いを述べなさい。

 

①ご飯を食べない。

②なんだかせつない。

③彼はやさしくない。

④時間がない。

 

識別結果は次のようになります。

 

①ご飯を食べない。  助動詞「ない」

②なんだかせつない。 形容詞「せつない」の一部の「ない」

③彼はやさしくない。 補助形容詞「ない」

④時間がない。    存在を否定する形容詞「ない」

 

 

 

知識と経験により、見た瞬間にすぐに識別できるようになります。

 

 

 

 

音楽の専門家はオーケストラの演奏で、楽器の音を聞き分けられるようになります。

 

さらに音楽の専門家としての能力が上がると、その演奏のどの楽器のどの音が良くて、どの楽器のどの音に改善が必要なのか、が分かります。

 

 

 

 

料理の専門家は味の識別が、医者はレントゲン写真や検査のデータを見て病状の識別が出来るようになります。

 

 

 

 

プロのプロたる所以の一つに、その識別能力の高さがあります。

 

 

 

 

識別能力を上げるためには知識による理解と、実際に目で見て経験することが必要です。

 

 

 

受験で合格力を手にするためには知識による理解に加え、実際に演習をする必要があります。

 

 

理解 →演習 →より深い理解 →演習 →さらに深い理解 

 

 

 

こんなことを繰り返していくと、問題に対峙したときに、問題の種類とその解決法が識別できるようになります。

 

 

 

これはきっとどんな仕事にも通じます。

 

 

理解 →やってみる →より深い理解 →やってみる →さらに深い理解

 

 

これを繰り返した先にその道のプロが出来上がります。

 

美容師、料理人、保険会社の人、先生、自動車メーカー、弁護士、税理士、不動産鑑定士、システムエンジニア…などなどのプロです。

 

 

人より早く成長したければ上記のサイクルのスピードを早めればいいのです。今より能力を上げたければ、このサイクルにもっと真剣に取り組めばいいのです。

 

 

 

 

「人より成功したければ、人より多く失敗しなさい」

 

とどこかで聞いたいい言葉も、きっとこういうことに依拠しているのだと思います。

 

 

 

 

生徒たちには、勉強を通じて、自分の能力の上げ方を身につけて社会に出て欲しいと思っています。

 

 

 

受験はそれを学ぶよい機会です。そんないい機会なのに、「とにかく丸暗記で」や「一年間のガマンだ」とかというような意識では、価値が見えなくなってきます。

 

 

 

 

まずは、いい受験期とは何か、を識別する必要があります。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

 

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2016年

7月

02日

Step by Step

 

聡明舎から車で一時間ほどの場所に、夢の国がある。

 

 

東京ディズニーランドである。

 

 

実はかつて、聡明舎の先生たちみんなで東京ディズニーランドにいったことがあり、写真を撮った。

 

今、私が作業をしている目の前にはセピア色のそれがある。

 

 

十年以上前だろうか、若かりし日の私たちは、マカロニウェスタン風の衣装をレンタルし、ギターや銃を構えてポーズをとっている。

 

 

若く、はしゃいでいる。

 

その写真を掲載しようかと思ったけれど、様々な人の名誉のために、掲載しないでおく。

 

 

 

 

さて、ディズニーランドの話です。

 

「夢の国」はもともと地上にあったわけではありません。

 

 

地上になかったものが、ウォルト・ディズニー、その人の頭の中から生みおとされ、今なお成長しています。

 

 

世界中の人々の笑顔の源となったウォルト・ディズニーはかつて、「創造的な良いアイディアが足りない」と編集長にいわれ、新聞社をクビになった過去がありました。

 

これは有名な話で、ディズニーランドの建設前には、幾度もの倒産を経験してもいます。

 

 

 

ウォルト・ディズニーの言葉にこういうものがあります。

 

All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them.

( もし私たちにそれを追い続ける勇気があるならば、全ての夢は実現することができる)

 

 

目標を達成し、夢を叶えた人はみんな、あきらめなかった人、です。

 

 

生徒たちには、目標を見続ける心と、それをそれを実現するための方法を伝えたいと思います。

 

 

 

目標や夢をありありと思い浮かべると、わくわくしますね。

 

「憧れの学校に通うこと」を想像したり、「夢を語り合っ」たり、はわくわくします。

 

 

一方で、現実にやらなければならないことは地味です。

 

単語を覚えたり、問題集の現代文の問題を読むことだったりします。社会人ならば、目の前の仕事をこなすことだったりしますね。

 

 

 

でも、どんな道も「Step by Step。近道はない」

 

神様、マイケル・ジョーダンも言っています。

 

 

 

近道はありません。

 

でも絶対に続いているんです。

 

 

 

I only hope that we don’t lose sight of one thing – that it was all started by a mouse.

(忘れないでいて欲しい。全ては一匹のねずみから始まったということを)

 

 

生徒たちに教えたいのは、そして僕自身手にしたいのが、「あきらめない心」とか「わくわくした心」とか、そんな心です。

 

短い言葉で定義することは難しいですが、その「心」を形作るのは、「今ここを踏みしめ」でも「イメージは雲を抜け」そして「一歩一歩進み」続けることです。

 

 

 

 

あなたが今出来ることが、ウォルトの言う「 a mouse 」かもしれません。

 

 

 

 

まつを

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2016年

6月

28日

未来の研究者

 

私の好きなテレビ番組に『プロフェッショナル仕事の流儀』があるが、そこに描かれているのはその道の「研究者」ばかりである。

 

「研究」とはきっと

 

「問を自ら立て、自ら答えを見つけ出す」という一連の流れのことを意味しているのだと思う。

 

 

研究は決して、灰色あるいは白い壁の研究室ばかりで行われるわけではなく、厨房でもフロアでも、楽屋でも家でもカフェでも部室でも行われている。

 

当然、塾でも行われている。

 

 

真剣に物事にとりくんでいると、誰もが「研究者」となる。

 

「研究者」となる発端は、本人の持つ「目的意識」「問題意識」にあると思う。

 

「おいしいカレーを作りたい」や「今のカレーのままでは嫌だ」という意識が、人を料理本の情報やクックパド検索などの資料集めに向かわせ、「なぜその調味料を加えたらコクがでるのか」とか「コクって何だ」という疑問にぶつかり、「コク」の生まれる科学的なメカニズムを理解したりしながら、何度か実際に試し、その上で集めた情報を、有用、無用に振り分け、ついに最高のレシピが出来上がる、というようなそんな流れ。

 

例えば今夜のカレーがそうだとして、そのカレーが常に研究される循環がある限り、「研究者」の作るカレーは永遠に旨くなり続ける。

 

 

研究は楽しい。

 

誰かに与えられる「課題」を解決するより、自分で考えてできる「研究」の方が主体度が大きい分、きっと楽しい。

 

 

 

研究こそ本来の学ぶ喜びに溢れているのだが、ただ誰もがすぐに研究者になれるわけではないのも事実だ。

 

 

 

その前段階で必要な、知識や技能がある。

 

私もかつてダンスがうまくなりたいと思った時があるけれど、ダンスで人を魅了したいなら、まずステップが踏めないといけない。

 

 

「俺もマイケルジャクソンみたいに…」という想いは大切だが、それを実現したいなら、まずは基本のステップとストレッチからなのである。「いつかマイケルジャクソンみたいに」をエネルギーに、地に足をつけた努力をしなければならない。

