「なりたい理想像」と「なりたくない理想像」のバランス

 

みなさんは坂井義則さんという方をご存じでしょうか?

この方は、

1964年に開かれた東京オリンピックで最終聖火ランナーとして、

聖火台に聖火をともされた方です。



坂井さんの生年月日は、

1945年8月6日。

出身地は広島。

そう、

坂井さんは、原爆が広島に落とされた

まさにその日に生まれました。



日本は本当にすごい国ですよね。

太平洋戦争が終わったのが1945年。

東京オリンピックが開催されたのが1964年。

戦後まったく何もない状態から、

たったの20年でオリンピックを開催するまでの

復興を成し遂げたのですから…。

それだけじゃありません。

当時世界最高速の鉄道であった

東海道新幹線を走らせるための線路やトンネルを整備しました。

さらには高速道路まで完成させています。

一人の人間が生まれてから成人するまでの間にです…。



当時これだけの復興をし、

オリンピック招致までした日本。

このとき大切な戦後復興を考えていた人がいます。

当時日本オリンピック委員会の専務理事であった

田畑政治さんです。

この方が考えていたのは“心の戦後復興”です。

「アジアには戦争の反日感情がまだ残っている、このままではアジアに向けて復興自慢にしかならない。オリンピックは政治とは無関係の真の平和の象徴でなければならない」

という信念を持っていました。


東京オリンピックの聖火は、

アジアをまわり、

46日間、2万6千メートルを約10万人の手でリレーされます。

(しかし、聖火は中国・朝鮮には通過できず。中国も大会不参加。このことは田畑さんにとっては心残りだったそうです。)

そして、最後に国立競技場の聖火台へ点火したのは、

1945年8月6日、広島へ原爆が落とされた

まさにその日に広島で生まれた陸上選手、

坂井義則さんに決めたそうです。


当時この計画には、アメリカへの悪影響を心配し

多数の反対意見が出ました。

しかし、田畑さんは

「アメリカにおもねるために、原爆に対する憎しみを口にしない者は
世界平和に背を向ける卑怯者だ」

と返したそうです。

そういった強い信念にもとづいて行われた祭典だったからでしょうか、

東京オリンピックは当時過去最多の参加国であったそうです。


一人の信念が、大きな事を成すことがあります。

田畑さんにはオリンピックを

「日本の復興自慢にしたくない」という信念があったからこそ、

多くの壁を乗り越え、

東京オリンピックを成功へ導くことができたのでしょうね。



何かを成し遂げようとするとき、

なりたい理想像ばかりを追うのではなく、

「こうはしたくなく!」という

なりたくない理想像も、

なりたい理想像と同じくらい

バランスよく持つことが大切だと

ぼくは考えます。

 

 

 

鷲井