根が真面目なもので

 

 

 

根が真面目、ということについて考えてみたい。

 

 

根が真面目、ということが責任感や誠実さ、あるいは人に対する丁寧さ、他の人に敬意を表す心、という部分で発揮されたなら、とても良いことだろう。

 

 

 

 

でも、根が真面目、であるが故に「奇妙な」マイルールに縛られ、それが習慣化することは避けたい。

 

 

 

例えば、何かにチャレンジして失敗をしたとき。

あるいは一生懸命やろうとしたのだけれども上手くいかなかったとき。

 

 

きちんと反省しなければならない。いや、一定期間反省し続けなければならない。

 

 

…というルール。

 

 

 

 

怒られたときには落ち込まなければならない。いや、一定期間落ち込み続けなければならない。

 

…というルール。

 

 

 

困難にぶつかったときに緊張感を高めなければならない。そして、ときにはぴりぴりとした表情、雰囲気を出さなければならない。

 

相手の気分を害さないように自分の意見はしまわなければならない。だから不平や不満は心の中で出すもので、悟られてはならない。

 

人にお願いごとをすると他の人の迷惑になってしまうから、仕事は自分で抱えなければならない。ときにお願いごとをしたならば、いつかお返しをしなければならない。

 

…というルール。

 

 

 

 

 

 

「悩み事がなさそうでいいね」と言われている人がいる。

 

でもそんな人も、本当に悩み事がないわけではない

 

…と思う(あくまで推測ですが)。

 

 

 

 

 

それを表に出さない術を心得ている、ということもあるだろう。でも本当は、悩み落ち込んだりするけれど、「一瞬だけ」だからじゃないだろうか。

 

 

一瞬だけ落ち込んで、引きずらない。思い出さない。気にしない。

 

 

 

 

 

おっとまたここで「奇妙な」マイルールが脳裏をよぎる。

 

「切換え早いのってナシ……なんじゃないの?」

 

 

 

 

失敗をしたときに反省をしなければならないシーンはあるかもしれない。でも、反省し続けなければならない、というのはだれが決めたの?

 

 

 

だれか決めたの?

 

 

本当は自分が勝手につくってる、マイルールに縛られてるだけなんじゃないの?

 

 

 

 

「へいへい、ピッチャー。打たれたのはしょうがないだろう。つぎ、つぎー。楽に行こうぜー」

 

という外野からの声もある。

 

 

 

 

知らぬ間に築き上げていた「奇妙な」マイルールに、家庭でも職場でも学校でも自分が縛られていないか?

 

 

 

 

 

 

 

「一番いい球投げろよー。打たせていこうぜー」

 

と外野から声が聞こえていますので、打たせていきましょう。

 

 

 

 「奇妙な」マイルールの見直しをしてみましょう。

 

 

 

そっちの方が、いいパフォーマンスができることが多い、ような気がする。

 

 

 

 

…以上が根が真面目ということに対する、個人的な考察と見解です。

 

 

 

 

まつを