 

 

簡単にはマイケルジャクソンのようなダンスの神髄の研究者にはなれないのである。(そして私はダンスは自分の道ではないことがよく分かった。「向いてない」と分かっただけ、私は成長したのである)

 

 

 

 

聡明舎の生徒たちには、最終的には「研究者」としての性質を身につけて欲しい。それはつまり、自らの内側より発する「目的意識」または「問題意識」より、「問題」を見つけ出し、「現状の分析や必要な情報の収集、深い思考」を通じて「答え」を出し、現在の自分の進歩に役立てるという循環のできる人になって欲しい、ということだ。

 

 

 

 

ただ、そのためにはまず、知識や技能の上で高い能力が必要だ。

 

 

 

 

勉強がんばれ。でも「いつかは研究者になる」という熱はもらさずに。

 

 

 

一歩一歩である。

 

一歩一歩で歩いた先に「プロフェッショナル仕事の流儀」のような研究者の世界があるのだ。

 

 

それはどんな職業、立場でもきっと同じなのだ。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 
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2016年

6月

19日

ときには贅沢をしよう。

 

 

お金と同じように時間は財産だ。

 

 

だから勉強をするときは、出来る限り効率よく、時間に無駄なく解答能力を手にしたいと思う。

 

 

受験合格には暗記が重要だから

 

「正確に覚え、覚えたことを適切に使えるようになること」

 

に焦点を置くと、テストの結果は出やすくなる。

 

 

暗記の方法は様々だが、基本的には教科内容のインプットとアウトプットをどれだけ繰り返したか、にかかっている。

 

 

鉛筆で書くことや、声に出すこと、何度も見ることなどを上手く使い分けて上手に勉強をして欲しい。

 

 

ノートをまとめて満足した気分になるだけの勉強はよくないが、単純暗記ばかりで知識と知識に繋がりのない勉強もまたよくない。

 

 

理解するためにノートをまとめ、記憶するために何度も見て覚えるなら、うん、いい覚え方だと思う。

 

 

よりよく勉強をし、しっかりと結果を出すことを学んで欲しい。

 

 

 

 

ただそれとは別にもう一つ、思うことがある。

 

 

 

 

それは、自分の財産をどう使うか、ということだ。

 

 

 

 

財産だから「貯める」のは大事だが、ときに贅沢に使い、自己投資にも回したい。

 

 

 

 

例えばお金。

 

普段は無駄遣いせずに質素に暮らしていても、誕生日や記念日にはよいレストランで豪華に食事をしたい。せっかく旅行に行ったのなら、その場所でしか得られない経験に多少高くてもお金を使いたい。本を買ったり、勉強のために何かの集まりに参加するのを無駄遣いと思いたくない。

 

 

 

僕は勉強における時間も同じだと思う。

 

 

「無駄」のない勉強ばかりではなく、ときには時間を「贅沢」に使った学び方も必要だと思っている。

 

 

 

そしてそれが、将来の自分のための自己投資にもなる。

 

 

 

勉強で面白いのは、難しい問題や面白い問題に直面したとき、だ。往々にして、難しい問題ほど面白く、面白い問題ほど難しい。

 

 

 

 

ただ学生の問題集には必ず模範解答があるから、分からないときにはページを繰れば正解を知ることができる。

 

 

勉強の成果を「効率よく、短時間で」得たいと考えるのならば、分からないときにはすぐに答えを見て、理解と正解までの道筋を覚えてしまった方がいいだろう。

 

 

 

でもたまに、ここぞ、というときには

 

 

「受験期の時間」という貴重な財産を惜しみなく使って、考え抜く、ということを経験して欲しい。考えに考え抜くという経験をして欲しい。

 

 

考えた先に、答えが出た瞬間はたまらない。かなり面白い。模範解答と照らし合わせ、正解だった時には言うべにもあらず。最高だ。そしてごくまれに、自分の答えが模範解答を超えている、と感じるときもある。そんな時は、誰かに聞いて欲しくて、周りをキョロキョロしてしまう。

 

 

 

こんなふうに模範解答を封印したまま、考え抜く、という経験をして欲しい。

 

 

 

 

 

 

だって大人になってから直面する問題には、明確な模範解答がないものが多いから。

 

 

 

 

 

 

いや、答えがない問題ばかりだ、と言っても過言ではないだろう。答えがある問題はもはや、問題ですらない。

 

 

だからきっと、自分の頭を使うよりも先に「答え」を見る、という勉強ばかりをしてきたタイプは苦労する。

 

 

 

大人になったら、答えは自分で試行錯誤して出すものだ。社会人として直面する問題に対してあるのは参考書程度で、模範解答はない。

 

 

だからこそ学生時代に、時間という財産を贅沢に使って考え抜く、という経験をしておいて欲しい。

 

 

 

 

そういう意味でも、勉強を使って手に入れて欲しいのは、合格ばかりではないのだ。

 

ただもちろん、時間はお金と同じように貴重な財産。

 

無限にあるわけではないから、普段は効率よく無駄なく使って節約し、ここぞというときには贅沢に使おう。

 

 

 

 

まつを

 
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2016年

6月

14日

脳力が最高のときに勉強しよう

 

私の場合、仕事は週末に向かって忙しくなる傾向がある。

木、金、土と雪崩のようにやるべきことが多くなる。

 

 

集中力。これは常に、仕事や勉強の出来を大きく左右するが、疲れた状態ではどうしても集中力は散漫になってしまうものだ。

 

疲れた体、そして頭脳。

それを回復させるのは睡眠である。

 

 

睡眠はすばらしく、目が覚めた後はエネルギーがしっかりと回復している。

 

 

 

回復したての朝こそ、人間の脳はパワフルでクリエイティブ、そして抜群の吸収力を誇る。脳は昼、夕方と時間が経過するにつれて、機能が低下してくる。

 

 

朝こそ勉強をしよう。

 

 

ただ朝の脳にはエネルギー源が足りていない。

 

起きたらまずはヘルシーな朝食だ。

脳にエネルギーを注入して、ブオンっ、とエンジンを始動させるのだ。エネルギー源はブドウ糖だ。魚も頭にいい。

 

だから朝食抜きは絶対ダメ。

脳が活動しない。性能抜群なのにガソリンが入っていない車と同じだ。

 

 

目を覚まし、朝食を食べた後のあなたの頭には、一日の中でもっとも活動的な脳がある。集中力すらマックスだ。

 

 

それなのにその時間帯にやっていることはなにか?

学生諸君、いや社会人のあなた!!

