読書と勉強と研究

Yeah Man!

 

 

 

 

先日の喜多会での喜多川の話のなかに

読書は心の栄養分という内容が出てきました。

心に栄養を与えないのはダメだけれど、

栄養の与え過ぎも病気になるということ。

つまり、本を全く読まないのはダメだけど、

読むこと自体が目的になってしまうのも問題だということ。

なるほど~と思いました。

 

 

 

 

勉強では知識や技術を習得することはとても大切です。

もちろん、それらを使いこなす思考力もそれと同じくらい、

あるいはそれ以上に重要です。

ただ勉強においては、

思考力といっても0から生み出すようなことはほとんどしません。

どちらかといえば先人たちの問題解決法をなぞることで学んでいきます。

つまり、そこにはオリジナルの思考というものはあまり存在しません。

しかし、それらに数多く触れ、多くの模倣を手に入れることは

後にオリジナルの思考を産み出すことに大いに役立ちます。

 

 

一方、研究では自分で問題を見つけるところから始まります。

まだ誰も解決したことのない未解決の問題を見つけ、

知識や技術を運用し、問題解決を図ります。

また、解決することで、どのような形で人の役に立つのか、

そういったことも考えます。

そこで用いられる解決法や思考力は、

勉強を通じて先人たちの方法をなぞることで身につけたものを活かし、

オリジナルを生み出していくことになるでしょう。

そうでなければ、

その問題はすでに何処かの誰かが解決しているはずだからです。

 

 

 

 

誤解のないように書いておきますが、

僕らは子供達に研究者になって欲しいと考えているわけではありません。

けれど、どんな仕事についても研究はすることにはなるはずです。

仕事とは、世の中の問題を解決する手段だからです。

そこにある問題を見つけ、知識や技術を運用して問題解決を図るんです。

そこでは知識の量や技術だけでは必要十分とは言えません。

また、先人の問題解決法をなぞり、それらを身につけることも大切ですが、

これもそれだけでは十分とは言えません。

それで事足りるなら、

その問題はすでに問題になっていないはずだからです。

先人たちの思考法を学ぶ中で身につけたオリジナルの思考力を活かし、

新しい解決法を常に産み出す努力をし続けること。

仕事をする上でこのスタンスは常に求められるのではないでしょうか。

そしておそらく、

それはどの仕事についても同じようなことが言えるのでないかと思います。

 

 

だからこそ、研究の一歩手前の勉強を指導する上で、

研究者としてのスタンスや知識や思考力の捉え方など、

後につながるようなことを意識しながら指導することは、

とても大切だと考えています。

 

 

 

 

知識や技術、そして思考力、あるいは読書といったものは

貯めることが目的ではなく、

実社会、実生活の中で使ってなんぼです。

 

 

 

 

 

もりすえ