近頃、瀬谷駅北口を出て聡明舎に向かうルートは物騒だ。
とりわけ太陽が西の空に沈み始める時間帯は緊張状態が高まる。
地元の人はそれが分かっているようで、多くは迂回路をとっているようだ。だから被害にあうのは往々にして、現場に不慣れな人や、注意力の散漫な若者であろう。
比較的落ち着いている昼間、現場に足を運んでみると、そこには多くの「空爆」の跡が見られた。具体的な数は多すぎて分からないが、そのほとんどが夕方の時間帯に落とされたものと見られる。
先日、聡明舎の某先生もとうとう被害にあってしまった。
私もひっきりなしに情報を集めているわけではないので、どれほどの被害があるのかは正確には分からない。ただ、身内が被害にあってしまった現在、こうして警鐘を鳴らさないわけにはいかない。
注意すべき時間帯は夕方だ。とりわけ北口を出てすぐの木の近くは警戒レベルを最高に高める必要がある。
最新鋭の小型B-IRD爆撃機。
その一つひとつは小型だが、集団で押し寄せてくるからやっかいだ。もちろん、飛来してきたときにはその音で分かる。チュンチュンという鳴き声と、その羽音が聞こえてきたら、なりふり構わず逃げて欲しい。平和交渉が通じる相手ではないからだ。
私が言っていることは、「空爆」の経験がない人には伝わりづらいかもしれない。「まさか自分が」という油断めいた気持ちが出ても当然だ。実際、被害にあった某先生にも注意力が不足していた感は否めない。
私自身はB-IRD爆撃機の被害にあったことがある。
それも、四度も、だ。
直近の被害は、去年の社員旅行中だ。鹿児島の薩摩藩邸を回っているときに、そいつは不意に落ちてきた。しかも、ピンポイントに頭の上に。落ちた瞬間は何が起ったのかすぐには分からなかった。が、しばらくすると事態が把握できた。
「やられた…」
そう思った。
私の場合、精神的に致命傷に至らなかったのは周りに知人がいてくれたからだろう。一人だったら、と思うとゾッとする。ただ残念だったのは、そのとき私はすぐに、近くにいたK本先生に助けを求めたのだが、彼は私が近づくと走って逃げていってしまったことだ。
ただ、どんなに注意していても、「空爆」にあうときにはあってしまうもの。B-IRD爆撃機は、そこに空と豊かな自然がある限り必ず現れるからだ。
では、実際に空爆にあったときに「どうする」か?洗うのか、シャツを買い替えるか。家の近くだったら引き返すという方法もある。正解は状況によって異なってくる。
だからむしろ考えなければならないのは、「どうとらえる」かの方だろう。
聡明舎の某先生は、聡明舎に戻ってきては肩を指差し、「落ちてきちゃったんですよ」と言いふらし、笑いをとっていた。
「ネタが増えた」と言っていた。
その姿を見て、私は「たくましいな」と思った。
同時に「すばらしい」とも。
生きているとさまざまな「できごと」がある。
その「できごと」自体に良い悪いはない。無色透明である。そこに人が「解釈」という色づけをしているだけだ。実際、空から落ちてくるときには落ちてくる。それはひとつの「できごと」だ。変えようがない。
ただその「できごと」に対して、私たちには一人ひとり、「解釈」という自由が与えられている。
「ネタが増えた」
そうとらえられれば、人生は平和で世界は豊かだ。
まつを
11月12日(土)10:00 - 12:00
聡明舎 親学塾 開催
場所は高校部
ぜひ来てくださいね。
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