 

テレビを見たり、携帯をいじったりしている場合ではない。

 

 

もったいない。

 

 

勉強するなら、絶対に朝だ。かの作家の村上春樹さんも、作品を書くのは午前中から夕方の14時までだという。

 

 

午前中の時間のあなたは最高にクリエイティブなのだ。

 

 

それなのにダラダラしている場合ではない。どうでもいいことに時間を使っている場合ではない。

 

 

君の脳は知識を欲している。勉強したがっている。学びたがっている。

 

朝の習慣を手に入れれば、人生が変わる。

 

 

 

私も最近、朝型にチェンジした。実際にやってみた結果の感想なので、私は自信を持って言える。

 

 

朝はいい。かなりいい。

 

 

 

朝起きる。顔を洗い歯を磨き、水を飲み、体操をして、栄養のある食事をとって、机に座り深呼吸をしたら、最高の「学習マシン」と化した自分自身のセット完了である。

 

 

 

あとは目標に向かって、目の前の課題に取り組むと良い。

 

 

 

最高の自分に、最高の学習のチャンスを与えてあげよう。

 

 

 

まつを

 

 

 

 
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2016年

5月

10日

二十年前に出会っていたとしたら

 

 

「俺たちが見ているのは真実の断片にしか過ぎない。本当の真実とはほど遠いものだ。俺は本当の真実を知りたい。もうゆがめられた真実は、見飽きた」

 

 

このセリフを耳にして、はっ、とくる人も多くいるだろう。

 

これはWOWOWとTBSが共同で制作したテレビドラマ『MOZU』の中で何度も繰り返される。

 

西島秀俊が演じる、主人公の倉木警部が、このセリフをダンディーな声と、渋~い表情で語る。

 

先日知人を前にモノマネを試みたのだが、「誰?」と一蹴されてしまった。

 

もし私が、今から二十年前にこのドラマにであっていとしたら、私の人生は変わっていたかもしれない。将来の夢は「警視庁公安部」となり、今頃は警察内部の内定調査を行い、ことあるごとに「俺たちが見ているのは…」を言葉を吐いていただろう。煙草をふかし、ワイシャツのボタンを開け、細い黒タイを身にまとっていたに違いない。

 

 

いや、まてよ。

もし二十年前、『MOZU』と同時に漫画『弱虫ペダル』を読んでいたらどうだろう?

 

 

こちらについては聡明舎の内部生限定の『聡明タイムズ』に記事を載せさせていただいたが、もし『弱虫ペダル』を同時期に読んでいたとしたら……きっと迷う。

というのも、私は自転車部に入り、運び屋としてエースをゴール前まで運び最後に背中を押す最高のアシストか、あるいは勝利のゴールをもぎ取るエースを目指していただろうからだ。そして高校卒業後はフランスへの道を歩み出していただろうからだ。

 

 

公安警察か、ツールドフランスか。

両方は取れない。きっと究極の選択になったに違いない。

 

 

 

 

……尽きない妄想である。

 

 

 

 

さて現在の私はどういう運命か、聡明舎と出会い、胸打たれ、聡明舎の先生として生徒たちの前に立っている。

 

 

 

生徒たちには、近づきたい誰かや憧れる何かはあるのだろうか?

 

あってほしいなぁ。

憧れが人を作る。憧れが人を挑戦へと向かわせ、挫折と成功の両方を経験するだろうから。

 

 

中間試験間近 。

勉強を通じて、明るく強くたくましい人になってほしい。

 

 

 

まつを

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2016年

4月

04日

頭の中が考え事でいっぱいじゃないか

 

 

授業に集中しよう、とよく言う。

この場合の集中とは、授業の話をしっかり聞くこと、である。

 

 

でも私自身のことを考えてみると、話を聞きながら、耳にした言葉をきっかけとして考えが内へ内へと広がることがある。疑問が沸き、その答えを探したり、これまでの反省やこれからの希望が生まれたり、やってみたいことを考えたり、自分の中の思考に潜り込むことがある

 

 

脳内スパーク状態である。

 

この瞬間の私は、端から見ると「上の空」であるかもしれない。

 

 

「聞いてるの?」と聞かれると、答えは「イエスでありノー」である。

 

 

 

聞きながら考え、考えながら聞いている。

 

面白い、刺激的な話ほど、こういう状態になりやすい。あっという間に時間が過ぎていく。ありきたりな話、つまらない話ではこうはいかない。思考が停滞し、時間は普段よりも緩やかに流れて行く。時計をちらちらである。

 

 

脳内スパーク状態になった時は、考えるのが楽しい。

 

 

考えるのが楽しいという授業をしたい。家に帰っても頭から離れない、そんな授業ができれば最高である。

 

 

生徒には考えることの楽しさを感じて欲しい。答えを探して、調べることの面白さも感じて欲しい。

 

 

一つの知識が、十の思考に繋がるような授業である。

 

 

理想である。

 

 

 

 

まつを

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2016年

3月

21日

開幕目前である。

 

体とは良く出来たもので、連休に入ると、それを見計らったように鼻水がウォータースライダーのように流れ出し、くしゃみが鳩時計のように定期的に訪れる。

 

 

二年ぶりの典型的な風邪である。

 

 

くしゃみは嫌いではない。これは共感してくれる人もいるとは思うが、上手くはまった時のくしゃっみは快感ですらある。また、くしゃみのときにかかる腹筋への負荷が、よい筋トレになりそうなことも個人的に悪い気はしていない。

 

 

ただ、鼻水とのつき合いには面倒臭さを感じたままだ。

 

関係改善のため、「流しっぱなしにしてみる」という案を掲げ、実行してみたが上手くいかなかった。こそばゆいのと、「何をしてるんだ」という、多分に年齢からくる自制心がどうしても働いてしまう。

 

 

鼻水もまたよし、という方法を知っている人がいたらぜひ教えて欲しい。

 

 

風邪とはいえ、食欲が十分にあるのと、長年の経験から、連休明けの明日には回復をしそうな流れであることはよく分かる。

 

 

体とは良く出来たものである。

 

 

 

「当たり前にある日常のありがたさを胸に」というフレーズが、昨日開幕した春の高校野球の選手宣誓の中にあったけれど、まさにその通りである。

 

 

「当たり前」のありがたさは失われてから初めて、「有り難いことだったんだなぁ」と思い出すように感じられることが多い。

 

健康もまさにその一つ。環境もまたその一つ。

 

 

当たり前に慣れすぎると、感謝が失われるから、たまに機会を見つけて見つめ直そう。

 

 

近くで言うと、3月11日や、卒業、入学、入社の日などは、当たり前のありがたさを思い出すよい節目であると思う。

 

 

感謝が多いと日々が幸せに満ちて感じられ

 

やってもらって当たり前、してもらって当たり前が増えすぎると、足りないことに対する不満が増えるように思う。

 

 

 

不満は体に悪く、感謝は体にも良さそうである。

 

 

 

ちなみに春の高校野球の例を出したけれど、野球のことをよく知らないという人は、こちらの「君が勇気をくれた/九回裏のフルスイング」を読んでみると、興味が沸いて、高校野球がより面白く感じられるかもしれない。オススメである。通勤通学、カバーをかけずに読んで欲しい。またその感想を読者カードで送ってみよう。あるいは他の人にも勧め、入学祝いにプレゼントはどうだろう?、ツイッターで「面白かった」とつぶやき、フェイスブックで紹介してみよう。また…◎△%$◯▲

 

 

 

 

 

 

さて、聡明舎でも新しいシーズンの開幕が目前である。

 

楽しみである。

 

 

 

 

まつを

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2016年

2月

24日

読書のすすめ

 

あえてこんなことを考えてみましょう。
 
何点取ったかではなく、いくら稼いだかではなく、何を持っているかではなく、どれだけ楽しんだか、どれだけ笑ったか、どれだけ泣いて、どれだけ感謝したか。
受験も仕事も、すべての出来事は、自分の心を感じるためにあって、本当は、手にしたものよりも、経験したことや感じたことの方が大事である、と。
 
