勉強もできるいい奴への道〜その3〜

聡明舎は「勉強もできるいい奴」を育てる塾です。

 

いい奴とは、

言葉の額面通り受け止めれば

礼儀や優しさ、道義的なことを身につけている人を

イメージする人が多いと思います。

 

前回のブログには

こういったことが身について日々実行できていれば

一つずつ信頼とか安心感を貯めていけるということを書きました。

聡明舎が言うところの「いい奴」ももちろんこれを備えている人で、

日々それらをある意味うるさく(笑)子供達に伝えています。

 

ただ、子供達に伝えている「いい奴」は

さらにもう少しだけ踏み込んだところにあります。

それは「人の役に立てる人」です。

 

 

 

 

人が困ったり悩んだりするときとはどんな時でしょう?

多くの場合、

何かしらの問題に直面している時だと考えられます。

しかも、解決する手段や能力がない。

あるいは、解決に向けた思考が止まっている時、

つまり思考停止に陥った時です。

 

そんな時、優しさを備えていれば話を聞いてあげることができます。

悩んだり困ったことがあればわかると思いますが、

人は話を聞いてもらうだけでも少し気が楽になります。

もちろん、そういった意味では話を聞いてあげるだけでも

人の役に立つということもできます。

けれど、気は楽になっても問題そのものは解決していません。

あるいは解決に向けて前進していません。

 

もし、ここで解決に必要な能力なり手段が自分に備わっていたら…

それは話を聞くだけでなく、一緒に解決してあげることができます。

あるいは、解決に向けて止まってしまった思考を

一緒に考えてあげることで動かすことができたら…

解決に向けて前進することはできます。

これは、話を聞いてあげるだけのときよりも

人の役立てると言えるのではないでしょうか?

 

つまり、何かしらの能力を持っているということは

人の役に立てる可能性が高まるということです。

もちろん、能力は少ないよりも多い方が役に立てる可能性は高まります。

さらに言えば

普通の人が持っていない能力であるほどその可能性は高まります。

 

ここで、能力というと、

それだけで、「ああ、自分は能力ないからダメっす」とか、

「能力がない人は人の役に立てないってことですか?」とか、

悲観的だったり、怪訝そうな感じなってしまう人もいるのですが、

それは能力というものを難しく考えすぎな気がします。

 

能力とはやれば必ず身につきます。

というより、やる以外に身につける方法がない。そうでしょ?

僕たちはそうやってあらゆる能力を身につけています。

世界的に身につけるのが難しいと言われている日本語をペラペラに話せます。

欧米人が見たら暗号にしか見えないであろう漢字を

見分けることも読むことも書くこともできます。

掛け算九九をスラスラ言えます。

多くの人が二足歩行も、

なんならあんなにバランスの悪い自転車に乗ることもできます。

これらはすべて生まれた時には一つも持っていなかった能力です。

どうやって身につけたのでしょう?やっただけです。

そらぁ一発で身につけたものなど一つもありません。

なんども失敗し、繰り返しやることで身につけたのです。

だからたくさんの能力を身につけたければたくさんのことをやればいい。

人の持っていない能力が欲しければ、人のやっていないことをやればいい。

人のやっていないこととは、必要最低限からの脱却です。

学生時代、多くの人は必要最低限のことしかやりたがりません。

典型的なセリフは「これって試験に出るんですか~?」

面白そう、やった方が良さそう、できたら楽しそうで動いているうちに

いつの間にか必要最低限の外側に出ていることってあります。

いわゆる趣味の領域です。

その領域で得られる能力は他の人との差別化になることがあります。

だから趣味のたくさんある人って能力が高く見えたり際立つケースが多い。

「普通」に埋もれないで済むんです。希少価値が高まるんです。

必要なのは時間です。時間を使ってやることで能力を手にします。

その何かをやる時間は社会人でも作ることはできますが、

学生のうちが一番作りやすいでしょう。

 

もう一つ、能力とは別に「人の役に立つ」ために必要なものがあります。

それは、「自分の能力」と「人の役に立つ」ことを結びつける思考です。

まず、多くの人が、自分の持っている能力を客観的に捉えられていません。

日本語も、漢字も、掛け算九九も二足歩行も自転車も

できるようになるためにあれだけ苦労したにもかかわらず、

できるようになると当たり前すぎて能力だと認識しなくなってしまう。

できない人から見たら神みたいに見えてるのに笑

仮に、ある程度は客観的に見れている人がいたとしても、

その能力をどう使えば人の役に立つことができるのかということが

思考として繋がっている人となるとその数はさらに少なくなります。

だから、能力や行動力もあり、人の役に立ちたいという気概もあるのに

それがなかなかうまくいかずにくすぶっている人が非常に多い。

思考さえ繋がってしまえば、いくらでも人の役に立てるのに…です。

この思考はビジネスや仕事を成功させる思考とも繋がっていると思います。

というか、ビジネス思考ってこういうことでしょ。

その思考の練習は科目の勉強で学べる機会がたくさんあります。

 

 

 

 

「いい奴」になるために必要なものの話で少し脱線してしまいました。

聡明舎の考える、人の役に立てる「いい奴」。

すこしは伝わったでしょうか?

 

 

 

 

聡明舎はこの「勉強もできるいい奴」を

受験や科目の勉強を使って子供達に伝えようと考えています。

~その1~でも書いた

本当に勉強ができるようになることで得られる能力は

点数・合格だけを目的とするのなら完全に必要最低限を超えてます。

点数・合格だけに絞るなら暗記だけで詰め込んだ方がよっぽど効率的です。

必要最低限を超えた領域に踏み込むのは

単純に労力も時間も思考力もかかります。

それでも、どうせ試験勉強や受験をするのなら

本当の意味で「勉強ができる」ようになり、

~その1~に書いたような能力を身につけることで

「いい奴」=「人の役に立てる奴」になれる可能性も非常に高まるのです。

だったら、やった方がいいかなぁと、

そっちの方が、

卒業した奴らと将来酒を酌み交わす時に楽しいかなぁと思うわけです。

やり続ければ、これはこれで聡明舎の有する一つの能力となり、

また誰かの役に立てる可能性が高まるというものです。

 

そういう意味で、聡明舎は子供達と一緒に

「勉強もできるいい奴」を目指している塾と言えます。

長い話を読んで頂きありがとうござます。

 

 

 

 

 

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