「もったい」ないのお話

「もったいない」という言葉があります。

 

この言葉の語源は、いくつかあるようですが、日本の仏教を起源として考えると分かりやすいようです。

 

「もったい(勿体/物体)」とは「ものの本来あるべき姿」のことを表すようです。

 

日本にはただ単に「花」だけではなく、「花びら」の一つひとつにまで命が宿ると考え、敬意や慈しみを持って接する文化があります。

 

だから目に見えるものの、「本来あるべき姿」がなくなってしまうときのなげき悲しむ気持ちを、「もったいない」と表現したんですね。

 

 

そろそろ花見のシーズンです。

 

桜が満開の状態を「もったい」だとしたら、雨風により一夜にして、散り落ちてしまったら、「もったいない」と表現します。

 

単純に節約する、とか、物を捨てずにとっておく、とはちょっと違うんですね。

 

 

だから、面白い捉え方の違いがおきます。

 

 

例えば、サッカーが上手くなりたくて買った性能も、格好もいいスパイク。試合で吐いたら、途中で雨が降ってきてしまって、汚れてしまった。

 

「あぁ、もったいない」となげきます。

 

このときの「もったいない」は、スパイクの「ファッションとして」あるいは「鑑賞するもの」として部分を「もったい」と考えると出て来る言葉なのかもしれません。

 

 

一方で、スパイクの「もったい」を「サッカーでいいプレーをするために必要なもの」と考えるとむしろ、「もったいある」使い方をした結果なので、敬意溢れる使い方なのかもしれません。

 

 

スパイクを丁寧に扱うことは当然のこととして、ある状況での捉え方の違いの具体例です。

 

 

 

そう考えると、僕の家にはギターが弾かれないまま置いてあるのですが、僕は大変失礼な、「もったいない」ことをしてしまっています。

 

 

このように、本来あるべき姿、のことを「もったい」といい、それが失われることを「もったいない」といいます。

 

 

 

 

では勉強の、あるいは自分が行っている仕事の「もったい」は一体、何だと考えますか?

 

 

 

 

保護者の方のほとんどは、勉強を通じて子どもに幸せになってほしいから、という願いを込めて、塾に通わせていただいていると思います。

 

 

また勉強の「もったい」は、テストに出るところの丸暗記や、テストに出ない知識には価値がない、とかそういう部分にあるのではありません。

 

 

 

だからもし、勉強をつまらなく感じてしまった場合や、勉強を通じて心が狭くなっている場合、あるいは勉強を通じて親子関係にギスギスしたものが生じた場合は、勉強やその関わりとの「もったい」、本来あるべき姿を考え直してみるいい機会かも知れません。

 

 

もし今「もったいない」勉強をしているならば変えなければなりません。

 

 

 

また、社会人の方で仕事をされる場合も、自分の仕事の「もったい」や、自分の生き方の「もったい」は何かを考えることは、大きなメリットがあると思います。

 

 

 

本日は聡明舎の「一日体験祭り」の授業日ですが、授業の「もったい」を大切にしたいと思います。

 

 

 

まつを