体の外側にあって、目に見えるものや手に触れられるものの充実だけではなく、目には見えないものや、手には触れられないもの、胸の内側にあるものをこそ本当は充実させるべきである、と。
幸せというのは、多分、感じることでしか手に入らないからこそ。
毎日の生活では、常にウキウキするようなことばかりが起こるわけではないですし、あたたかい情報だけが入ってきて心を温めてくれるわけでもないですね。
心は常にグラグラと、よい方に傾けば、悪い方にも傾きがちです。
だから今こそ本を読みましょう。
 
受験が終わった今こそ、本を読みましょう。
本を読んでいる時間は、目には見えない自分の心との対話です。
 
本の中には、さまざまな人生や考え方が描かれています。
 
とくに伝記などで顕著ですが、失敗し、迷ってもなお最後までやり遂げた人の話が描かれています。
途中で諦めた人、やり直せなかった人の話は、伝記にはなっていません。倒れても立ち上がった人の話ばかりです。
本を読んでも、お腹はいっぱいになりませんが、心はきっと血色のいい色になるはずです。
読書のすすめです。
まつを

 

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2016年

2月

09日

ご飯を食べることが好きですから。

 

 

映画「南極料理人」のオープニングで

 

「人間が一年間に消費する食料は一人1トン」というナレーションが入ります。

 

一人1トン。1000kgの食料を口にしている、と。

(すごい数字です。でも、これは平均?大食いの人と、小食の人いろいろいるけれど…どうなんでしょう?)

 

 

 

また、聡明舎のM先生の前の車の走行距離が20万キロ近くに到達していました。

 

地球5周分の走行距離。これもすごい数字です。

 

 

 

 

いずれも

 

はじめから、1トン食べよう、と思うと無理に思えます。

 

でも毎日食べてると、1トンに到達してしまいます。

 

 

 

 

はじめから、地球を5周(分)車を運転しようと思うと絶望的な気分になります。

 

でも毎日運転していると、地球5周にたどり着きます。

 

 

 

 

 

さて、

 

ビジネスパーソンとして必要な英語の能力の習得に必要な学習時間が約3000時間と言われているのをご存知でしょうか。

 

 

 

今現在、蓄積している英語能力を0だと考えて、3000時間を計算すると、一日に8時間程度の学習を1年間続けることができれば、3000時間に到達します。

 

 

 

一日に2時間程度の学習を続ければ4年で3000時間に到達します。

 

一日に1時間ならば8年間です。

 

 

 

ちなみに、高校までに1500時間程度の英語学習が終了していますので、社会人の方ならその半分の数字となります。

 

 

一日2時間ならば2年、一日に1時間ならば4年で習得という計算になります。

 

 

 

 

「英語の能力が身に付けばなぁ」


と、よく耳にする願望は、実は、上記の数字に置き換えれば達成されます。

 

 

 

 

 

なんだか…

 

なんだかですよ。

 

 

 

 

 

 

 

英語に限らず

 

 

 

なんでも出来そうな気がする」

 

 

 

のは私だけでしょうか?

 

 

 

 

 

 

例えば英語ならば、「英語の勉強時間」を1日に1時間とることができれば、4年で英語習得です。

 

 

 

 

 

確かに1日1時間はちょっと大変な気がしますね……

 

 

 

け・れ・どっ

 

けれど、です。

 

 

 

 

 

それは一気に1時間やろうと思うからかもしれません。

 

 

 

 

食事と同じように、一日三回に分けて考えてみましょう。

 

朝20分、昼20分、夜20分で…1時間です。

 

 

 

 

車の運転のように、一日の生活の中に付随させて考えてみましょう。

 

朝、テレビをつける前、10分。会社についてから、10分。お昼休み10分。仕事のすき間時間に10分。帰宅するまでに、どこかで10分。お風呂に入りながら10分で…1時間です。

 

 

 

 

結果、4年で英語、習得です。

 

 

 

 

20歳の方なら24歳、30歳の方なら34歳、50歳の方なら54歳で習得し、その後は英語を身につけた人生です。

 

 

さらに、あなたの学習法に、それまでの人生で得た知恵と工夫を凝らし、集中力を発揮すれば、4年を3年に短縮できるかもしれません。

 

 

 

 

では、英語以外に、たとえば経理の知識は?

 

フォトショップやイラストレータの技術は?パソコンを使いこなしたい?会社の顧客を増やす活動は?本を書きたい?絵が上手になりたい?ギターを弾けるようになりたい?ワインに詳しくなりたい?筋トレでマッチョになりたい?

 

 

 

いずれも、すぐにできるようにしよう、と思うと、途端にハードルが高くなります。

(高いハードルを越えられるのが一番、楽しいですが。)

 

 

ただ、もし毎日の中に、ちょっとだけ時間を組み込み始め、それを続け、習慣になりさえすれば、達成されるものです。

 

 

 

 

 

もちろん、口で言うのは簡単です。

 

 

けれど、逆に考えると、口で簡単に説明できるほど理屈の簡単なものなので、達成可能な目標なのです。

 

 

 

 

今の自分は、自分の過ごしてきた時間の集積の上にあります。

 

そして、未来の自分は今の自分の積み重ねの上にあります。

 

 

 

 

「才能の差」と言われるものの多くは実は、「習慣の差」に過ぎないのかもしれません。だから、「自分には無理だ」と諦めるには、早すぎるものもたくさんあるのかもしれません。

 

 

 

時間と意思のあるかぎり、私たちには、多くの可能性があります。

 

 

 

 

まつを

 
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2016年

1月

26日

勉強好きの人の近くにいると、勉強好きになりやすい気がします。

 

 

最近、生徒に言われてググッと嬉しかった言葉。

 

「将来、私も聡明舎の先生になりたい」

 

 

 

千代の富士、清原、野茂、桑田、カズ…

 

私が小さい頃に、テレビを見ていて、印象的でかっこ良かった人々。私はどうしてもスポーツ選手に偏ってしまいますが。

 

 

生徒たちの「憧れ」の一つに

 

「聡明舎の先生」

 

がランクインされるような学習塾聡明舎でありたい、と思います。

 

 

先生という字は「先に生きる」と書きます。

 

 

子供たちにとって、近くにいる大人はみな、近い将来の具体例です。

だから「大人になるのが楽しみだ」と思ってもらえるような仕事を、職業に関わらずみんなでできたらいいなと思います。

 

 

「あなたが輝けば周りもまた輝く」という言葉を目にしたことがあります。

 

 

仕事や役割は自らを輝かすための一つの手段です。

 

仕事で大きな責任を担っていたり、親としてどうあるべきかなどを真剣に考えたりすると、個人の意見や感情よりも優先しなければならないことが出てくることがあるので大変です。ただ、そういった責任が大きくなればなるほど、自覚のレベルの高くなればなるほど、輝き方は大きくなります。

 

 

顔晴れやかに、がんばりましょう。

 

 

夜空に輝く星のように、ひとり一人がきらきらと光る世の中。

 

 

それを見上げる誰かがいて。

 

 

いいじゃないですか。

 


 

 

 

私ももっといい仕事ができるように、たくさん学び、変化していきたいです。

 

 

 

 

 

まつを

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2016年

1月

12日

授業のすき間の時間を使って、他の先生の授業を見学しています。

 

 

神様というのはきっと

 

ものすごく優秀なスポーツのコーチのような一面をもっていて

 

