考える、考える、考える

ご無沙汰しております、堀金です。


夏期講習が、終わってしまいました。


長かったような、短かったような、長かったような…短かったです。


夏期の間、学校の宿題で出された作文を読んでほしい、と持ってきてくれた生徒が何人かいました。


そのうちの一人が、人権、特に黒人差別を題材に文章を書いていたんです。


見事な構成。


重箱の隅をつつくような指摘になってしまうほど、文として形になっていたのでベタ褒めして返却。


その文の中で、引用されていた逸話がなかなかおもしろかったんですね。


着眼点、またそういう話に触れるアンテナの広さがまたgood。


こんな話だったのですが、聞いたことはありますでしょうか。


                            



ある、飛行機でのお話。


50代とおぼしき妙齢の白人女性が
機内で席につくと、彼女は自分の隣が
黒人男性であるという事に気がついた。

周囲にもわかる程に激怒した
彼女はアテンダントを呼んだ。

アテンダントが
「どうなさいましたか?」と訊くと

「分からないの?」
とその白人女性は言った。

「隣が黒人なのよ。
彼の隣になんか座ってられないわ。
席を替えて頂戴」

「お客様。落ち着いていただけますか」
とアテンダント。

「当便はあいにく満席でございますが
今一度、空席があるかどうか、
私調べて参ります」

そう言って去ったアテンダントは、
数分後に戻って来てこう言った。

「お客様、
先ほど申し上げましたように、
こちらのエコノミークラスは
満席でございました。

ただ、機長に確認したところ
ファーストクラスには空席が
あるとのことでございます」

そして、女性客が何か言おうとする前に、
アテンダントは次のように続けた。

「お察しとは存じますが、
当社ではエコノミークラスから
ファーストクラスに席を替えると
いう事は通常行っておりません。

しかしながら、或るお客様が
不愉快なお客様の隣に座って
道中を過ごさざるをえない、
という事は当社にとって恥ずべき
事となると判断いたしますので
当然事情は変わって参ります」

そして黒人男性に向かって
アテンダントはこう言った。

「ということで、お客様、
もしおさしつかえなければ
お手荷物をまとめていただけ
ませんでしょうか?

ファーストクラスのお席へ
ご案内します。」

近くの乗客が、歓声をあげるのを
その白人女性は呆然と眺めるだけであった。

スタンディングオベーションを送る者もいた。





僕も、この話を知ったのは生徒の作文を読んだのが初の機会でした。


そのときの感想は、ネット上でコメントが寄せられているような、

胸のすく思いというか、スカッとする、というか。

おそらく、大多数の人が感じるのと同じ感想を抱きました。


ただ、少し時間が経つと また別の思いも浮かび上がってきます。

あまり、もてはやしすぎるのも怖いなぁ、という思いです。

「なにが賞賛を受ける話だったのか」を誤解されたくないな、ということです。



「近くの乗客が、歓声をあげるのをその白人女性は呆然と眺めるだけであった。」


このお話で…まぁ、所謂「悪者扱い」になっている、50代の白人女性。


不憫と言ったら語弊があるようにも思いますが、この方だって見方を変えれば被害者かもしれないな、と思うわけです。


擁護したいわけでは、ありません。

僕も隣にこのような方がいたら、心地よい顔面ではいられません。


ただ、差別をするのが当たり前、そういう「常識」をもって生きてきた人が、

その「常識」の通用しない瞬間を迎え、当惑した。

(例えば、大名行列を横切ったイギリス人を斬り殺し、薩英戦争の発端になってしまった生麦事件みたいに。)


これは、差別に限らず誰にでも起こりうることだと思うのです。


だからこそ、この話が「どうして賞賛されたのか」を、大切にしながら伝えたい。


ただ単に「差別はいけないこと」として子供たちに伝わったら、「差別をする人は良くない」という、新しい差別になるだけのような気がするのです。


人の心を大切にしたからこのアテンダントさんの対応は素晴らしい」


伝えたいことが、伝えたい形に近い形で伝わる努力を、今後もしていきたい。

本日はこの辺で。


9月からも、またよろしくお願い致します。


堀金