自分が、やる。

自分がいくら、自分のことを「かっこいい」と思っても、

まわりの人から「あいつはちょっとダサい」と思われてしまえば、

自分は「ちょっとダサい人」である。

逆もまたしかり。


自分がいくら「聡明舎はすばらしいところだ」と言い張っても、

外から見た人が「聡明舎って、ちょっとね…」と思われてしまえば、

聡明舎は「ちょっとね…」な場所である。

もちろん、逆もまたしかり。

 

僕は「聡明舎は素敵な場所だ」と思ってやまないし、

どの先生もそう思っている。

だからこそ、周りの人が同じように考えてくれる場所でありたい。

 

と、生徒によく伝える。

 

そして、「そんな聡明舎を作るのは、先生ではない。君たちだ」

と生徒に言う。

そして

「一人一人が『自分が素敵な聡明舎を作る』という気持ちを持てば、

 聡明舎は必ずそんな場所になる」

と伝える。

 

こんな話をした時に、

本当に真剣に聞いてくれる生徒たちもいる。

 

 

ただ、

こうは伝えるものの、

同じように先生である自分自身が一番

「自他ともに素晴らしいと認められる聡明舎を作るのは、

 他でもない、自分だ」

と思い、そして行動しなければ、生徒には何も伝わらない。

 

「俺がやらねば誰がやる!」

その精神をいつでも忘れずにいたいと思うのです。

 

まずは、自分の担任のクラスから、

そしてそれぞれの学年を、

そして校舎を、会社を、素晴らしい場所に。

 

今聡明舎瀬谷校は(もちろん、他の校舎も)

まさにそうなりつつあります。

 

これからが楽しみです。

ワクワクします。

 

 

山崎




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コメント: 1
  • #1

    淡楽雅遊 (木曜日, 26 11月 2015 23:45)

    類は友を呼ぶ
    自分のいる場所は=自分自身
    誰かではなく、自分自身こそが良くも悪くも出来る。だったら良くしよう。そう気付いた人だからこそ、気づける日常の努力がありますね。
    “気付いちゃったのだからはやっておこう”そういった責任感で、世界は今日も回っている。そう思います。