人生のそれぞれのタイミングで

 

その人に必要なトレーニングメニューを考案し

 

 

 

「次の課題はこれ」

 

 

 

と、どこか見えない所から

 

私たちに与えているのではなかろうか。

 

 

 

 

きっとそのときの神様は

 

 

 

「君にできるかな?」

 

 

 

という試すような表情をしながらも、

 

 

 

「乗り越えられるから、この課題を出しているんだよ」

 

 

 

と内面は自信満々なのではなかろうか(神様だから)。

 

 

 

 

 

また、ときに優秀な演出家のように

 

 

 

「あなたが次に会うべき人はこの人」

 

 

 

と、偶然とも運命とも思える出会いを用意しているのではなかろうか。

 

(「あなたが今手に取るべき本はこれ」とか「あなたが見るべき映画はこれ」なんていうものも含む)

 

 

 

 

 

試練を乗り越えながら仲間を得て、

 

あとから振返ったときに

 

 

 

「あのときの大変なことがあったから今がある」

 

「あの人とで会えたから今がある」

 

「人生で大切な仲間を手に入れました」

 

「おかげさまで◯◯」

 

という思いを抱くのではなかろうか。

 

 

 

 

勉強でも仕事でも大きく人生でも

 

何かにぶつかったときにこそこんなことを考えてみると

 

何か違った視点が持てるかもしれない

 

 

 

 

 

最近、聡明舎の先生たちの授業が、以前にも増して面白い。

 

私の個人的な感想です。

瀬谷と大和近隣に住んでいるならば、聡明舎に来たら良いのに。

 

 

 

 

 

まつを

 

 

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2015年

12月

29日

たまに思い出すことの大切さ

 

 

 

「英語は何のために勉強をしているんだろう?」

 

 

 

という質問が

 

入試対策の英語の授業をしているときにふと思い浮かび、生徒に聞いてみました。

 

 

 

当てられた数名の生徒は、上手く答えることができずに、視線が宙を泳ぐようでした。

 

 

 

 

 

「何のため?」

 

 

 

 

 

「入試のため。合格するため」のつもりで、英語を勉強をしているのだけれど、あるいは「理由なんているんですか?やらなきゃならないからですよ」という感覚で勉強をしているけれど、言葉出して、何のための英語の勉強なのか、の「答え」として答えるにはが何か違うような気がしてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

英語は本来、人とコミュニケーションするため、にあるもです。

 

 

 

言語なのだから当然です。だから学生の間に学んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

将来的に英語で仕事をする人もいます。

 

 

 

 

仕事までは行かなくとも、英語があれば、英語を知っている人どおし、ヨーロッパでもアジアでも世界中、人と人の意思の疎通が出来ます。もちろん、私自身は外国に行ったら「その国の言葉を使いたい派」ではありますが、なかなか現地の言葉は難しいです。

 

 

 

 

 

英語でのコミュニケーションは、瞬発力の必要な会話だけでなされるものではありません。

 

 

 

読むことを通じても、相手の言いたいことを理解することができます。

 

書くことを通しても、こちらの言いたいことを伝えることができます。

 

 

 

 

メールでのやりとりに英語を使う機会だってあります。

 

 

 

 

英語という語学を通じて、医学の勉強をすることだってある。心理や建築の勉強をすることだってあります。

 

 

 

 

 

入試に向けての勉強に真剣になればなるほど、合格するため、という思いが強くなてきますが、ときおりなぜ勉強するのか、を思い出したいです。(ただ、誤解なくいうと、僕は受験勉強は好きです。単純に面白いから、なのだけれど)

 

 

 

 

 

 

働き始めてからも、努力に意味を感じられなくなる時は、なぜそれを自分がやるのか、の答えを持てていない時です。

 

 

 

 

 

逆に、努力に意味を感じられるのは、なぜそれを自分がやるのか、の答えを明確に持てている時です。

 

 

 

 

 

今やっていることが、将来のどこに通じ、何に通じ、誰に通じているのか、イメージの中で「見えている」ことは、自分を強くしてくれます。

 

 

 

 

 

 

「何のため」を、自分の「使命」という言葉で言い換えることができるかもしれません。

 

 

 

 

 

「使命」を感じながら生きられることは、きっと幸せなことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、2015年も終わりが近づいてきました。

 

 

2016年も、聡明舎が生徒にとってよい場所となるよう、また私という先生が生徒にとってよい存在になるよう、大きく化けていきたいと決意しています。聡明舎は他にはない、子供たちにとって経験する価値の高い、教育機関だと思っています。実際に通ってくれる生徒たちのためにも、これから通ってくれる生徒たちのためにも、よりいっそう成長していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今年も昨年に続き、一日一通のハガキを生徒に、ときに保護者の方に書き続けることができました。これで四年間、ずっと書き続けることができている事実は、「継続」を語る時の私の密かな自信となっています。

 

 

 

もちろん、本当に喜ばしいのは私に、書ける相手がいることだ、ということはいつも忘れていません。

 

 

 

 

 

 

今年も本当にありがとうございました。

 

 

また来年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

 

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2015年

12月

15日

種を蒔く人

 

 

高校入試、大学入試が近づいてきました。

 

 

本番の入試を控え、模擬試験が数多く実施される中、思うような結果が出る子もいれば、出ない子もいます。

 

 

当然ですが

 

いい結果が出ると嬉しくなり、悪い結果が出ると落ち込みますね。

 

 

ただ、結果というのは、これまでに蒔いてきた種が芽を出した、という見方ができます。

 

 

 

勉強で考えてみると

 

好きな英語の勉強に力を入れてきた人は、英語の得点が伸びますが

 

苦手な数学の克服から目を背けてきた人は、数学では希望する結果につながっていきません。

 

 

 

仕事でも同じです。

 

芽が出るのが楽しみな種を蒔き続けて仕事をしている人は、それが成果として、ふさわしい時期に芽を出します。

 

 

 

もちろん難しいのは、種を蒔いても必ずしも思った通りの芽を出すわけではないこと、です。それでも、芽が出るのが楽しみになるような種を今日も蒔きたいものです。

 

 

 

 

同時に、忘れてはならない事実もあります。

 

 

特別に何かをせずに時間を過ごしても、実は「何もしない」という種を蒔いています。

 

 

 

何もしない、という種は蒔いている最中はまったくストレスがありません。

 

 

また、テストでも仕事でも、とびきり悔しいのは、ちゃんと準備して努力したのに結果が出なかったとき、です。大変な思いをして種を蒔いたはずなのに、きちんと芽が出なかったときです。

 

 

 

 

何もしなければ、種を蒔く際の苦労を経験することも、悔しさに落ち込むこともありません。それは実に「気楽」に感じられるかもしれません。

 

 

 

しかし、「何もしない」という種をずっと蒔き続けていると、「何もしなかった」が故に出る芽があります。

 

 

毎日誰にも会わずに、ボーッと家で一人で生活しつづけることを想像してみるといいかもしれません。何もしていないので当面はトラブルは起こりません。が、きっと気楽なのは数日ばかりでしょう。そのうち大変な芽がニョキニョキと出てきます。

 

 

 

そして何より、明日に対する期待や希望が生まれません。楽しみな日を待つ、ワクワク感が何もありません。今が楽しめなくなるかもしれません。

 

 

 

 

人は毎日種を蒔いて生きています。

 

