価値観

 

幼い頃、人の家のカレーを食べて、「おや、違うぞ」と思ったことがある。

 

「これは違うカレーだぞ」と。

 

 

幼いころから食べ慣れてきたカレーが、私のカレーになる。味覚が経験的に形成される。

 

 

さて、私にはここ数年来どハマりしているカレー屋さんがある。

そこには多いときで週3、4で通っている。一時期シェフが代わっていたのだが、最近、その名シェフが復活し、私の通うペースも増えている。

 

そのレストランはインドやネパールのカレーを出してくれる。

 

きっと彼らが日本のカレーを食べたとき、「なんじゃこりゃー」と松田優作ばりに驚いたであろうことは想像に難くない。

 

 

 

日本のカレーは、インドカレーとはまるで違っている。

 

 

 

私はどちらも好きである。ハマっているのはインドカレーだが、日本のカツカレーのトンカツとカレーは、サンタとトナカイに匹敵するくらいの相性である、と思っている。

 

 

物語になっても悪くない。

 

 

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「新説カツカレー誕生の物語」

 

 

ある寒い冬の夜でした。

 

雪空の下、身寄りのない一枚のトンカツが震えながら街を歩いていました。

その夜を凍えずに過ごすことの出来る家を探していたのです。

 

「残念だけど、お前を寝かせるベッドはない」

何軒まわっても誰も受け入れてくれません。

 

「助けてください。このままだと僕はゴムの塊みたいになってしまいます」

「申し訳ないね」と断られます。

「あんたも大変だろうけど、この健康志向の世の中じゃね…キャベツさんあたりに頼んだらどうかね」

「キャベツさんは夏場がシーズンでいまは時期がずれてるんです」

「悪いけど、ほかをあたってくれるかい?」

「なんとか…」

「ベットが油まみれになっちまうんでね。ほかに行ってくれ」

 

夜も深くなり、あたりはいっそう寒さをましていきます。トンカツの体もどんどん固くなっていきました。

 

トンカツが凍えながら肩を落としていると、トントンと肩を叩かれました。振返ると、老舗洋食屋の老夫婦が立っていました。

 

「トンカツさん、うちでよかったら泊まっていきなさい」

「え…」

「お困りでしょう?うちにはちょうどベッドが一つ余ってるから、泊まっていきなさい」

その言葉にトンカツの胸はジュッと熱くなりました。しかしトンカツは首を横に振りました。

「ううん。遠慮しておきます」

優しさに触れ嬉しかったのですが、だからこそ老夫婦の迷惑になってはいけない思ったのです。

「僕が泊まると、家を汚しちゃうから」

「心配することはない。その油こそが君の魅力じゃないか」

「え…」

トンカツには信じられない言葉でした。

「みんな油は嫌いだって…それに健康志向でしょ…?」

おじいさんとおばあさんは優しく微笑み「私たちは君のことが油も含めて大好ですよ」と言ってくれました。

 

そうしてトンカツはその夜、老舗洋食屋に泊まることにしました。

暖かいご飯のベッドに横になると、おじいさんがそっとカレーの蒲団を上からかけてくれました。とても温かく、すやすや眠ることができました。

 

 

これが、カツカレー誕生の物語

 

 

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さて私のカレーの味の話。

カレーの味覚、これは幼い頃に自宅で作られたものだ。同じように、一人ひとり異なったカレーの味が、それぞれの自宅で作られていく。

 

で、あるとき、ほかのカレーに触れたとき、「おや、違うな」という違和感を感じる。違和感を感じるたびに、どうやらそれぞれの家庭にはそれぞれのカレーがあるらしい、ということに気づくようになる。より好ましいカレーに出会うことも、ときには受け付けないカレーも出てくるかもしれない。

 

大人になると、違いを感じていた各家庭のカレーも結局はすべて「日本のカレー」で、それは「インドのカレー」とは違うらしいと気づくようになる。そこから、なぜ日本のカレーがインドのカレーと違うのか、ルーツや味覚の違いの原理などを調べたくなったり、日本のカレーを見つめ直したり、世界の広さを感じたりする。

 

 

 

きっと、子どもの価値観やそれに付随した行動基準にも同じこと、同じ成長が言えると思う。

 

 

 

先日、ある生徒から「聡明舎は最高だ」という言葉を聞いた。

 

 

 

だからこそいっそう、子どもたちに向き合った学習機関にならなければならないなぁ、と思う。

 

 

 

大人として日々、子どもたちにどのような言葉をかけ、どんな姿を見せるのか、真面目に真剣に考える必要がある。

 

子どもの価値観やそれに付随した行動基準。それらが今、育まれている。

 

 

 

 

「勉強もできる本当に意味で頭のいい人」

 

 

それにどこまで近づけるか。子どもたちと共に、考えていきたい。

 

 

まつを