未来の研究者

 

私の好きなテレビ番組に『プロフェッショナル仕事の流儀』があるが、そこに描かれているのはその道の「研究者」ばかりである。

 

「研究」とはきっと

 

「問を自ら立て、自ら答えを見つけ出す」という一連の流れのことを意味しているのだと思う。

 

 

研究は決して、灰色あるいは白い壁の研究室ばかりで行われるわけではなく、厨房でもフロアでも、楽屋でも家でもカフェでも部室でも行われている。

 

当然、塾でも行われている。

 

 

真剣に物事にとりくんでいると、誰もが「研究者」となる。

 

「研究者」となる発端は、本人の持つ「目的意識」「問題意識」にあると思う。

 

「おいしいカレーを作りたい」や「今のカレーのままでは嫌だ」という意識が、人を料理本の情報やクックパド検索などの資料集めに向かわせ、「なぜその調味料を加えたらコクがでるのか」とか「コクって何だ」という疑問にぶつかり、「コク」の生まれる科学的なメカニズムを理解したりしながら、何度か実際に試し、その上で集めた情報を、有用、無用に振り分け、ついに最高のレシピが出来上がる、というようなそんな流れ。

 

例えば今夜のカレーがそうだとして、そのカレーが常に研究される循環がある限り、「研究者」の作るカレーは永遠に旨くなり続ける。

 

 

研究は楽しい。

 

誰かに与えられる「課題」を解決するより、自分で考えてできる「研究」の方が主体度が大きい分、きっと楽しい。

 

 

 

研究こそ本来の学ぶ喜びに溢れているのだが、ただ誰もがすぐに研究者になれるわけではないのも事実だ。

 

 

 

その前段階で必要な、知識や技能がある。

 

私もかつてダンスがうまくなりたいと思った時があるけれど、ダンスで人を魅了したいなら、まずステップが踏めないといけない。

 

 

「俺もマイケルジャクソンみたいに…」という想いは大切だが、それを実現したいなら、まずは基本のステップとストレッチからなのである。「いつかマイケルジャクソンみたいに」をエネルギーに、地に足をつけた努力をしなければならない。

 

 

簡単にはマイケルジャクソンのようなダンスの神髄の研究者にはなれないのである。(そして私はダンスは自分の道ではないことがよく分かった。「向いてない」と分かっただけ、私は成長したのである)

 

 

 

 

聡明舎の生徒たちには、最終的には「研究者」としての性質を身につけて欲しい。それはつまり、自らの内側より発する「目的意識」または「問題意識」より、「問題」を見つけ出し、「現状の分析や必要な情報の収集、深い思考」を通じて「答え」を出し、現在の自分の進歩に役立てるという循環のできる人になって欲しい、ということだ。

 

 

 

 

ただ、そのためにはまず、知識や技能の上で高い能力が必要だ。

 

 

 

 

勉強がんばれ。でも「いつかは研究者になる」という熱はもらさずに。

 

 

 

一歩一歩である。

 

一歩一歩で歩いた先に「プロフェッショナル仕事の流儀」のような研究者の世界があるのだ。

 

 

それはどんな職業、立場でもきっと同じなのだ。

 

 

 

 

まつを