 

 

 

芽が出るのが楽しみになるような種を、今日も一つ、蒔きましょう。来るのが待ち遠しくなるような予定を一つ、入れましょう。

 

 

 

先にも書きましたが、種は必ずしも、期待した通りの芽を出すわけではありません。

だからこそ、その芽が実際に出てしまうまでは、上手くいく、思い通りになる、と思って過ごしましょう。その方が毎日は何倍も楽しい。

 

 

 

ワクワクするような種を蒔いて、都合のよい未来を想像して常にワクワクしていたいものです。

 

 

 

種を蒔く人、です。

 

 

 

 

さて、私事ではございますが

 

1月8日に三作目の本が発売されることになりました。

 

 

 

『君が勇気をくれた - 九回裏のフルスイング - 』(現代書林)

 

 

 

 

江戸川区の「読書のすすめ」さまでは先行発売もされますので、是非読んでみてください。

 

 

『読書のすすめ』さまはこちら

 

『読書のすすめ』Facebook ページでも

 

 

 

 

 

 

まつを

 

 

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2015年

12月

01日

危うく小さくまとまるところでした。




You must be the change you wish to see in your world.


自分の世界で目にしたいと思う変化に、あなた自身がなりなさい。




聡明舎の年に一回の卒業生が集う会、「ここまで喜多会」で


喜多川先生がおっしゃっていた言葉です。




卒業生がたくさん集まってくれて


限られた時間ですが、さまざまなこと話し、刺激を受けました。





漫画『宇宙兄弟』で


「兄とは常に弟の先を行っていなければならない」


という


お兄ちゃんの言葉が思い出されました。



「聡明舎はやっぱりすごいなぁ」



ずっとそう思ってもらえるような存在になりたい



と心から思いました。





そして、いくつになっても常に今以上を目指すような


背伸びをするような気持ちはなくしたくありません。






We wanna be the change they wish to see in their world.






まつを




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2015年

11月

17日

のびしろはまねぶにあり、と見つけたり。




学ぶとは


「まねぶ」にあり、と見つけたり。



こうなりたい


と思う人のことを「真似」すること。




「まね」びたい師匠がいるなら


師匠のやっていることをとことん真似てみよう。




また


師匠は、生きている人だけにあらず。


本をたくさん読もう。




そして


自分がいる日常の世界から出て


たまには外の世界を見てみよう。




すごい人が、やっぱりたくさんいる。







冬期講習の聡明舎の広告が配布され、問い合わせが来ています。



本人にとっても


聡明舎にとっても


内部生にとっても


きっと世界を広げるいい出会いになります。





まつを






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2015年

10月

12日

大したことない



今朝4時から行われた日本対アメリカの試合をもちまして、


私の中でのラグビーワールドカップが終わりました。




ジャパンのラグビーは本当に最高でした。


若干のラグビーロスの感覚すらあります。

(正確に言うと、ラグビーではなく、ジャパン戦ロス)




初戦の南アフリカ戦なんて、涙で画面が揺れましたからね。




そんなに私が感動してるのに…


聡明舎の先生たちは、ラグビー熱がいまいちなんだよなぁ。

(というかほぼ無し)


共有できないんだよなぁ、さまざまな感動を。


そこらへんが聡明舎の先生たちの残念なとこなんだよなぁ。




おっと…愚痴ってしまいました。




ちなみに、偉そうなこと言ってますが、私、バリバリのにわかファンです(笑)


ただこれからは、試合があったら見に行きたいとも思っています。




でも、ラグビーかっこいいよなぁ。




あんな190センチ、100キロくらいの、鍛えまくっている男が全力で突進してくるのにタックルで止めにいくんだもんなぁ。


日本は世界一の練習量だって胸を張って言ってたからなぁ。すごいよなぁ。



指骨折した選手がいて、次の試合のことを聞かれたときに、「問題ないですよ」と言ってたんですよ。


「ラグビーじゃよくあることだ」って。


「先発に選ばれたら出ますよ」


剛胆でタフだよなぁ。



タフって「かっこいい」の基準の一つなんだよなぁ。私の。



普通の人の「けが」が「けが」じゃないんだよなぁ。だから「悲観」も「悲壮」もなしに、ホントに試合に出ちゃうんだもんなぁ。




憧れるなぁ。




そういう姿見てると


大した問題でもないのに気にしている自分がアホらしくなってくるんだよなぁ。




ちょっとした問題を大した問題にすることがあるじゃないですか。


一方で、困難や問題を、アホらしく感じさせてくれる人もいて、そんな人は偉大だと思うんだよなぁ。



「難しい」と思わせるよりも


「大したことない」って思える方が、乗り越えられる予感が強いでしょう。そして本当に乗り越えるのはそっちでしょう。




やっぱラグビーのジャパンの試合は見るべきだったんだよなぁ。


見てよかったなぁ。



あと聡明舎の先生に新日本プロレス好きが出てきたら最高なんだけどなぁ。


アントニオ猪木さんの頃の話じゃなくて


今の新日本の至るプロセスがカッコいいんだよなぁ。




こちらの



『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』



はオススメの本ですよ。





まつを


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2015年

9月

29日

脳内共有



福山雅治さんの結婚が列島を震撼させている。


僕の親戚の叔母さんも、やる気、希望をなくしてしまい、昨日は夕飯を作らなかったそうな。





第二次世界大戦のドイツ軍捕虜収容所でのことだ。


フランス兵捕虜たちのあるグループは、長い捕虜としての生活を規律あるものにするため、みんなで雑居房の椅子にとても美しい女性が座っているということにした。


朝起きればそこに向かってあいさつをし、仲間同士ケンカをして騒がせた場合には非礼を詫び、着替えるときにもその「目」に対して配慮をした。


紳士としているため、の努力だ。


収容所暮らしは過酷で、衰弱し、病死をしたり精神を煩ったりする人が多い中、このグループはみんな生きてフランスに帰ることができたという。



きっと「脳内共同ガールフレンド」の存在が、彼らの精神や理性を気高く保ってくれたのだろう。





他人の目は、時にストレスにもなるが、時に自分を理想的な姿に保つ役割も果たす。


家で一人で勉強をしていると、集中力が散漫だという人は、ダイニングテーブルへ移動しお母さんが食器を洗っている近くで勉強したり、図書館に行ったり、静かなカフェに行ったりして勉強するのはどうだろう。


他の誰かの目が、あなたを背筋の伸びた勉強家にしてくれる。


もちろん聡明舎に確認して、聡明舎で勉強をするのもいい。


あるいは、部屋の壁に誰か自分を律し、勇気を与えてくれる人の写真を貼ったらどうだろう。


例えば、楠本先生の写真を。

きっと「やらねば」という気持ちになるだろう。もちろんその写真は友達が来たときには外しておこう。


例えば、福山雅治さんの写真を。


他の誰かの目、を意識するだけで、自分が強くなれることがある。


子供を持つ親御さんは似たような経験したことがあるかもしれない。子供やパートナーのためにならがんばれる、自分を律することができる、世の中はそんなことが多いのだ。



ちなみに、かつて様々な諸事情により、山崎先生のスマホの待ち受け画面が、私と楠本先生の写真だった事がある。山崎先生は、携帯の電源を見るたびにきっと、身の引き締まる思いだっただろう。その写真が彼の成長に一役をかっていただろうことを、私は信じて疑わない。

