読書感想文。走れメロスを読んで。

 

 

「なぜ今、ここで働くのか」という問が自分に向けられるときがある。

 

これは自分の人生を見直す問ともなる。

 

あえて立ち止まったり、レールを代えない限り、明日も、一年後も、今いる場所で働いていることが予想できるからだ。

 

人生は短い。

 

今年も季節が駆け巡り、気づけばもう年末を迎えようとしている。浦島太郎のように時間が流れる。ひょっとしたら「浦島太郎」の物語は、1000年以上前に生きた誰かの実感なのかもしれない。

 

 

人生は短い。しかし、生きることができるのは「今ここ」だけだ。

求めているのは「今ここ」で生きている充実感だ。

 

 

「ああ、メロス様」

うめくような声が、風とともに走るメロスに聞こえてきた。声の主はフィロストラトスだ。

 

メロスは王に捕らえられた親友のセリヌンティウスを救うために走っている。日が西の空に沈みきる前に王のもとにたどり着かなければ、セリヌンティウスは殺される運命にある。メロスは口から血を流しながら走っているが、日がどんどんと沈んでいる。フィロストラトスはそのセリヌンティウスの弟子だ。

 

「走るのはやめてください」とフィロストラトスはメロスを止める。

今はメロスの命が大事だと言う。

 

しかしメロスは「いや、まだ日は沈まぬ」と走り続ける。

 

「あの方は」とフィロストラトスはセリヌンティウスの様子を語る。

「あの方はあなたを信じておりました。処場に出されても平気でいました。王様がさんざんあの方をからかっても、メロスは来ますとだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました」

 

 

この後のメロスの言葉に私は、いつも強く胸を打たれる。

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ」

 

このシーンにいたるまでメロスには様々なことがあった。

 

いっそ友のことを忘れ楽しくお酒を飲んでいたいという気持ちになったことも、のんびり歩いていたことも、もう無理だとあきらめそうになったこともあった。

 

しかし最後の最後、メロスが口にした命を削ってまで走る理由。

 

 

 

信じられているから、走るのだ。

 

 

 

ロマンティシズムが過ぎるかもしれないが、私はこの台詞に、自分の姿をオーバーラップして考えてしまう。

 

もちろん私の仕事は生きる、死ぬの狭間にいるようなものではない。塾の先生だ。でも私も同じように人生の時間を使って生きている。この文章を読むあなたや、すべての命ある生きもののすべて同じように、太陽のように昇り、そしていつか沈む生を生きている。

 

「なぜ今、ここで働くのか?」

「なぜこの仕事をやっているのか?」

 

自分が働く意義を考えることがあるときに、私はこの本を読むことを勧めたい。給料も、福利厚生も、労働条件や環境も大事だ。しかし、それをも凌ぐ働く生き甲斐。走る理由。

 

信じられているから。

 

この「走れメロス」が発表されたのは今から七十年ほど前。

 

時を越え、なお胸打つ名作である。

 

 

まつをの読書感想文