意味づけ

Yeah Man!

 

 

 

 

人は自分にとって意味があると感じるものは必ず目的達成します。

それは他人が聞いたら

実現不可能そうなことであっても

面倒臭そうなことであってもです。

 

逆を言えば、

根気が続かなかったり、

やる気がわかなかったり、

行動に移せなかったり、というものは

意味を感じきれていないものです。

 

 

 

 

一年以内に2億円集めてください。

と言われたら、多くの人は「……あ、無理だ」と考えます。

一瞬はいろいろ考えるでしょうけど、無理という結論で落ち着くと思います。

もちろん、みんな2億円あったらいいなとは思います。

でも、2億円なくても生活はできますし、さほど困りはしません。

 

しかし、年間に何十人かの人はそれを集めます。

それも普通の職業の方だったりします。

例えば、子供が高額医療を必要とするような方々です。

国内の医療では回復が難しいけど海外に渡れば手術を受けられる。

その医療費と渡航費を集めなければいけないという状況の方たちです。

それがどれほど過酷なことかは想像を絶します。

しかし、そのような方々はあらゆる手段とアイディアを結集して

それを達成します。

 

さらに、年間に何千人の人が必ず東大に合格します。

たまたま頭が良くて、

たまたま受験したら合格したなんて人はきっといません。

その人たちにとっては東大合格はきっと何がしかの意味があるのです。

この何千人は頭の良い何千人ということもできますが、

僕はむしろ、意味づけの強かった何千人という表現の方がしっくりきます。

 

 

 

 

意味づけに関して言えば、

強烈な一つの意味に向かって突き進むこともできますが、

幾つかの意味を持っていてもいいと思います。

報酬のため、

プライドのため、

誰かにつられて、

こういった意味づけが良くないことのように言われることもあります。

良くないというのではなく、

よっぽど強烈な意味づけでないと

達成までこれらだけに意味を感じ続けるのは難しいということだと思います。

資格・合格のため、

やりたいことに必要な知識・技能・手段だから、

これらについても工夫と努力があれば達成までの意味づけに成り得ます。

しかし、これらも維持し続ける工夫と努力は必要です。

 

最も工夫と努力からかけ離れた意味づけとはなんでしょう?

言い換えれば続けるのが最も楽勝だということです。

それは、好きだからやる。やるのが楽しいからやるという意味づけです。

これに勝る意味づけはありません。

 

だから複数の意味を持っているのは大事です。

あらゆる意味づけを入り口として、

やるのが楽しくなる、つまり好きになることにつながればいいのです。

どんな入り口であっても、最終的にそこにたどり着くことができれば

上達や目的達成は手に入れたも同然です。

 

 

 

 

そんな時間があったら単語の一つでも覚えた方が生産的だ。

確かにそう考えるのも間違えとは言えません。

それでもあえて提唱したい。

 

なぜ大学に行きたいの?なぜ勉強するの?

だらだらとではなく、決めた時間でしっかり考えることは

志望校に合格するための活力になります。きっとなります。

 

 

 

 

 

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