(しかし最近山崎先生の待ち受け画面をみたら、私と楠本先生の写真はきれいさっぱり断捨離されていた。それも彼の成長の証ということだろうか)



大切にしたい人がたくさんいる、という事実は人を、いつも、いつまでもかっこ良くさせてくれる秘訣なのかもしれない。



福山雅治さんがあんなにカッコいいのは、生まれながらの素養だけではなく、多くの人の期待の目にされていることにも原因がありそうだ。





気の緩んだ勉強に悩んでいる人へ。


脳内共有ガール(ボーイ)フレンドのすすめである。





まつを









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2015年

9月

15日

バリバリ



コツコツではなく、バリバリやる。


徐々にではなく、一気にやる。


どかんと一発、覚悟を決めてやる。




毎回の授業で、毎回分からない所が出て来て、毎回ミスが続いて…

だとそのうちやる気の炎が消えてしまう場合があります。



毎日三十分の勉強を継続的に、が有効な場合もあるけれど

毎日数時間の勉強を一週間がんばって続け、

ある程度出来る所まで一気に能力を伸ばした方が勢いになる場合もあります。




イメージは飛行機のフライトです。




一気に加速して、一気に離陸して、一気に高度を上げ、そこで安定してしまえばあとは目的地目指して飛んでいく。




大人になっての仕事や勉強も似ています。



コツコツなどと遠慮せずに、バリバリやってみる。





「流れは自分たちで持ってくるもんだろうがよ!!」


と漫画『スラムダンク』の中で宮城リョータも言っていました。




流れは自分で持ってくるものです。




まつを






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2015年

9月

01日

Just Do it


教科書で見るピカソやルソーの絵画も

 

雑誌で見る広大な風景も

 

実際に目で見みるとまったく違うものだということが分かります。

 

 

生の目で見るのと、間接的に目にするのとでは大違いです。

 

 

ライブでいうと聡明舎の授業もそうです。

 


映像では出せない、伝わるものがあります。

 

 

 

また、テレビやネットやニュースで間接的に世の中を分かった風になることもありますが

 

実際に自分で様々なことにチャレンジしてみると

 

また違った感覚を得られるかもしれません。

 

 

NIKEから聞こえてくる

 

Just Do it !(とにかくやってみろ)

 

 

というのは

 

 

大人も子供の忘れてはいけない感覚だと思います。

 

 

 

まつを

 

 

 

 

 

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2015年

8月

17日

出会いで大きく変わる。

 

 

人間は六十兆の細胞で出来ていると言われている。


 

 

1940年頃、ルドルフ・シェーンハイマー博士によるアミノ酸の体内での行方をトレースする実験で、食べたものは消化された後、脳、筋肉、消化官、肝臓、膵臓、血液など、体を構成する細胞の一部となることが分かった。



私たちの体は日々、不要になった細胞を便などによって排出し、食べ物由来の細胞に置き換えながら存在している。


 

結果、一年余りで体の細胞がすべて入れ替わっているとも言われているが、その入れ替わりの期間に関しては諸説様々あるようだ。



 

ここで不思議なことがある。


 


体の細胞はすべて入れ替わっているのに、私たちの記憶、思い出はずっと残っている。



記憶、思い出、意識…あるいは「私」という意識はどこからきたものなのか?またどこへ向かってゆくのか?



食べた物が体を作り、古くなったら排出し、また再構成し、を繰り返し、私たちの意識は80年あまり世界を見続けることになる。



「私」を存在させるために、60兆の細胞があるかのようだ……な〜んてことを考えてみたりする。






さて、その「私」は、一人の人との出会いで、一冊の本との出会いで、一つの出来事との出会いで、大きく劇的に変わる。



 


先日行われた喜多川先生の教師塾。


 

 

 

内容もさることながら、そこに集った人たちとの交流はとても刺激になりました。



その後に読んだ本。



こちらも大きな感銘を受けました。



仕事でも仕事以外でも、目にし、触れ、感じることによって「私」が変わってゆきます。




私の意識の新陳代謝は、様々な出会いによってなされるのかもしれません。



 


書を持ち町へ出て仕事をして、自分を変化させ続け、角度の大きな夢を見よう。



 


では夏も後半ですが、新しい自分に出会いましょう。



 



まつを

 

 

 

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2015年

7月

15日

自分が花なら蝶がよってきます。



女子サッカーのワールドカップ


ウィンブルドンテニス


ツールドフランス


とこの夏は、スポーツイベントが盛りだくさん。




しかし現在開催中のツールドフランスはBSなので残念でしょうがありませんが、そこは『弱虫ペダル』で代用ということで。




そして、夏の風物詩といえば高校野球です。





こんな想像をしてみます。


ここに15歳のごく普通の高校一年の野球部員。現在補欠という選手がいたとします。


その選手の脳みそを、そっくりそのまま、メジャーリーガーのイチロー選手と入れ替えたとします。


どんなことが起こるでしょうか?


その選手はレギュラーになり、チームは甲子園に行く可能性が高くなります。やっぱりその選手もプロ選手になって、同じようにメジャーリーグで活躍するかもしれません。





上手くいくやり方、考え方はきっとあるはずです。





仕事も勉強も、上手くいく人はどんなふうに考え行動するだろう、という視点を持つことは、自分を見つめる良い鏡になるはずです。





聡明舎の夏期講習は今週の日曜日からスタートします。



ぜひ一度、体験学習に来てください。



勉強を通じて、学べることはたくさんあります。



お電話でもメールでも体験学習は受け付けております。


info@so-mei.jp



まつを

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2015年

6月

30日

I'll be back.



「最近、すっきり細くなりましたね」


という言葉をかけてもらったら喜ぶ人もきっと多いだろう。



出来るだけ良いスタイルでありたい、と願うのは当然の心情であり、大小の差はあれ私も例外ではない。





大和校のバックヤードにおいてもそれを感じている。




どんぶりサイズの野菜サラダ。



これが大和校の冷蔵庫には常に入っている。



「きゃべつで胃袋をふくらましてから食べる炭水化物は、少なくても満足感がある」


という「きゃべつ炭水化物置き換え理論」を唱えるのは某M氏である。



またM氏は「体の内側から美しく」と、右手にはヤクルト、左手にはミルミルを持っている。



そのスタイルを見て、「聖子っ、聖子っ、橋本聖子っ」という大学時代の飲み会のコールを思い出すのは僕だけではないだろう。



現在、ヘルシー&ビューティーというゴールへ向かって第三コーナーを駆け上がっているところだ。





一方で「細くなりましたね」という言葉に傷つく人もいる。



かつては峻険な山のように盛り上がっていた肩の三角筋。それが時代の影響か、整地されたかのように滑らかになってきている。



北斗のケンで描かれた世紀末をのり超えてしまった平和な現代にはもう、ごつごつした無骨さは流行らないのかもしれない。




もちろん某K氏は「スリム」という言葉に依然、抵抗を意を示す。


「こ、これから夏にかけて復権しますよ。見ててくださいん」




確かに、あのシュワちゃんも齢67にして「ターミネーター」に戻ってきた。


それを考えるとK氏の「I’ll be back」という言葉もうなずける。


ただしかし、K氏のパソコンの「オススメ動画」が、お子様向け番組ばかりなのを目にしては、ケンシロウの「あの言葉」がよみがえってくるのもまた、事実なのだ。




いや…いや違う。違うぞー。



僕はK氏の言う「Kマッチョ復活」を信じている。信じたい。信じさせて!!





