ちょっと立ち止まって

 

 

はた、と良い言葉が心に浮かんだ。

 

 

 

もちろん「良い」というのは主観的な評価のある形容詞であり、私の思い込みに過ぎないかもしれないが、共感してくれる人もいると思う。

 

 

 

たとえば、「うーん」と思い詰めたり

 

「あぁ」と壁にぶつかったりしたときには

 

あえて立ち止まって

 

深呼吸すると、新しい何かが見えてくるかもしれない。

 

 

 

 

 

この「深呼吸」を「心呼吸」と書くと、また違った意味が見えてくるかもしれない。

 

 

 

「心呼吸」

 

 

 

これが、はたと心に浮かんだ良い言葉である。

 

 

 

 

 

 

小さい子に、何で勉強をするの?、と質問をすると

 

「将来、働くようになったら役に立つから」

 

という答えを耳にすることがある。

 

「うんうん、そうだね」と頷きながら、思うことがある。

 

 

 

 

「働くようになったら」と答えた子供たちは、まだ働いたことがない。

 

 

 

 

学生以外をやったこともない。…なのに「働くようになったら役に立つ」という言葉が出てくるのは、学習の成果ともいえる。

 

 

 

 

 

きっと誰かがどこかで教えてくれたのだ。

 

 

 

 

他の人に学ぶことはいいことだ。

 

 

 

 

 

 

ただ、あまりにも、他の人の言葉や評価、教わった価値観が多すぎると、自分の本当の気持ちが見えなくなる…ことがある。

 

 

 

この本当の気持ちを、心の声、を表現したい。

 

 

 

誰かの声や、視線、評価を気にするあまり

 

頭の中がいっぱいになってしまって、心が酸欠状態になって、声が出ない時がある。

 

 

 

 

 

だから、困難にぶつかったときには、深呼吸。

 

 

心呼吸である。

 

 

ことあるごとに心呼吸。

 

 

 

 

あえて立ち止まって、自分はどんな気持ちなのか、何を求めているのか、なぜ自分が不安なのか、その困難は本当なのか、取り越し苦労なのか、持ち越し苦労なのか、大したことのないことを大事に考え過ぎてないか…なんてことを考えてみるのは、価値がある。

 

 

 

心が酸欠しているだけの可能性があるから。

 

 

 

 

 

あえて立ち止まって考えると、心の声が聞き取りやすくなる。

 

 

 

 

例えば、勉強は本来、面白いものだ、とか。

 

学ぶのは面白い、とか。人に深切にするのは気分がいい、とか。

 

笑った方が楽しいとか。

 

 

 

 

あえて立ち止まって、心呼吸。

 

 

 

 

心呼吸がきちんと出来ている人の方が、勉強も伸びる。絶対に。

 

 

 

 

 

まつを