先生

Yeah Man!

 

 

 

 

僕らの仕事は子供達や保護者の方々から「先生」と呼ばれます。

最初こそ「先生」と呼ばれることに「違和感」を感じるものですが、

時間とともに慣れていきます。

そして幾らかの経験を積み、少なからぬ自信を持っていきます。

自分の教えた生徒の点数や成績が伸びることで教え方に自信を持ち、

関わった生徒がやる気を持つことで関わり方に自信を持ちます。

もちろん、そうやって「先生」という仕事では成長していくのです。

しかし、ここに落とし穴があるのも事実です。

教え方への自信が強すぎれば、

自分の教え方以外の方法を許容できなくなるかもしれません。

生徒との関わり方への自信が過ぎれば、

やる気の出せない生徒を簡単に見限るようになるかもしれません。

普段から「先生」「先生」と呼ばれることで

敬われることが当たり前になってしまうという落とし穴。

本当に気をつけなければなりません。

仕事を始めた頃に持っていた「違和感」は決して失ってはいけないと思います。

完璧な人間なんていないのです。

子供が成長する過程を通じて、自分も気付きと成長を受け取っている。

「先生」なんて何年やっても知らないことやできないことがいくらでも出てきます。

そういう不完全な自分を受容し、子供たちと一緒に学び、成長しようと努力する。

それが先生という仕事なんじゃないかと考えます。

 

 

 

 

一方で、「自分なんて先生をやる資格がない」と尻込みする先生もいます。

謙虚な気持ちを持つことはもちろん大切ですが、

それも過ぎたるは及ばざるが如しのような気がします。

繰り返しになりますが、完璧な人間なんていないのです。

つまり、極論を言えば、

「先生」ができる人などこの世にいないということです。

どのような性格にも、先生として落第な面もあれば、

先生として非常に大切で有用な面もあります。

大事なのは落第な面を持っていることを常に忘れず、

自分の有用な長所を十分に活かす方法を考えることです。

生徒を前にして、ちゃんとした先生でいないと…

そんな風に考えるよりも、

成長したいと願っている仲間のために

自分にできることはなんだろう?と考える。

そんな、先生と生徒である前に仲間なんだという意識が大切だと考えます。

 

 

 

 

きっと、どんな仕事でも同じだと思いますが、

自信と過信は紙一重ですし、謙虚と過小評価も紙一重。

講師という仕事は

過信になりそうな時は謙虚に、

過小評価になりそうな時は自信を持って、

常にグルグルとバランスをとりながら取り組む仕事です。

 

 

 

 

 

もりすえ