時は進んでいる。


放っておくとどんどん、どんどん時は進んでいく。そりゃ卒業生も結婚する。



しかし相変わらずミスチルはカッコいいし、ブルーハーツも色あせないのもまた事実。





7月11日(土)は朝10時から親学塾です。





今回は私に、みなさまにお話をさせていただく機会が回ってきました。



終わりなき情熱の真っ赤なバラが咲くようなお話ができれば、と意気込んでおりますので、聡明舎にお通いの皆様是非、お時間の都合をつけ、ご参加ください。



お申込は、info@so-mei.jpです。



どうぞよろしくお願いします。




まつを





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2015年

6月

14日

本当に熱い人

 

あなたは「熱い」人?

それとも「熱くなりたがっている」人?




僕の経験上、熱くなりたがっているだけの人はよくしゃべる。



行動する前も、せっかく動いてもすぐに立ち止まっておしゃべりをする。


さまざまな思いや、さまざまな理由や、さまざまな感謝や、さまざまな不遇をよくしゃべる。


あんまり口を開けちゃうと、せっかくの熱が冷めちゃうよ。




本当に熱い人は言う前にやっちゃう。


または饒舌にしゃべりながらも、笑いながらも行動しちゃう。



成功して賞讃を受けても語らない。


または賞讃を受けてから語る。



具体的にやっちゃう。気づくと一歩前に進んでる。


内側の熱がカッカとエネルギーになって、前に進んじゃう。



戦略的かもしれないし


戦略的じゃないかもしれないけど、行動しちゃう。



大学も高校も、合格する人はそういう意味での「熱い」人だよ。


熱い人は、見た目じゃないよ。言葉じゃないよ。




今いる場所の道の先にしか欲しいものはないからね。





7月12日の『英単語徹底講座』

 

瀬谷駅の近くとか、相鉄沿線に住んでいる高校生は、絶対参加した方がいいから。


去年僕が参加したけど、すごかったんだから、ホントに。



7月12日 18:00~19:30


無料、90分、外部生も電話一本で受付オーケー。



超オススメ!!


 


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2015年

5月

17日

「先生、朝、起きれるようになりました」



朝、決めた時間に起きれない人に一つのアイディアです。




私が、朝決めた時間に起きる方法、をここで伝授します。


そしてその話は勉強の集中力の増す方法や、お金を貯める方法にもつながってきます。











ちょっと聞いてみてもいいな、と思いましたか?











興味のある人はぜひ下へスクロールをしてください。






























はい、ありがとうございます。







聡明舎の生徒の中に「朝5時半に起きようと思っているんですけど、どうしても寝てしまうんです」という声を聞くことがあります。









こんなやりとりがありました。





「目覚ましはかけたの?」


「かけてます。枕元に大きな音でかけてます」


「でも起きれない?」


「止めて寝ちゃうんです」


「何時に寝てるの?」


「11時です」


「6時間半か。極端に睡眠時間が短いわけじゃないね。なんでだろうな?」


「きっと私、意志が弱いんです」






はい、ストップです。







「意志が弱い」








これは取り扱い注意の言葉です。







なぜならこの言葉「意志が弱い」はすべての原因が解明された気になり、考えるのを止めさせてしまうことがあるからです。





ものごとが成就しなかったとき、すべて「意志が弱い」から、となり、しょうがないことだ、無理なことだ、と了解されてしまう怖い言葉でもあります。






さて、一般的に考えて、諸問題を意志の力で解決しようとするのは難しいものです。





早起き。



ダイエット。



禁煙。



貯金。



部屋の片付け。




などなど、意志の力があれば上手くいくのに…と思います。








ちなみに私の経験上、これまで多くの人に出会ってきましたが、意志の力で6時半起きを5時半起きにすることが簡単にできるという人は、そう多くありません。





実はこの問題、意志が弱いのではなく、意志の力の使いどころを間違っている、というところに原因の多くがあるようです。






では、どの点で間違っているのか?








朝、5時半に目覚ましが鳴りますね。



目覚まし時計を止め、体が半分蒲団に入ったままの夢うつつの状態で、意志の力を発揮してなんとか蒲団から這い出ようとし、そして失敗してしまいます。





二度寝をし、誰かに起こされた後に、ため息とともに意志の弱さを実感することになります。






確かに、意志の力が強ければ、起きれたでしょう。






そして、こんなことを繰り返していけば、自分のことを「意志の弱い人」と認識してしまい、意志が強い人なるところからますます遠ざかってしまいます。






誤解してはいけないのは、私たちにはすべからく、意志の力、は備わっているということです。






みんなどこかに強い意志はあるのです。上手く発揮できていないだけで。









私の考えでは、「意志の力」の発揮のしどころは、朝ではなく夜です。






早起きを目指す場合、それを朝起きる瞬間に発揮しようとしているから失敗してしまっているケースが多くあります。









ためしに夜、寝る前、



あなたの「意志の力」を総動員して



目覚まし時計の位置を



ベッドから一番遠く、止めにくいところ、例えば本棚の上とか、机の下とかに移動してみましょう。








あとはいつも通り寝れば朝、きっと5時半に起きることができます。








もちろんこれは睡眠時間に無理がなければ、の話です。







個人差はありますが、11時に寝て5時30分に起きる事はこの方法を使えばきっと可能になります。







え?


それでも起きれる気がしない?





そんなときには、やはり寝る前に「意志の力」を発揮して、目覚ましをベッドから一番遠いところ、2箇所に置いておきましょう。




遠距離目覚まし時計を2つにする作戦、です。






あるいは、「意志の力」を発揮して、コップに水をひたひたに入れておき、目覚ましの前に置いておきましょう。


「下手に目覚ましを止めようとすると水をこぼしてしまう」という危機的状況が意識を冴え渡らせ、すっきりとした目覚めをもたらしてくれます。またその水を寝起きにそのまま飲んでもいいかもしれません。





これは荒技ですが、


たった一つでいいので、画鋲を床に転がしておく、というのもありかもしれません(笑)。


電気をつけ、画鋲を探しますし、そのおかげで自然と意識が冴えます。







これで朝、間違いなく起きることができます。



そしていわゆる「意志の強い人」のできあがりです。









分かりますか?






目覚ましが鳴ったら意志の力を発揮しよう、ではなく(できる人はそれでいいんですが)、寝る前に意志の力を発揮しよう、という考え方です。






夜の目覚ましの移動には10秒もかかりません。寝る前に10秒の意志の力です。





そしてそれを続けていけば、多分、習慣にもなります。






ただ、もしスッキリ目覚めた後でもベッドに戻ってしまうという人がいたならば、その人はきっと、「起きたい」ではなく「寝たい」という人なので寝た方がいいでしょう(笑)







私が伝えているのは、朝起きたいのに起きれない、と悩んでいる人への意志の使い方の話です。







できることをやるんです。






自分の部屋での勉強に集中できない人は、台所のテーブルをつかいましょう。



意志の力で集中してやる、ではなく、意志の力で場所を移動する。





スマホが気になって勉強が手につかない人は携帯を見るのを我慢するではなく、ロックをかけて、両親などにある一定時間まで預かっておいてもらう。